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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2015年12月31日(木)

死体の蠅 @flyonbody

15年12月31日

(私にとって、)ケーレについてはっきりしていると思われることは、ケーレが次のような言葉で言われることがしばしばあるということ:

「存在の真理は真理の存在である。」

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posted at 00:14:24

2015年12月29日(火)

ʇɥƃıluooɯ ǝıʇɐs @tsatie

15年12月29日

図式って何だろう。つまり、数式と並ぶものなのか。カテゴリー的に。そしてでは数式とは何だろうか。そうなると書式とはどういう位置にあるのか?図式に等式はあるのか、などなど。考え出すと判らなくなるよね? #ならない

タグ: ならない

posted at 00:56:39

2015年12月28日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月28日

近代の心身二元論=潜勢を当然視し、図式ではなく分類(範疇)だけを重視すると、それこそハイデガーが重視するアリストテレスの「あったことをなかったことにできないこと」ということばかりが、いうまでもなく矛盾のように立ちはだかるのも、鳥肌モノですよ。@BeTakada

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posted at 19:32:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月28日

私たちはつい、古代の哲学に対する、近代哲学の二元論、潜勢的葛藤の心理学の優位を、テクノロジーの勝利の端緒のように措定する近視眼に陥るのだが、しかし当然、そんなことが問題にはなっていない。実践というのは現勢させる図式の上で、意識が現象することです。@BeTakada

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posted at 19:15:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月28日

しかし、実践が将来を選択することだという根源図式が、概念と直観を媒介する時間根源だという超越論的図式性が本来的形而上学の根拠づけだ、というカント書の問題を看過すると、近代的な二元論=潜勢の問題は解けないでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 19:12:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月28日

時間と魂という図式根源において、本来的実践は、魂を現勢させる時間規定によって可能になるのです。潜勢的=二元論的な魂の規定による心理的葛藤は実践的ではない。思考は行為ではないし、「あったことはなかったことであることができない」(アリストテレス)のままです。@BeTakada

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posted at 19:05:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月28日

ナトルプ報告では、概念と直観ならぬ、知性と欲求を媒介する実践は、魂(霊魂)が常に将来に開かれていることだ、という根源図式が示唆されてるのでしょう。今現前、あるいは時間の非現前、という脱自態はこうした本来的実践性のことです。ただしGA62問題は来年読解しましょう。@BeTakada

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posted at 19:05:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月28日

ところで、ナトルプ報告GA62が扱うアリストテレス『ニコマコス倫理学』第六巻第二章というのは、極めてハイデガー的な図式性です。知性と欲求の根は過去ではなく将来を選択できる実践のことだ、という部分。@BeTakada pic.twitter.com/1Ow5MoJi9Q

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posted at 19:04:46

2015年12月27日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

カントでは純粋直観としての時は単に内官に潜勢するのだが、ハイデガーは時は脱自態だという。犬や三角形の例示で、概念と直観を統一させる想像力(超越論的構想力)は、時を脱自させる超越論的図式性が与えるもので、それこそが統覚(志向意識)の本体だ、という現勢に触れている。@BeTakada

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posted at 02:24:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

それは悟性と感性、概念と直観を、時が統一せしめるものとして捉えるより、アンチノミーのように分裂したもの、と分裂や葛藤を記述することに奔走する方が実際的に見えるからなのだが、ハイデガーは真っ向から批判する。@BeTakada

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posted at 02:11:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

カントが超越論的図式性を「無味乾燥で退屈な仕事」(A142)と放棄したことを、ハイデガーはカント書で批判しているのだが、これによってカントをアンチノミーとして受け取ることのほうが高尚なことのようになってしまう。@BeTakada pic.twitter.com/WEZ71VYlqk

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posted at 02:07:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

志向意識は時を根源地平と規定すると与えられるもの、という超越論的図式性は、カント書の twitter.com/sunamajiri/sta... の箇所です。世界と自然、現象と物自体という二元論や範疇論は、この図式論からは解消しているのです。@BeTakada

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posted at 01:51:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

もちろん、GA24第一部は、カントの「存在はレアールな述語ではない」から、アンセルムスの存在証明を批判し、デカルトのスアレス主義を批判し、スコトゥスの志向性を際立たせますが、四つの問題は、第二部の時論の脱自態の問題です。そのあたりは丸山論文を御覧ください。@BeTakada

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posted at 01:48:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

というのは、内的必然的にGA26で転回した先は、カント書の範疇論から図式論への転回なのです。その内実はGA24では、第一部の存在証明は無意味だという論証より、第二部の時論にあるからです。脈絡があるわけでないので、ぜひGA24は第二部からお読みください。@BeTakada

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posted at 01:35:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

第一部は、デカルトがパクったスアレスが出てきますが、ハイデガーはスコトゥス的です。しかし、志向する意識には、時間地平という図式が必要なのです。スアレスでもダメだがスコトゥスでも不十分なのです。@BeTakada

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posted at 01:30:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月27日

カント書の図式論、概念と直観の媒介根としての時間というのは極めて重要だが、CA24入手したなら、ぜひ第一部の4つの存在論の問題は後回しにして、第二部から読むとよいです。第一部も読み物として面白いけれど、ハイデガーにとっては主題的ではないので、後回しに読むとよい。@BeTakada

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posted at 01:28:52

2015年12月26日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月26日

というのも、哲学で近代性とは、格律にしても原則にしても存在論にしても、まずは個人の機転や現存在という、いわゆる能力を前提として、その上で集団として何を原則化するのが正しいか、という議論をしているからだ。はじめに個人ありきで、日本のように集団ありきだと、この議論について行けない。

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posted at 20:50:28

2015年12月25日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月25日

簡単に言うと、図式とは概念と直観の媒介項である生産的構想力を齎す脱自的時間のことです。したがって時間を脱自的地平と規定しなければ、概念を直観に媒介する根源図式が描けず、志向性(意識でも統覚でも)が得られないのです。bit.ly/1Ok3d3d @BeTakada

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posted at 03:03:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月25日

すごいなカント書、古書価格 amzn.to/1QOBYnQ が鰻登り、うちでもお宝本扱いです。ちなみに純理のその箇所で、カントが放り投げたことを、ハイデガーは批判してるのです。@BeTakada pic.twitter.com/ica6nYiGKi

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posted at 02:37:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月25日

それでは、入手困難なGA3カント書の超越論的図式性でもお見せしましょうね。カントが労苦だとすると、ハイデガーはもっと労苦にみえるはずです(笑)。bit.ly/1Ok3d3d 純理の引用箇所は bit.ly/1QKluNL @BeTakada

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posted at 02:07:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月25日

カントが労苦ならGA25が特効薬なのですよ。GA24は単に第一部の存在証明の撃退が第二部のテンポラリテートに置き換わるだけで、GA26では一文で、世界(の問題)は無だが、時だけが推論対象だ、という論旨です。@BeTakada カント面倒臭いです^^;

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posted at 01:48:49

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2015年12月24日(木)

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

先述のとおり、カントでは誤謬推論は霊魂や永遠の誤謬性の推論で、それによって客観や心理が措定されているとすれば、ハイデガーでは延長としての客観と非地平的志向性の誤謬性の推論です。それを超越論的図式性というのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 20:53:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

つまり、たとえばフッサールでは共同主観でしかないのだが、ハイデガーでは時の公開性による共有された(純粋客観的な)時で、そこには無終末論=永遠性の誤謬推論の余地が無い、といったようなことです。@BeTakada pic.twitter.com/WoUP1SiCjj

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posted at 20:48:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

つまり、根源的には誤謬推論は、無終末性=永遠を推論することで、それは時が無限だという誤った根拠になってしまっていて、それでは志向意識の可能性の条件である脱自的地平である、共有された時間(時だけが共有されていること)が語れない、という逆説を語っていますね。@BeTakada

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posted at 20:45:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

根源的時への戻りゆき bit.ly/1NNpZ43 で特筆すべきは、時の無終末性の推論が本来的有限な時地平を隠蔽していて、その開示性が志向意識の可能性の条件だ、というところでしょうか。@BeTakada pic.twitter.com/lqbcCtvJqH

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posted at 20:44:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

ページ中抜けがあったから、再スキャンした、版面を自宅コピーして、それをiPhoneスキャンするのだが、めんどい(^-^)/ bit.ly/1NNpZ43 twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 20:07:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

純粋図式論とは、規則(自然法則から法秩序まで)を規定する図式のことですから、図式論が潜勢的だと、いくら憲法のような立派な法規や宇宙の統一理論があっても、グラグラと動揺の振幅が増幅するだけで、ちっとも統一的ではないのでしょう。@BeTakada

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posted at 17:33:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

通俗的時から根源的時への戻り行きとは、志向が超越になるためには、時は反省対象ではなく、地平として根源規定されなければならないが、それはアリストテレスの霊魂規定以来隠蔽され=潜勢し、それを開示=現勢化する必要がある、という方法的要請性のことです。@BeTakada

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posted at 17:24:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

通俗的時から根源的時への戻り行きといえば、GA24第二部第19節『時と時性』後半の『根源的時への戻り行き』をスキャンしておきました。bit.ly/1SdvZsd これ bit.ly/1Nulag3 の続きです。@BeTakada

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posted at 17:21:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

RT @BeTakada 有は時の内にあること、と時は連関し継続することの中に自由は根源的に規定されていると考えていて、ハイデガーは如何にか、のために連関させているのではないか。そこから、また見落とさない様に、次に通俗的な時理解と根源的時への行き戻りに進みたいと思ってます。

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posted at 17:19:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

それは、ご近所の哲学者が、菊池健三の超越論≒動力学では図式的すぎるというのと同じでしょう。ハイデガーは図式は動力学というより、時そのものだといっているのだから。誤謬推論の誤謬推論がないという。@BeTakada

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posted at 17:18:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

カント書で至るカント批判は、カントでは図式論が弱いということに尽きますからね。時をゼロ次元に止揚した後、新カント派はカントを(コペルニクス的)転回してると見做しているし、中田光雄などはハイデガーを再転回というが、実はハイデガーで初めて転回しているのではないか? @BeTakada

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posted at 17:18:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月24日

先言、つまり前提=形而上学は、ハイデガーでは先存在論に対する存在論と転回してるからね。たとえ近代人が分節化~細分化したとしても、古代人の一元論に戻ってしまう。テクネーが圧倒的でも、時規定は古代人よりアホという。単に霊魂規定で時規定が潜勢しただけだからね。@BeTakada

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posted at 17:17:48

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