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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年12月01日(火)

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

予感という超越をあることを、本来的に、どのように物語るのか。回想すれば予感していたことにできてしまう。しかしそれは事実的ではない。@BeTakada

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posted at 15:05:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

だから、真理は単に被覆蔵性の開示です。しかし事実的な回想では罪やトラウマに抑圧される。ハイデガーでは、現存在とは回想をしない者、予感する者です。つまり過去に囚われないことです。それが二元論に囚われない、本来の形而上学なのです。@BeTakada

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posted at 13:51:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

RT @BeTakada ハイデガーはナチスにいた背景と、アーレントを含めたユダヤ人虐殺という現実の中で、命や自由、人権に人権に取り組んでいたのだと私は思います。だからこそ学ぶものも共感できることも多いのだと思ってます。

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posted at 13:51:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

神学から事実性、事実性の被解釈性(歴史)から、時間性へめぐる(転回する)のは、内的必然的なのです。なぜなら、なぜこうなったんだろう、を抑圧する記憶の想起、トラウマのリヴィジョンが今ではないからです。現存在というのはつねに予感してあるものです。@BeTakada

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posted at 13:38:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

RT @BeTakada 神学を学びたい人間は学べば良いと思いますが、形而上学や道徳神学を神学と決定付けられ、政治で扱わないことの言い訳にされると、人権や自由や倫理を無視した実定法で社会を形成しようという輩が必ず出てくる筈です。そうなったらおしまいですね。

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posted at 13:36:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

要はハイデガー初期が、近代化する神学を批判する哲学、という端緒なので、神学を形而上学から捨象した上で語られる、被解釈性の開示~転回~生産的構想力の地平化というのは、信仰を形而上学から純粋化する内的必然性なのです。信仰と哲学を混同するなという。@BeTakada

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posted at 13:26:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

ところで、昨日遊びに来た哲学者は、カント書を読んで、図式論に対する演繹性が不足しているのは、超越と超越論を混同する神学の書だからだ、と感想を述べていたのだが(誤読に聞こえたが)、彼は現在、プロテスタント教会に異教的な論文を送り、破門されそうなんだそうだ。@BeTakada

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posted at 13:16:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

しかし、これは何もむづかしいことではない。臨床学的に言うなら、あの世はないが神はいる、ということの倫理性です。じつは、セカチュウを物語として認めたのは、原作ではとくにそれを直接物語っているからです。@BeTakada

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posted at 13:12:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

こうした、近代認識論(真理)が形而上学的には非本来的な歪みを伴う、ということをハイデガーが暴露したわけだが、これをなかなか受け取れなかったのでしょう。日本でもごく最近まで、直接的なパニックを引き起こしていた。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 13:10:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

被解釈性は、眼の前のコップが、コップだと先学的に了解できることです。しかしそれは文化的歴史的な刷り込みにすぎない。その最たるものが、とくにデカルトによる、心身二元論という真理の規定の仕方なのです。@BeTakada pic.twitter.com/P9wUE28fyR

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posted at 13:02:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

生産的構想力が超越論の内的必然的地平でなくなることと、被解釈性=隠蔽が開示されないことは、同一です。被解釈性は心身二元論という人為的刷り込み、つまり歴史です。こうしたパースペクティブで語られているのでしょう。@BeTakada

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posted at 12:59:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

しかし、こうしたハイデガーの読みは、ごく最近のものです。カント書を内的必然性と読めないと、カント以上にハイデガーが非形而上学、神学に見えてしまう。生産的構想力が超越論の内的必然的地平である、という根拠律の問題は、基礎存在論が被解釈性を開示して可能になった。@BeTakada

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posted at 12:56:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

初期ハイデガーからカント書までは、神学の峻別、形式的告示、基礎存在論による被解釈性=隠蔽の開示、メタ存在論への転回、隠蔽された時間規定の地平化、という理路で同一律から根拠律、真理から開示への理路が辿られる。これを形而上学ではなく神学と捉える認識論が転倒なのです。@BeTakada

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posted at 12:52:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

カルテジアンは、ライプニッツでは同一律(等式)の判明さである真理という言い方に囚われてしまうけど、真理とは、被解釈性(歴史的刷り込みとしての心身二元論)という隠蔽を開示することで、それがなされると形而上学は単なる規定論(公理)になる、という程度の話でしょう。@BeTakada

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posted at 12:48:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

ハイデガーが行う形而上学の正常化、転回というのは、端的にデカルトが陥った二元論、それはハイデガーでは基礎存在論なのだが、そうした被解釈性からの転回ですよね。被解釈性の最たるものが心身二元論です。それは歴史性、つまり人為的な刷り込みだというわけです。@BeTakada

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posted at 12:38:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

ハイデガーは、神学と形而上学との峻別を問題にしていますよね。もちろん神学や、あるいは信仰はべつにあっていいのだけれど、それで形而上学を歪めるな、という端的な事を言いたいんだと思います。カントを形而上学と捉えられない歪みが、信仰の問題も歪めてしまう。@BeTakada

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posted at 12:33:40

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