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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年12月07日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月7日

伊豆行き電車、もうすぐ熱海。今日はマリンセーラー服ルック。三島駅前セーラー服だらけだから対抗。時推論で霊魂推論を演繹パズルしてたら、もう脱関東。こういうパズルが一番好き(^-^)/ pic.twitter.com/PdAaGCTyOW

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posted at 07:06:30

2015年12月06日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月6日

たとえば、霊魂の不滅の誤謬推論があるから客観があるのではなく、根源的直観=客観があるから、霊魂の不滅を誤謬推論してしまった、というようなことが読めるということなのだが、こういうのをやると必ず嫉妬されてしまうので、私は最近困っているのだ。しかしそれは思想や態度の問題ではない。

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posted at 03:10:53

2015年12月05日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

要するに、日本では小説家だけが、こうした本質的な問題に直面する当人なのです。読者も共同作業するが、読まない者は、この問題の蚊帳の外で、ドグマ的反省に微睡んでいるのです。@BeTakada

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posted at 18:42:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

あるいは、周りに小説家が多いので、東浩紀の破綻点である、ハイデガーのアナクシマンドロス論、二重襞の問題から、東のフロイト的な問題を解体するか。これは日本固有の私小説性の問題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 18:40:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

今考えている読解方針は、GA3カント書の人間学的転回、GA24テンポラリテートの学的企投、の再読か、GA21論理学~真性への問いを入手して、GA26の真正さから読むか。@BeTakada

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posted at 18:39:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

ところで、語りは散逸することですね。ハイデガーでは取り纏めることだけど、ハイデガーの語り自体が散逸的。ドグマからの転回が語られた今、ハイデガーのどこを取り纏める話題を聴きたいですか? @BeTakada

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posted at 18:36:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

しかしサイレンス=沈黙は、政治的な問題ではない。今とか瞬間とか刹那とか、そう反省した時点で、既にそれらが今でも瞬間でもなく、儚さも、儚いと反省した時点で、永遠になるという沈黙です。これらを語るのが文学だ、という転回をハイデガーが遂行したことが重要なのです。@BeTakada

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posted at 18:10:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

今をドグマで反省意識する時間を生きる者は、非現存在者であり、言表ではなく沈黙を当為する者だ、としましたが、そこで面白いのがサイレントマジョリティーと重なるところです。彼らはドグマを生きているから沈黙するのです。@BeTakada

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posted at 17:54:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

想起は今を生起~現前させない。それは神の想起でしか無い。それが非現存在という意味です。twitter.com/sunamajiri/sta... ドグマに頽落した者は現存在たり得ないのです。非現存在者=沈黙者とは、今を反省意識する者です。@BeTakada

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posted at 17:51:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

対自的時間を無とすると、脱自的時間が有になるのです。時間を意識できるという対自性はドグマです。それは想起的今が全て因果律に頽落し、第一原因なくしては、ありえない今を語るドグマだということです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 17:46:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

非本来的無とは、弁証法的止揚のことです。そこでは時間は空間と止揚される点性=無ですらある。これは対自的時間です。本来的無とは、こうしたドグマによる沈黙を予備学が解消する作業概念であり、時間をどう企投するか、という問題だけが有として残るというオントロギーです。@BeTakada

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posted at 17:42:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

このように、転回の内的必然性は領域存在論ではない。沈黙から言表へ、ドグマから当為へ、有神論から無神論へ、オンティッシュからオントロギーへ、同一律から根拠律へ。その要となったのが、無の厳密化でした(GA26-252)。@BeTakada

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posted at 17:37:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

沈黙から語りへの転回 togetter.com/li/908389 は、このようにドグマが沈黙させるオンティッシュから、言表という当為、オントロギーを得るための方法的懐疑です。これを沈黙させるのは極めて危険なのです。@BeTakada

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posted at 17:27:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

反省は言表ではない。つまり、潜勢は沈黙という当為です。オンティッシュというのは、おそらく有神論的形而上学です。反省は神を反省するのです。こうしたドグマに対して、オントロギッシュというのは、言表を当為とする無神論的形而上学と言い換えてもよい。@BeTakada

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posted at 17:24:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

なお、語りだけが現勢的というのは、語りは反省のような潜勢の対極だからです。反省は言表ではない。潜勢的反省では現勢的語りを蝕むドグマが騙られてしまう。そうしたオンティッシュからオントロギッシュへ。@BeTakada

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posted at 17:14:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

こうした方法的懐疑の方針化、というハイデガーの方法を、ドグマ的形而上学に対する本来的形而上学と読むことから、ハイデガーのより単純な言い方、オンティッシュからオントロギッシュへ、と読み直さなければならない。ドグマが解明されたら読みなおすことが出来る。@BeTakada

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posted at 17:12:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

私たちはつい、二元論、つまり潜勢的規定を前提して語ってしまうのです。しかし、こうしたオンティッシュには根拠がなく、単なるドグマだというのが、ハイデガーの予備学が持つ方法的懐疑です。オントロギッシュとは、ドグマを括弧に括る語りの方法化=実践のことです。@BeTakada

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posted at 17:09:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

ハイデガーの言うオントロギッシュ(存在論的)というのは、非常にシンプルで、ドグマとなった潜勢的規定(二元論)を予備学で駆除して、当為である語りの実践に徹する=現勢する=現前することです。@BeTakada

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posted at 17:03:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

togetter.com/li/908389 で明らかにしたように、ハイデガーの方針というのは、ざっくりというと、オンティッシュ(存在的)なものは、すべてカントが厳密化した潜勢的規定(二元論)、つまりドグマであるということです。これが予備学(形而上学)。@BeTakada

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posted at 16:59:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月5日

さて今後のハイデガー読解はより方針的に。ハイデガーは誰よりも方針的ですね。彼の予備学は方針そのものです。したがって、ハイデガーを読むためには、自覚的に方針を常に確認しなければならない。@BeTakada

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posted at 16:56:13

2015年12月04日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

このように、転回の内的必然性、つまり順序性に近づけないことは、宗教そのものです。信じて救われるしかない。もし信じないのであれば、真正な順序で転回する以外、あとは価値を当為する以外に、道は皆無と言わざるをえない。それが現代社会です。@BeTakada

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posted at 05:44:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

なぜならば、救済は宗教という全体の問題ではないからです。それでは人は沈黙してしまい、価値や事実性を当為するしかない。価値だけが語られる今の日本は西田が齎したのでしょう。それは心身二元論という頽落した形而上学から、真正な順序で転回し、当為を得られていないからです。@BeTakada

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posted at 05:33:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

転回とは端的に、心身二元論である実在論、デカルト~ヴォルフ的な頽落した形而上学 twitter.com/sunamajiri/sta... によって沈黙することから、真正な仕方で形而上学を語る=実践=当為することへの転回です。おそらく西田はこれが転倒しているのだと思う。@BeTakada

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posted at 05:25:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

このように、基礎存在論は事実的実存が、日常の被解釈性(心身二元論という文化的な刷り込みtwitter.com/sunamajiri/sta... )を暴くようになるのだが、しかしそれでも開示できないのが時間性なのです。転回とはこの時間性を当為する語り方のことです。@BeTakada

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posted at 05:20:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

リッカートの当為は価値のことだが、ラスクはそれを事実的世界、生にする。それを批判的継承するのは西田もやってるのでしょうが、ハイデガーはそこから順序性=転回を取り出したのでしょう。添付は『はじまりのハイデガー』。@BeTakada pic.twitter.com/CuJvnX2ULq

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posted at 05:13:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーのリッカート批判のあらましは、こんなところです。リッカートの実践理性が理論理性に過ぎず、前理論的な事実性、つまり基礎存在論たりえないということです。ハイデガーの転回は、この基礎存在論からの転回です。@BeTakada pic.twitter.com/wV0yasRfxK

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posted at 04:57:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

さて、真正な順序、つまり転回の話に戻りましょう。ハイデガーは西田のように宗教に転倒(頽落)しない。それは真正な順序を語っているからです。転回は明白にフッサールの形而上学性からの転回だと私は思うが、その転回前には西田が格闘したリッカートとかがいるわけです。@BeTakada

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posted at 04:54:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

端的に、カントの構想力を、ヘーゲルやマルクスのように語れば、第一原因や実体としての神が想起されてしまう。ハイデガーは実体を語らない方法を語ることで、神を意味化しているのです。その違いはあまりにも大きい。@BeTakada

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posted at 02:28:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

日本の現代状況で何が問題なのかは明白で、対自態(神を語ること)からの脱却を、想起の方法と経験的に語った誤謬を辞めることです。その全てがハイデガーに順序として書き込まれているのは間違いないのです。それが本来的形而上学への転回でしょう。@BeTakada

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posted at 02:24:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

想起として今時間を反省する対自態とは、第一原因を語ることです。新カント派を駆除しようとするアメリカと違い、日本で西田しか伝承されていないのは悲惨で、それに対抗しようとフロイトで想起を方法化したりしたが、ハイデガーの方法は、忘却には方法が要する、ということです。@BeTakada

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posted at 02:19:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ゼロ年代以後、日本の思想状況が悲惨なのは、誰も東浩紀のアナクシマンドロス論が、柄谷のハイデガー無理解への端的な批判になっていた、というのを見て取れていないということです。それで思想も文学も停滞しただけだと私には見える。たいして重症ではない。@BeTakada

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posted at 01:58:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

それは端的に、反省が踏まえる素朴な形而上学を、事実性として括弧にいれることができない、という転倒です。ハイデガーはその全てを括弧に入れて、形而上学自体を転回してしまっているということです。@BeTakada

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posted at 01:55:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

柄谷行人は、そのアメリカ譲りなところがあるのだが、転回を理解していなかった。坂部恵にカントは構想力だと言われて形而上学に転回 twitter.com/sunamajiri/sta... してしまったが、まだ非本来的形而上学に頽落している。ハイデガーにはそれがない。@BeTakada

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posted at 01:50:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

去年のハイデガー読本は新視点と評判がいいらしいですね。それだけハイデガーの転回が日本で誤解されて受容されていたのでしょう。アメリカのハイデガリアンは移民した新カント派を直接批判しているけど、日本には新カント派というより西田しかいなかったわけで気の毒です。@BeTakada

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posted at 01:49:42

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

アメリカのハイデガリアンが鋭いのは、ハイデガーが駆除した新カント派がアメリカに移民してしまい、それを駆除する必要があるからだと思うのだけどね。日本にはその影響が間接的すぎるので、益々見えづらいのです。@BeTakada

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posted at 01:34:20

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

そうですね。しかしフーコーですら語りの主導権を握っていない。ヘーゲルから語りの主導権を奪ったのはハイデガーです。それは形而上学的転回に明確に触れたからです。そこでは、反省する者は単に頽落した形而上学者です。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーはGA26~GA3の人間学の転回(形而上学の本来化)以後、アナクシマンドロスの二重襞を問題にする。東浩紀が博論で書いているのは、アナクシマンドロス二重襞から日本の私小説を解体するという一点なのです。つまり事実性をハイデガーのように語ることです。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

それは哲学を読まない読者になら、日本特有の私小説の語られ方のことだと言えば、大抵は合点できるんです。事実性を事実性として語ること。ハイデガーの転回というのは事実性からの転回、つまり私小説から語りが転回することだからです。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

これは語り中心主義なのです。誰が語り(順序)のイニシアティブをとっているのか。西田の語りがイニシアティブであるのかを疑問視する日本の現代思想からは、ハイデガーは語り方と自覚されているのもそのためです。それが東浩紀の博論の問題です。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

リッケルト批判の観点からは初期の問題から見なければならない。フッサールの内的時間意識ならGA26から見なければならない。しかしハイデガーには順序のイニシアティブがあるんですよ。ハイデガーの順序で語らなければ転回は無意味、転倒です。@BeTakada

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posted at 00:49:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーはヘーゲルが自己反省を素朴に形而上学している、という批判を、フッサールの内的時間意識の素朴実在論を指摘することで、地平=体系というわけだけど、リッケルトやフッサールは指導教官なわけで、はっきりそういわないわけです。しかし順序ってものがある。@BeTakada

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posted at 00:47:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

順序性を明らかにするのは常に真正な順序性なのです。ハイデガーですらぎりぎりこの順序性が散逸的なのです。しかしGA3カント書で、本来的形而上学に取りまとめられているので、その順序性を度外視すれば、すべて非本来的形而上学への頽落です。@BeTakada

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posted at 00:39:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

その脱自態の内実は、素朴な反省ではなく、時性であり、それは想起時間という原因性ではなく、予感のような現存在の超越の仕方=方法である、という問い方がハイデガーのテクストに散逸しているので、それを取り集めればいいだけです。しかしそれを怠ると単なる宗教です。@BeTakada

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posted at 00:36:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

なので、転回の内的必然性というGA26(事実性の基礎存在論から脱自態への転回)を、三種の綜合(GA25)の根とするのが根拠律であり、カントの人間学は本来的に、そのような形而上学だ、というGA3の順番でなければ、このことを話題にすることは不可能です。@BeTakada

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posted at 00:33:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーの転回というのは、語り方=方法的懐疑の自覚性のことだと先述しましたが、それは哲学ではなく哲学の語り方としての文学への転回です。私は文学の側なので、哲学的態度という問題からは転回しているからこそ、本来的形而上学を話題に出来るだけの話です。@BeTakada

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posted at 00:30:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

たとえば、bit.ly/1LRciik は、ハイデガーでは事実性の基礎存在論であるからこそ、本来的な形而上学への転回ということが問題になったわけで、転回を無視したら、単なる宗教ですよ。bit.ly/1PzWMPR @BeTakada

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posted at 00:27:38

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