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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年12月01日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

ハイデガーは、神学と形而上学との峻別を問題にしていますよね。もちろん神学や、あるいは信仰はべつにあっていいのだけれど、それで形而上学を歪めるな、という端的な事を言いたいんだと思います。カントを形而上学と捉えられない歪みが、信仰の問題も歪めてしまう。@BeTakada

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posted at 12:33:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

ハイデガーが行う形而上学の正常化、転回というのは、端的にデカルトが陥った二元論、それはハイデガーでは基礎存在論なのだが、そうした被解釈性からの転回ですよね。被解釈性の最たるものが心身二元論です。それは歴史性、つまり人為的な刷り込みだというわけです。@BeTakada

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posted at 12:38:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

カルテジアンは、ライプニッツでは同一律(等式)の判明さである真理という言い方に囚われてしまうけど、真理とは、被解釈性(歴史的刷り込みとしての心身二元論)という隠蔽を開示することで、それがなされると形而上学は単なる規定論(公理)になる、という程度の話でしょう。@BeTakada

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posted at 12:48:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

初期ハイデガーからカント書までは、神学の峻別、形式的告示、基礎存在論による被解釈性=隠蔽の開示、メタ存在論への転回、隠蔽された時間規定の地平化、という理路で同一律から根拠律、真理から開示への理路が辿られる。これを形而上学ではなく神学と捉える認識論が転倒なのです。@BeTakada

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posted at 12:52:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

しかし、こうしたハイデガーの読みは、ごく最近のものです。カント書を内的必然性と読めないと、カント以上にハイデガーが非形而上学、神学に見えてしまう。生産的構想力が超越論の内的必然的地平である、という根拠律の問題は、基礎存在論が被解釈性を開示して可能になった。@BeTakada

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posted at 12:56:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

生産的構想力が超越論の内的必然的地平でなくなることと、被解釈性=隠蔽が開示されないことは、同一です。被解釈性は心身二元論という人為的刷り込み、つまり歴史です。こうしたパースペクティブで語られているのでしょう。@BeTakada

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posted at 12:59:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

被解釈性は、眼の前のコップが、コップだと先学的に了解できることです。しかしそれは文化的歴史的な刷り込みにすぎない。その最たるものが、とくにデカルトによる、心身二元論という真理の規定の仕方なのです。@BeTakada pic.twitter.com/P9wUE28fyR

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posted at 13:02:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

こうした、近代認識論(真理)が形而上学的には非本来的な歪みを伴う、ということをハイデガーが暴露したわけだが、これをなかなか受け取れなかったのでしょう。日本でもごく最近まで、直接的なパニックを引き起こしていた。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 13:10:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

しかし、これは何もむづかしいことではない。臨床学的に言うなら、あの世はないが神はいる、ということの倫理性です。じつは、セカチュウを物語として認めたのは、原作ではとくにそれを直接物語っているからです。@BeTakada

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posted at 13:12:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

ところで、昨日遊びに来た哲学者は、カント書を読んで、図式論に対する演繹性が不足しているのは、超越と超越論を混同する神学の書だからだ、と感想を述べていたのだが(誤読に聞こえたが)、彼は現在、プロテスタント教会に異教的な論文を送り、破門されそうなんだそうだ。@BeTakada

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posted at 13:16:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

要はハイデガー初期が、近代化する神学を批判する哲学、という端緒なので、神学を形而上学から捨象した上で語られる、被解釈性の開示~転回~生産的構想力の地平化というのは、信仰を形而上学から純粋化する内的必然性なのです。信仰と哲学を混同するなという。@BeTakada

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posted at 13:26:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

RT @BeTakada 神学を学びたい人間は学べば良いと思いますが、形而上学や道徳神学を神学と決定付けられ、政治で扱わないことの言い訳にされると、人権や自由や倫理を無視した実定法で社会を形成しようという輩が必ず出てくる筈です。そうなったらおしまいですね。

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posted at 13:36:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

神学から事実性、事実性の被解釈性(歴史)から、時間性へめぐる(転回する)のは、内的必然的なのです。なぜなら、なぜこうなったんだろう、を抑圧する記憶の想起、トラウマのリヴィジョンが今ではないからです。現存在というのはつねに予感してあるものです。@BeTakada

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posted at 13:38:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

RT @BeTakada ハイデガーはナチスにいた背景と、アーレントを含めたユダヤ人虐殺という現実の中で、命や自由、人権に人権に取り組んでいたのだと私は思います。だからこそ学ぶものも共感できることも多いのだと思ってます。

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posted at 13:51:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

だから、真理は単に被覆蔵性の開示です。しかし事実的な回想では罪やトラウマに抑圧される。ハイデガーでは、現存在とは回想をしない者、予感する者です。つまり過去に囚われないことです。それが二元論に囚われない、本来の形而上学なのです。@BeTakada

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posted at 13:51:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月1日

予感という超越をあることを、本来的に、どのように物語るのか。回想すれば予感していたことにできてしまう。しかしそれは事実的ではない。@BeTakada

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posted at 15:05:30

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2015年12月02日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

今は言表する前にすぐに過去ですからね。予感はそれよりも速力がないと追いつけない。当然、過去に流れ去ったものは、すぐに滝のように第一原因に吸い込まれ、現存在が生起されない、なんて言い方はどうかしらね? 夢に見そうだ。@BeTakada twitter.com/BeTakada/statu...

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posted at 02:53:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

それがパズルよ。ジャズミュージシャンにとっては自明だし、文学にとっては時間論は単なる小説作法という手法上の問題なのに、形而上学者にとっては大問題なのよ。@LitoSnowfield これ難しいんですよね〜…すぐ先の未来が今になる…というか? パズルみたいで書き表すのが難しいです

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posted at 10:26:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

時間を言表する差延のことよ。言表すると今ではなくなっている。だから、言表は未来から来てるのよ。未来を先駆するのが意識。それが、ハイデガーのいう超越する存在者としての現存在。予感する者、あるいは気後れしない者。@LitoSnowfield

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posted at 10:28:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

文を発するのが時間的なのよ。一文でも主語だけならまだしも、述語をいいきるのはわずかに未来でしょ?予感してなければ判断文を言表できない。人間の意識は想起=過去把持(内的時間意識)というより、未来なら到来してるのよ。@LitoSnowfield

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posted at 10:29:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

今は今、今とは言えない。それが脱自的本来的時間。今と言えると仮定するのが即自的時間=非本来的形而上学=通俗時間なのよ。ハイデガーは、未来から訪れる、未来に先駆するのが現存在=意識で、過去を想起するだけと思い込んでいるのは、非現存在とただ言っているだけ。@LitoSnowfield

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posted at 10:30:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

超越も、主観の対象への延長のことではなく、時間を意識が志向対象にしようとすると、先駆が起こっていて、それが超越という現象、脱自態というのよ。つまり、人間は未来しか意識(志向意識)できないのだ。@LitoSnowfield

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posted at 10:31:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

プラトンもアリストテレスもフッサールも、過去把持、つまり忘却の想起を時間と非本来的に規定している、それは論理的ではない、というのがハイデガーの超越論=批判なのよ。すごくシンプルなのよ。西欧文明で一番シンプルなのがハイデガー。@LitoSnowfield

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posted at 10:32:03

辻井 勝 Katsu Tsujii @aoinatsunosora

15年12月2日

@sunamajiri Husserlは〈現在〉とは過去把持と未来予持を外延とした庭のようなものだと言ってたような。

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posted at 10:34:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

ご存知のように、デリダになるとこうした差延は、自分の話し声が自分の耳に聞こえる時差のことになったり、そうやってフッサールの内的時間意識の現象学を批判するのが、文字通りの脱構築なのよ。ハイデガーはもっとシンプルだが。@LitoSnowfield

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posted at 10:34:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

それで、この言い方をしたのよ。予感があるといえるのは、過去を振り返ると、予感してたと過去形で語れるからだが、それは事実的実存的ではない一般論で、生々しい予感してることは過去形で語れない。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 10:35:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

いわば言表の原因を過去に求め神を語るのが非本来的形而上学。言表原因を未来と学問するのが本来的形而上学。@LitoSnowfield

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posted at 10:36:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

形而上学は必ず人と神とか、一般と特殊とか二分されるが、本来的に分類すると、そのように時間を主題に哲学することが本来的形而上学で、それを怠る旧来の形而上学と区別さるる、という議論の場が存在論ね。@LitoSnowfield

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posted at 10:36:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

形而上学だからね。ハイデガーでは地平、フッサールでは自我極の素朴実在論である、というハイデガーのメタ存在論は。twitter.com/sunamajiri/sta... @aoinatsunosora

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posted at 10:39:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

と、寝起きにLINEで返信したのを転載した。ジャズミュージシャンにも小説家にも、こんなものは屁ではないが、形而上学者には大問題だったのだ。ハイデガーがそれを屁にしたのだろうが。(^-^)/@LitoSnowfield pic.twitter.com/bTi0PstT7w

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posted at 10:43:26

辻井 勝 Katsu Tsujii @aoinatsunosora

15年12月2日

@sunamajiri 切れ味悪いんですよね。

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posted at 10:44:52

辻井 勝 Katsu Tsujii @aoinatsunosora

15年12月2日

@sunamajiri あの切れ味の悪さにはまっちゃう人も多いんですよね。笑

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posted at 10:49:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

そうそう。あれがたまらんよね(笑)。あの切れ味の悪さを取り払うと、現代人の普通の日常なんだけどね。まあ中世人が聞くとぶっ飛ぶんでしょうか?(笑)。@aoinatsunosora あの切れ味の悪さにはまっちゃう人も多いんですよね。笑

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posted at 10:52:25

辻井 勝 Katsu Tsujii @aoinatsunosora

15年12月2日

@sunamajiri なんにせよ巨人ですから取り組み甲斐があるんでしょう。自分はMP読みとしてハイデガーを別の意味で愛してます。

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posted at 10:54:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

そうそう、フォロワーから切れ味の悪さを取り払ってと要求されるから、身も蓋もなくしてあげてるけど、あれは読み応えがあるのよ。いまはカント書までをいってるけど、戦後の形而上学入門のパルメニデスをとっても、アナクシマンドロスの箴言とっても、うっとりする。@aoinatsunosora

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posted at 10:59:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

はやく、二重襞の話にしたいのだが、その過程を楽しまなきゃね(^-^)/ @aoinatsunosora

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posted at 10:59:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

実存の事実性から思惟(基礎存在論)してしまうと、存在論的差異だが、事実性から転回してしまえば、現前するものの現前することという二重襞の、自己隠蔽のことだ、という語り方の方が、シックリくるんだよね。それが戦後だし。さもないとお隠れになる。

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posted at 12:23:11

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

「二重襞」はハイデガーの戦中戦後のアナクシマンドロス論に出てくる「現前するものの現前すること」、つまり動性のことで、存在論的差異を文字通り転回したものと思えますが、GA26のカントの「われわれの外」の二重性との関連まで、私は意識していなかった。@BeTakada

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posted at 17:55:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

GA26のカントの「我々の外の二重性」、つまり物自体と現象は、非本来的形而上学である素朴実在論が強いる、根源的直観=客観という神の視点で語ることの困難で、ハイデガーの転回は、神の視点では語れないことを語るための、生産的構想力を問題にしていたのです。@BeTakada

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posted at 18:02:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

カント書後のアナクシマンドロス論は、従来は法的(カント的)に誤訳された古代ギリシャの箴言(詩)を、現前の動性=時性の方法として、翻訳し直す議論です。現前するものの現前すること、という二重襞は方法的懐疑の別名です。@BeTakada

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posted at 18:08:06

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年12月2日

@sunamajiri @BeTakada
こんばんわ。丁度、アナクシマンドロスについて考えていたところでした(^^)/
人間のアルケーは火でも水でも土でも空でもなく、それ以上に考えるコトではないかと思ったりします。(∩´∀`)∩
twitter.com/inja650rr/stat...

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posted at 18:11:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

ロゴスからミュトス、つまり遡行は、時間論でしか語れないんです。想起を語ると、それは全て第一原因のことです。しかし脱自的時間を語ると、それは現存在の生起。しかし、二重襞は、現前の自己隠蔽、お隠れです。それが方法的懐疑のことだ、というのが戦後のハイデガーでしょう。@BeTakada

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posted at 18:21:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

そうそう、つまりデカルト以後でいうところの方法的懐疑よね。ハイデガーはそれを厳密にやりまくるよ。戦中戦後だけど。戦時中そればっかり没頭してたらしい。@inja650rr それ以上に考えるコトではないかと思ったりします。(∩´∀`)∩ @BeTakada

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posted at 18:29:23

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年12月2日

@sunamajiri @BeTakada
デカルトの時代には「我想う故に我あり」
…という事すら赦されていなかったのかもしれないと僕は思います。
つまりそれは「思想の自由」の制限だったのではないかと思うのです。

twitter.com/inja650rr/stat...

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posted at 18:35:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

宗教的検閲だものね。それで素朴実在論、つまり思考停止が蔓延したのだろうが、ハイデガーでは真理というのは、そういう隠蔽を解体することなのよ。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr @BeTakada

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posted at 18:50:53

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年12月2日

@sunamajiri @BeTakada
はいスッキリします。
本質を隠蔽し、
想像(imagine)をさせない為の方策が、当時は検閲、或いは異端審問という制度だったのかもしれませんね。

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posted at 19:05:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月2日

あらましをいうと、ハイデガーは転回までは、真理は同一性のことではなく、隠蔽されたものの開示だ、生産的想像力だ、と論証しようとしていて、転回後は、開示を実践しまくる、といった按配。@inja650rr 想像(imagine)をさせない為の方策が、当時は検閲 @BeTakada

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posted at 19:09:29

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