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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年12月17日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

そこ bit.ly/1Nulag3 は時性の序の口、脱自態どころか自然時と世界時にも至っていない。お尻から喋ってくれれば数行で収まることかもしれない。回りくどいのは、それをしないとおそらくまた現象と物自体の二重性に引き戻されるからでしょう。@BeTakada

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posted at 21:39:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

そうそう、西欧化したらみんな年増になっちゃったのよー(^-^)/ @J_J_Kant 『赤とんぼ』では「十五で姉やは嫁に行き…」ですからね。これは数えだろうから今なら14歳ですね。ちょっと前まではこれが自然だったんですよね。

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posted at 21:42:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

ハイデガーの主題というのは、カントで極限化した二元論の解消として、時を持ち出していることだからね。時から語れば、そもそも二重化が起こらない、ということなのだが、しかし大抵時から語り始めると、アリストテレスのように通俗時間を語ってしまうのだ。@BeTakada

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posted at 21:47:44

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

時は語りの根(根源)でしかない、という主題(一元論)について語っているのであって、物自体と現象(二元論)を根として語らないことが、語られているのだ。~するための時を地平とするために語ること。@BeTakada

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posted at 21:55:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

その直後のGA24-366では、そうした二元論のような時把握こそ、沈黙に値するものであって、語りとはそう語らない方法のことだ、と示唆するほどですからね。@BeTakada pic.twitter.com/C2nzYcLxcN

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posted at 22:08:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

要するに、近代的な方法的懐疑は、ヘーゲルのような長ったらしい序文を書かせるのです。ハイデガーの回りくどさは、むしろそれらが原因です。むしろ本題である、語りの根に突き進もうとしている。それが本来の方法的懐疑だからでしょう。@BeTakada

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posted at 22:10:59

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

簡単に要約してしまえば、現存在が反省対象でない自己であるように、今という時も眼前の対象ではないが、今は必ずしも自己ではない、ということを語っているわけです。しかしここから語り始めると、必ず二重襞に落ち込むのです。それを避けるためにどうするか、と語っているのです。@BeTakada

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posted at 22:17:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

脱自的時間というのは、GA24-366にあるように、時をいうことで間接的に現存在たりえることです。時をいわなければ現存在たり得ない、非時的反省対象としての自己に頽落するのです。それでは語りとしての沈黙なのです。@BeTakada pic.twitter.com/3Y93IzogLF

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posted at 22:22:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

近代的な方法的懐疑が、長ったらしい序文に頽落したのも、時を通俗的に捉えて、本来的な時を語ることで間接的に現存在たり得ることから頽落してしまったからです。それは謂わば非本来的な反省なのです。ハイデガーのカント書の純粋図式論とはそこを突いているのです。@BeTakada

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posted at 22:27:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

GA24は、GA26のメタ存在論への転回の以前です。だからまだ内時・外時性、自然時に対する世界時を引き合いに出している(基礎存在論です)。それはあくまでアリストテレスの魂が時の規定かという範疇論の圏内ということです。ハイデガーの転回は純粋図式性への転回です。@BeTakada

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posted at 22:36:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

時によって間接的に現存在たり得る、という超越の問題は、先日も言ったように、日本では伝統的に、虚心とか無私といった禅的なものに近いのです。しかし、ただ虚心というだけでは、その境地に達することが出来ないのです。ハイデガーはその境地を方法化しようとしている。@BeTakada

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posted at 22:39:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

アインシュタインを批判してベルクソンとフッサールの時論になることをハイデガーは直接批判しているのだが、おそらくハイデガーはアインシュタインの形而上学を非本来的と言いたいんだと思います。@BeTakada アインシュタインは、物理は如何にかだが、何故かと考える必要があると言っていて

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posted at 22:45:57

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月17日

カントが動力学的 twitter.com/sunamajiri/sta... に晩年はエーテルの話しかしなくなるからね。おそらくハイデガーはそこまで射程に入れて、カントは純粋図式性に達していない、と言っているのだと私には直感できる。(笑) @BeTakada

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posted at 22:59:05

2015年12月18日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月18日

とかく、物理現象でないものを物理現象のように錯覚することがあるのだが、その最たるものが時間であること、しかも時間の不可逆、時の矢ですら、物理現象とはいえない、というのが面白いね。@BeTakada

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posted at 02:04:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月18日

ハイデガーはアインシュタインを時間規定=図式の誤謬と捉えているように思えるのだが、物理学の方は常識では物理現象と思っていた時間が、物理現象ではないと発見しているので、それを常識的に通俗時間と思うと、おそらく図式性=主観性に歪みを来すのだからね。@BeTakada

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posted at 02:09:40

2015年12月21日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月21日

意外と単純なんですよ。自発的に時間をより前とかより後というと、倦怠であるような日常を、超出してしまって、そんなところには人間はいないよ、といっているだけだから。ただ大抵の人は、そのハイデガーの語りを拾い読みして転倒してしまう。要約すれば至極単純です。@BeTakada

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posted at 07:52:31

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2015年12月22日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

RT @BeTakada あと少しで、頂いた資料を読み終わります。近づいては遠ざかり、また近づいては遠ざかってます。基礎的オントローギッシュを、頭のど真ん中に置いて見失わない様に、何とか読んです。ハイデガーの全集読破、理解しようと思ったら3、4年はかかりそうですね

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posted at 14:25:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

一元論とか図式論というのは、シンプルでラディカル(根源的)なはずなのに、二元論や範疇論と比べると、概念化という点で、やたらと迂遠に聴こえますからね。勿体つけて喋ってるように聴こえますね。@BeTakada

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posted at 14:28:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

先日のブログに「世界は意識されなければ存在しない。よって、存在によって存在者が成り立っているという、ほとんど神学的な創造論に近いこのフレームを認識できない動物たちは存在者ではあっても、存在了解を持つ者としての現存在ではないのである。」とありましたね。@BeTakada

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posted at 14:32:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

現存在と並んで時間は、この志向対象とはならないわけです。現存在とは対象ではないことです。同じように、時間も対象ではないことです。しかし、時間は自己でもない。自己が反省対象にならないのはわかるとして、自己でない時間も反省対象でない。このことが問題なわけでしょう。@BeTakada

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posted at 14:34:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

極論すれば、自己を反省対象とする非現存在は人間どころかむしろ動物的だが、さらに時間を反省対象とする自己は、まず自己をも反省対象としてしまう。それをしないこと、というのが脱自態の総体のようなものでしょう。@BeTakada

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posted at 14:35:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

現存在というのは、文字通り、今現前のことで、より前やより後、あるいは過去や未来ではなく、今そのものを現前させることなわけですから。@BeTakada

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posted at 14:36:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

さらに、形而上を形而下で考えるのも、時間という点では無意味です。物理学にとっては時間は現象ではなく、単に数えることです。しかしそうした数という外部性には、今現前という時間の総体がないのです。時間は物理現象ではない。しかし今現前はあるのです。@BeTakada

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posted at 14:40:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

RT @BeTakada いまだ、ないともうない、の様に今には延びがあると云うのは、正しいと思います。有るものは、いまだない、から、その瞬間(静止)に生起(今-継起)し、死という一方向に向かい、いまだない-すでにない、を繰り返し、もうない(死-静止)となるのだと読み取りました。

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posted at 14:41:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

基礎存在論、つまり事実的実存、日常の被解釈性には、死の決意性という問題群が必要だが、メタ存在論、つまり図式論へ転回してからは、事実性どころか決意性という形式的告示は要請されていないのです。@BeTakada もうない(死-静止)となるのだと読み取りました。

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posted at 14:43:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

それは物理学(形而下学)です。RT @BeTakada 物理でいうところの電子時計の働きと、或るものから或るものへ、何かから何かへは同じ意味で、不足性を補い合う電子時計の様なものだとアリストテレスもハイデガーもアインシュタインも理解していたのではないかと私は考えました。

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posted at 14:44:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

RT @BeTakada また世界には量子や光物質や音などが人間よりも遥かに速いスピードで電子のやり取りを行っているわけであり、全てのものが自然のアプリオリな働きの中にあるのですから、今は、現存在の眼前にあるという事は説得力があると考えます。

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posted at 14:46:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

RT @BeTakada 今それ自身が移行性質の中にある、という事がそれを裏付けていると思います。

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posted at 14:47:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

RT @BeTakada さらに、動物が全て因果関係の中に有るかと言えば、或るものに出会う(捕食物も含め)ことや、自然が現前の因果関係ではないのですから、動物其々が、まだない今を「直感-判断」していると考える事がまた自然であり、非現存在であると言うのは説得力がない様に思います。

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posted at 14:47:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

それが範疇論です。 @BeTakada ハイデガーを読んでいて時々解らなくなるのが、有るものそれ自体が何を示しているのかです。有るもものが、精子や受精卵や電子や核、または存在者の、存在それ自身、或いは霊魂、それらは、時間と並行して考えれば、有るももとは、その全てを示すと考えるのが

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posted at 14:52:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

GA26第二部を読んだので、もう一度GA3カント書に戻れますが、二元論・範疇論あるいは潜勢的霊魂規定なるものは、カントが統覚(霊魂規定)の生産的構想力=今現前(時間の総体)を軽視したために、図式論を主題化できなかったといだけです。@BeTakada

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posted at 14:58:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

転回というのは、範疇論、決意性、潜勢的二元論から、図式論、根源規定、現勢的一元論、つまり単純に現存在に転回する内的必然性というべきです。領域存在論ではなくね。@BeTakada

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posted at 15:20:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

範疇論や二元論、潜勢的規定による同一性の真理、あるいは弁証法というのは口当たりが良いですからね、しかし、時間を無にしてしまう。ハイデガーの転回は世界の問題系を無(GA26)にして、時間の図式性(GA3)を取り出しているわけです。@BeTakada

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posted at 15:22:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

今近所の哲学者と夕食してたけど、木田元に弟子入りしていた時の話をしていて、木田元も鷲田清一も図式的=わかりやすすぎて、深みがなかった、もっとドロドロとしたものだ、といっていたww(^-^)/ @BeTakada

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posted at 21:56:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

まあ、彼がいう木田元と鷲田清一が図式的過ぎるというのは、メルロ=ポンティーを図式化すると、取りこぼす深みがあるという文脈でなのだが、ハイデガーの図式論は、もっとドロドロしてそうよね。彼が言うドロドロとしたというのは、カントの二元論のことらしいが(笑) @BeTakada

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posted at 22:18:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月22日

ドロドロした二元論というとまた図式的すぎるのだが、先言的措定とか井上忠とかヒュポケイメノンとか、要はアリストテレス~プラトンに遡らないと、なにも分からない、という話を近所の哲学者はしたかったみたいなのだが、今日は邪魔者がいて話が中断してしまった。@BeTakada

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posted at 22:27:45

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