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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
並び順 : 新→古 | 古→新

2015年12月10日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

そう、あらゆる錯覚は時間的なのだ。有限な人生なのに永遠時間を夢想したり、物質が静止して見えたりね。それがハイデガーの時論の全容。時と霊魂は図式的に古来の用語だが、霊魂を誤謬推論して客観時間を演繹した矛盾を暴露しようとしている。twitter.com/J_J_Kant/statu...

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posted at 18:23:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

日本では小林秀雄の晩年の問題だが、ベルクソンがアインシュタインを持続と同時性とし、フッサールが内的時間意識を客観認識できるとした、その錯覚をハイデガーはカントの方法で暴いていくわけです。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 18:29:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

ハイデガーはカントの方法、超越論で演繹している。それは古来より哲学の根源語である魂と時を誤謬推論に掛け、見せかけの範疇の誤謬を暴き、カントの図式論で根源語を図式的に合一化(現勢)させるという手法。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 18:38:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

要するに、カントが霊魂の不滅など、永遠時間を誤謬推論する中で、永遠的な客観性という演繹をしたこと自体を、ハイデガーはカントの図式論によって超越論的に誤謬推論しているといってよい。

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posted at 18:43:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

そこで、超越は客観や範疇、つまり心身二元性の永遠性ではなく、根源語の図式的統一、心身統一のことだ、という超越論的誤謬推論が実行に移されている。超越とは心身を分裂させる時と魂という古代語を図式的に解消し、心身合一(現勢)に至ることです。

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posted at 18:45:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

したがって、誤謬してはならないのは、物質と同じで自己も静止した精神のように錯覚してしまうが、それこそが潜勢=心身二元論という誤謬であり、超越論的に反省すれば、自己も自然の物質と同じで時間的であり、それは有限時間だ、という点です。twitter.com/J_J_Kant/statu...

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posted at 18:58:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

ハイデガーの方法で注意すべきは、彼は範疇論から図式論を演繹しているので、範疇の実存性(非本来の範疇から実存範疇へ)が露開されると、図式論に転回しており、転回後はもはや決意性が不要になっているという点です。実存の有限性が範疇化された以上、図式論では決意性は要請されないのです。

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posted at 19:04:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

逆に言えば、図式論(根源語論)から心身を分節化させるカントの範疇論では、常に決意しなければ有限な生、実存は得られない(時熟しない)のです。それに対して、ハイデガーの転回では、図式性=根源語の統一性が諮られているので、実存は死の先駆=決意せずとも自明的=時熟的に有限的なのです。

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posted at 19:08:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

アインシュタインが天才的なのは、ベルクソンとフッサールに持続時間を語らせてしまったことで、それがカントの永遠時間の欺瞞を暴露している点です。それをハイデガーが本来の時間把握へと解消させることで、古来からの根源語=図式性が、本来性に差し戻されたのです。

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posted at 19:11:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

ちょっと脇道だが、この本来的時間というのは、いま隠者君が話題 bit.ly/1QgZ8Ty にしてる、今を把捉しようとするとワンテンポ遅れて過去に取り残されるということを、どうしたら自然体=当為にできるか、ということでしかない点も誤謬すべきではない。

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posted at 21:37:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

ハイデガーでは、これが理論化されていて、それを脱自態とか脱自的時間というのだ。今を意識すれば既に過去に取り残された自分になっているので、いかに自然体で今を現前させるのか、というのが脱自態とか、脱自的地平あるいはハイデガーの超越論的図式論という呼び方をされているだけ。

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posted at 21:41:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

脱自態、今を意識すれば既に過去に取り残されてワンテンポ出遅れるので、いかに自然体で今現前させることを方法化できるか、というハイデガーの問い方は、いかにも日本語では、虚心とか無私とか、禅的な作法とか言い方で、事足りるように見えるところが、おそらく日本的には難問なのだろう。

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posted at 21:50:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

それはハイデガーのカント認識論の解体が難読ということと同じなのだが、禅的な作法を知っているはずなのに、沈黙以外の場面で、会話がギクシャクしたり失言したり、嘘をついたり、当為が整然とできないからだ。つまり、愛してると言えないからだ。

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posted at 21:54:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月10日

気後れを齎すものを全て解体するために、演繹を遂行するようなことが、範疇論からの転回、カント書の図式論であるのだろうが、これに気後れすると、ますます病的に気後れするのだ。今、精神医学では現存在分析も精神分析もせず、新薬投与のDSM疾病分類になっているが、恐らく何も解決しない。

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posted at 22:48:46

2015年12月13日(日)

非公開

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ファミレスでサラッと拝見。世界の無について、GA24だけに依拠していて、メタ存在論へ転回して無化された無時間的世界が、まだ維持されてそうな立論ですね。京都学派風なのかしら?@BeTakada pic.twitter.com/SkfD7hjkVj

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posted at 01:10:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

『存在と時間』未完の必然的第二部というのは、カント書で地平と規定されるまでGA24,26の第二部とGA25を読めば誰でもわかるのだが、みんな客観の誤謬推論で転倒して、今現前である時性の推論まで至らないようですね。時は有るのか?@BeTakada

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posted at 01:14:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

たとえば、時は部分ではなく、今現前だから時であるのだが、それは今とは始まりと終わりであることであり、それを回数のように数えることはできても、今を限界づけることができず、今は無としての点性としては、アリストテレスも規定できなかった、というようなことです。@BeTakada

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posted at 01:22:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ハイデガーが無というのは、点は時間の規定としては無効であることや、客観の誤謬推論に過ぎない、決意性と世界は問題として今現前させない無効性だという、端的な意味合いでしょう。@BeTakada

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posted at 01:25:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

それら2論文 twitter.com/betakada/statu... 、帰宅してから精読しますが、かなり知見が古いですね。まだハイデガーに対する独特な先入観に支配されているような、古い語り方の亜流と直感しました。@BeTakada

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posted at 01:29:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

このいわゆる第二部問題、必然的転回の問題は、今日では当然視されているものですが、ハイデガーに即して理路を開示したければ、ぜひハイデガー自身の語りの文体で読むべきなのです。GA24,26の第二部、GA25は必読で、それを怠ると、客観の誤謬推論のまま転倒します。@BeTakada

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posted at 01:34:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

先程の一本目repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstre... は「ニヒルとは、価値的なニヒリズムではなく、存在論上のことで、すなわち存在を存在者として忘却することだ」は分かりやすいですね。@BeTakada pic.twitter.com/qMFBzSbJGy

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posted at 02:44:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

価値の問題をはじめ、形而上学が語られることを、無存在論=ニヒリズム=存在忘却と呼んでるわけですからね。前期の存在論的差異から転回した後の二重襞、ノエイン(思惟)とエイナイ(存在)の間の仕方の話ですね。 @BeTakada pic.twitter.com/rQDj8gB9v5

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posted at 02:56:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

しかし、このハイデガーの無(存在を存在者として忘却すること)は、後期の西欧文明批判の思想的な語り方より、範疇論の図式論的批判であるカント書までの方が、冴えててスリリングですね。後期は単に二重襞です。日本では東の柄谷的ハイデガー理解、つまり弁証法批判の原型ですね @BeTakada

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posted at 03:09:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ハイデガーが、カント書で範疇論そのものの批判、純粋図式論的になるのも、時=今現前である脱自態以外、つまり時間を空間・延長とした近代の思惟=弁証法を、すべて誤謬として無化=無効化したからですね。脱自的時間とは、時は志向できない、という単純な現象ですから。@BeTakada

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posted at 03:14:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

範疇論的、図式論的。twitter.com/sunamajiri/sta... ハイデガーでは図式論は時の根源規定性のことなのだが、その話でご近所の哲学者とお茶をしながら少しお話をしていた。

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posted at 19:30:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

図式とはわかりやすさ、のことなのだが、菊池健三『カントと動力学の問題』amzn.to/1P017KJ をお貸ししたところ、案の定、ちょっと図式的すぎる=分かりやす過ぎる、という感想を言っていた。

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posted at 19:33:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

そのとおりで、ハイデガーでは、図式論はあくまでも時の根源性という図式=地平=新体系化ということなのだが、菊池健三はハイデガーの時に言及せずに、カントを動力学に図式化してしまっている、といえる。重複部分は、人間学の命題だけである。

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posted at 19:35:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

図式は時に於いてしか判明にならない。それは時間が空間との止揚という近代の思弁に対する図式=地平だからなのだが、それはカントの動力学の問題ではなく、ハイデガーのカント書の問題だ、という点で、ご近所の哲学者と一致した。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 19:38:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

これはどういうことかというと、たとえば動力学でも物理学でも形而下にすると、まるで図式的に思えてしまうのだが、それが本来の図式性ではない、ということなのだ。時だけは脱自的にしか志向できない。あるいは時は志向できない、という図式だけが本来的に図式性だからだ。

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posted at 19:44:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

図式性というのは、カテゴリー(範疇)よりも、分かりやすいということなのだが、それは物理学や形而下で図式化することではなく、図式性ほど形而上的、あるいは時間的だ、という図式が問題になるのだ。したがって図式は動力学的であるよりは存在論的なのだ。

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posted at 19:45:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ところで、ご近所さんはメルロ=ポンティ・プロパーだが、サルトルの『存在と無』も、ハイデガーのカント書への転回の未読性という話から、メルロも、フッサールの晩年、つまりハイデガーに反論されたフッサールから逆立して捉えるので、決して図式的ではない、ということを今言っていた。

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posted at 19:50:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

GA26末尾の脱自態 bit.ly/1OdbIlj のコピーがあったのでお渡ししたら喜んでいた。無とは基礎存在論あるいは対自即自性の無のことであり、メタ存在論あるいは脱自性の有のことだ、という文脈から始まる、といういわば図式性を告げると、それをメモっておられた。

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posted at 19:53:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

時は空間や延長との近代的思弁による止揚でも、意識の志向対象でもない、という脱自態、純粋図式性とは、存在論のことなのだ。存在論とは、純粋図式の地平のことで(存在論は図式的なのだ)、存在忘却とは、こうした地平=図式を忘却することなのだ。

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posted at 20:21:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ところで、故坂部恵先生の、生産的構想力講義ノートを引越し荷物の中から大量に見つけたそうだ。坂部先生は岩波カント全集総監修で著名だが、講義ではカントの非理性、あるいは生産的構想力の話しかしなかった、という話なのだが。こんど閲覧させていただくことにした。楽しみである。

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posted at 20:21:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

お互いジャズミュージシャンでもあるのだが、時の脱自性という、ハイデガーの基礎存在論からの転回の問題は、クラシックとジャズの違いほどだよね、というと、そうそう、と二人とも納得したのであった。したがって、内的時間意識の現象学批判の問題、つまり図式性は、極めてジャズ実践的なのだ。

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posted at 20:22:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ツイートまとめ(^-^)/ クラシックの内的時間意識と、ジャズの違いほどである。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 20:22:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

RT @LitoSnowfield そうそう(*^o^)> そいえばよくジャズ的ですよね…とお話したことがありましたね〜(*^o^)/

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posted at 21:25:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

さっきもご近所の哲学者とその話をしていたのだが、フッサールの内的時間意識の現象学、つまりメロディーの話というのは、『存在と時間』への反論だからね。ハイデガーはそれに対する反論を、転回として語っているのだ。@LitoSnowfield

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posted at 21:25:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

RT @LitoSnowfield どちらも時間…タイミング大事ですしね〜(*^o^)> <スポーツとか演劇。台本は過去なのだけれども演者の中の台本は過去ではないのでは? …とか(*^o^)>

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posted at 21:26:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

そもそも、時間は数えることだ、というアリストテレスの規定があってね。カウントすることね。それを延長と言い出した近代から、いわば音楽的に歪む。ハイデガーは今現前だけが時と規定するのだが、フッサールはメロディーを想起するのが今だというのね。@LitoSnowfield

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posted at 21:27:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

今現前だけが時の規定だというのは、今を意識する自意識は、過去に過ぎ去った自分だ、ということなのだ。気後れのことね。twitter.com/sunamajiri/sta... 音楽をもし定義するとすれば、気後れしないことだからなー。@LitoSnowfield

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posted at 21:29:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

RT @LitoSnowfield フッサールはんは完全に聴衆というか…ジャズでは聴衆も演奏的に聴くことを要求されますが(笑)…音楽を絵画のように鑑賞なのですよね〜フッサールはんは現象…音楽を聴く…というのを捉えようとして鑑賞者自身内部の現象…時間…を見落としたように見えますね〜

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posted at 21:31:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

音楽家にとっては、演奏や作曲する自発性あるいは触発性も、聴くという受動性も、単に今現前的・現存在的に同時的でしかなく、音楽を発するというのが単に超越的なだけだからね。聴こえて遠ざかる過去把持、想起を時間の規定とするのは、音楽の規定ではないね。@LitoSnowfield

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posted at 21:34:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

それも、時間的でしかない図式性が、カントでは範疇論になっていくからだろう。それは時間的には単に気後れのことでしかない。ハイデガーのカント書というのは、カントの二元論である範疇論を完全に解体する聖書なのだ。@LitoSnowfield

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posted at 21:35:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

カント書は、非常に読みづらい本だけどね。純粋理性批判の図式論とインターテクストになるからだが。しかし一言で要約すれば、カントは時間が非本来的だから、範疇化しているだけで、時間を本来化すると、図式になるという話をしているのだ。@LitoSnowfield

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posted at 21:38:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

カントが、そうした今現前という時の規定に表明的でないことが、ハイデガーの批判点なのだが、古来からの哲学の根源規定である魂と時のうち、カントは魂を誤謬推論して、客観をとりだしてしまうからなのだ。ハイデガーは客観を誤謬推論して、時を取り出すのだ。@LitoSnowfield

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posted at 21:39:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

カントの客観というのは、神の視点のことだからね。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield まぁ…客観はヤバイですからね〜(笑)そもそも…客観という発想自体が召喚魔法かも(笑)

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posted at 21:40:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

GA25カント講義書が詳述しているのだが、派生的直観と根源的直観があって、根源的直観というのは、神のように第一原因でないのに擬似的に神の視点に立脚することなのだ。カントでは根源的直観=客観、派生的直観=非客観というふうになっている。@LitoSnowfield

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posted at 21:41:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

この二重性によって、物自体と現象という二重性がうまれるのだが、これは霊魂の不滅の誤謬推論によって生み出された客観性なのだ。ハイデガーはこの客観性自体を誤謬推論、無効化してしまい、時の問題、図式論に到達しているのだ。@LitoSnowfield

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posted at 21:42:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

そうそう、大抵はその物自体と現象の二重性、つまり原因でないのに客観という、非生産的構想力で転倒して、思惟が止まる。@LitoSnowfield ハイデガーさんぐっじょぶ! これはハイデガーさんのような厳密にじり寄りで進まないと出来ませんからね〜

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posted at 21:43:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

ハイデガーはカントの、原因ではない=非生産者的なのに客観という、いわば非生産的構想力を誤謬推論しているようなものなのだが、その結果、範疇論に対する図式論を、カント書で人間学の根源規定と布置することに成功しているのだ。おそらく人類史の中で前例がない。@LitoSnowfield

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posted at 21:45:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

よって、図式性=わかりやすさ、とは客観のことではないのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... どうしても、図式性は物理学のように感じてしまうのだが、じつはそれは範疇論的で、図式性は時を意識できないという図式性のことでしかないからなのだ。@LitoSnowfield

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posted at 21:46:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

要するに、ハイデガーはニヒリズムを否定しているのだ。ニヒルとは、時の図式論である存在論ではないこと、非存在論であること、言い換えれば、時を意識することだからなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 21:48:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月13日

そうそう、キャラとしてもニヒルというのは、単なる自意識過剰の演技過多。うさたんみたいな天然の正反対だしねww 俳優座でのうちの親父が演技チックなので、オイディプス殺ししてるのだ @LitoSnowfield ニヒルさとは冷静さみたいにカッコ良さげですがただの自家薬中毒ですもん

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posted at 21:51:21

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