大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年12月25日(金)
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それでは、入手困難なGA3カント書の超越論的図式性でもお見せしましょうね。カントが労苦だとすると、ハイデガーはもっと労苦にみえるはずです(笑)。bit.ly/1Ok3d3d 純理の引用箇所は bit.ly/1QKluNL @BeTakada
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posted at 02:07:19
すごいなカント書、古書価格 amzn.to/1QOBYnQ が鰻登り、うちでもお宝本扱いです。ちなみに純理のその箇所で、カントが放り投げたことを、ハイデガーは批判してるのです。@BeTakada pic.twitter.com/ica6nYiGKi
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posted at 02:37:47
簡単に言うと、図式とは概念と直観の媒介項である生産的構想力を齎す脱自的時間のことです。したがって時間を脱自的地平と規定しなければ、概念を直観に媒介する根源図式が描けず、志向性(意識でも統覚でも)が得られないのです。bit.ly/1Ok3d3d @BeTakada
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posted at 03:03:36
2015年12月26日(土)
というのも、哲学で近代性とは、格律にしても原則にしても存在論にしても、まずは個人の機転や現存在という、いわゆる能力を前提として、その上で集団として何を原則化するのが正しいか、という議論をしているからだ。はじめに個人ありきで、日本のように集団ありきだと、この議論について行けない。
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posted at 20:50:28
2015年12月27日(日)
志向意識は時を根源地平と規定すると与えられるもの、という超越論的図式性は、カント書の twitter.com/sunamajiri/sta... の箇所です。世界と自然、現象と物自体という二元論や範疇論は、この図式論からは解消しているのです。@BeTakada
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posted at 01:51:10
カントが超越論的図式性を「無味乾燥で退屈な仕事」(A142)と放棄したことを、ハイデガーはカント書で批判しているのだが、これによってカントをアンチノミーとして受け取ることのほうが高尚なことのようになってしまう。@BeTakada pic.twitter.com/WEZ71VYlqk
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posted at 02:07:43
2015年12月28日(月)
ところで、ナトルプ報告GA62が扱うアリストテレス『ニコマコス倫理学』第六巻第二章というのは、極めてハイデガー的な図式性です。知性と欲求の根は過去ではなく将来を選択できる実践のことだ、という部分。@BeTakada pic.twitter.com/1Ow5MoJi9Q
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posted at 19:04:46
しかし、実践が将来を選択することだという根源図式が、概念と直観を媒介する時間根源だという超越論的図式性が本来的形而上学の根拠づけだ、というカント書の問題を看過すると、近代的な二元論=潜勢の問題は解けないでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 19:12:26
2015年12月29日(火)
2015年12月31日(木)
(私にとって、)ケーレについてはっきりしていると思われることは、ケーレが次のような言葉で言われることがしばしばあるということ:
「存在の真理は真理の存在である。」
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posted at 00:14:24