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2011年07月17日(日)
そうだった 恐れなかった
みんなのためだった
愛と勇気だけが友達だった
ああ アンパンマン
やさしかった 君は
いってしまった みんなの夢 まもるため
#名言の文末を過去形にすると深みが増す
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posted at 23:32:48
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コムデギャルソン本店で展示を以来されたピピンが最初に出したアイデアが「向かいにあるイッセイミヤケに入っていく人を撮影して、ソレをコムデギャルソンで中継する」それをきいた川ボ久保ス玲が楽勝で却下!それを聞いた俺は大喜び。
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posted at 12:44:56
「生の芸術」の「生」も、それが評価の対象である以上、「生」そのものの才能というものもあるのだろう。あなたの「生」は優れている。あなたの「生」はそれ程でもない。あなたの「生」は…。それはまた批評以前の批評の対象であり、鑑賞以前の鑑賞の対象であり、診断以前の診断の対象であるだろう。
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posted at 05:36:37
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家族ってどこまで任意なんだろう?家族が無い文明ってあるのかな。家族が、生殖、種の保存に欠かせない機構だとすれば、家族がない文明があったとしても滅びるから、結局、今ある文明には家族制度が存在指定しまうことになる。
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posted at 00:18:45
この「向き合わなきゃいけない」って何なんだろう。でも、時として向き合うことで、理解不能と思われていたものが理解できるようになる可能性もあるように思う。・・・それは理解した気になっているだけなのか。理解しようとする努力の不可能性に対する補償なのか
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posted at 00:16:39
自分の属する集団に、排除できないけれども、こちらの規範を押し付けることもできない存在がいれば、とりあえず、無かったことにしようとするような気がするんだけど、なんか、家族だと無視できないっていうか、向き合わざるを得ないような気がしてくる。思い込まされてるのだろうけど。
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posted at 00:14:37
2011年07月16日(土)
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さいきんきがついたのだが、金太郎今流行しているのではないかと。最近検索をかけると金太郎コスしている人が増えている。夏だからだろうか?金太郎ムーブメントがそろそろくるのではないか?
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posted at 10:48:53
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2011年07月15日(金)
昨日の夜、別れ際、ちびはわんわん泣いて、アメヤも泣きそうになっていたのだけど、でも次会うの、月曜日でわりとすぐなんだけどw、しかし明日死ぬかもしれないし、もう会えないかもしれないし、ふたりの別れ方のが正しいのかもしれないと思ったりした。
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posted at 13:33:54
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「やーい!お前の母ちゃん出ベソー!」という悪口は単なる嫌味ではなくソイツが母ちゃんと母ちゃんが出ベソだと知り得るような関係であるという事実を示唆することによって精神的ダメージを与えるのみならずその家庭に亀裂を生じさせさらには崩壊へと至らしめることを狙った極めて陰湿な計略である。
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posted at 06:36:07
本日一番学んだのは、物語の外側を巡る議論の最中だ。
フラーの言葉を出して「環境」と「宇宙」の違いは"私"を含むかどうかの違いだと説明したが、その私が物語として風景を見て、物語として生きるという話をしていた時に気づいたことがたくさんある。もう少し整理が必要だが何か掴めそうだ。
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posted at 00:20:03
2011年07月14日(木)
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031:電 それはもう旱(ひでり)のようにただひとり送電線を揺らすさびしさ #tanka #2011daiei
posted at 21:10:00
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何が起こっているのか? 結局において生きても死んでも同じということ。目を背けてんじゃねえよ。違うところは違うままお互いに好意を抱いたり。必要だったりします。体温が有り余っているから。ほらねなにも怖くないでしょう。初めから救いがないっていうのも笑える。
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posted at 09:49:53
@inflorescencia @sakstyle また、この(美学の)問題は「感じ方の問題」を越えます。例えば、「この作品は邪悪な暴力を賛美するから」ってのが美的評価の端的な理由として受け入れられるか(どういうことなの……と思われないか)の探究は、皆様が共有する規範の探究です。
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posted at 08:59:37
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@sakstyle @inflorescencia 美的に関連するものに限ってどう関連するかを議論する際には、何が美的に関連するかを確定する必要はありませんよね。倫理的価値は美的に関連しないという立場もあるので、美的に関連するとしたらどう関連するかを考えることになるでしょう。
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posted at 08:48:41
@sakstyle @inflorescencia こんにちは。作品の性質が、表現されたものの性質に限るかどうかは、かなり怪しいと思いますよ。例えば作品の本性として制作行為を含めるなら、邪悪な行為を伴って作られたことは、作品が何を倫理的に指令するかに関わりそうです。
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posted at 08:42:58
熱湯のほうには、チャイルドロックがついていて、ひっぱりながら、すぐ折れる棒をまっすぐにしないと、出ず、大人の私でもむつかしい。我が家で、このチャイルドロックをはずして、お湯を出すのが、いちばんうまいのが、ちびだ。
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posted at 07:02:57
「現代アート」(という古語)に特異なのは、分野や同時代性よりも、地域性と世代性だろう。「現代アート」(という方言)を、その「新しさ」故に奉ずる者は、多分に多くが地方出身者、核となる世代は50代くらいだろう。その世代の下限は、着実に上がって来ているだろうと思われる。
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posted at 02:40:11
念のため言っておくと、或る物がアーティスティックに見え、更にコンテンポラリーにも見えるとしたら、その物の性質に拠るのではなくて、それを提示する論理や文脈に拠るのである。
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posted at 02:32:56
僕は展覧会で余り作品を見ない。展覧会では展覧会を見る。『インセプション』でジョゼフ・ゴードン=レヴィット(素晴らしいが)やマリオン・コティヤール(それ以上だが)ばかり見ないのと同じである。
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posted at 02:26:49