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2011年07月21日(木)
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受験可能な公務員試験なんかを調べているとさ、夢や何やらで職種を選ぶんじゃなくて、制度的に採用される可能性がある(採用試験を受験可能な)ところをちゃんと知っておく・網羅しておく、という基礎的生存戦略を幼い頃に習得しとかんとあかんわ 子供に夢を一方的に持たせるのは大人の傲慢かもなあ
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2011年07月20日(水)
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立命館大学公開講座 シネマで学ぶ「人間と社会の現在」シリーズ9『私のなかのあなたたち、だからわたしはひとりになれる』 7/23(土) 『百万円と苦虫女』 詳しくはこちらをどうぞ→bit.ly/lHXWZL #kyotocinema
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佐々木中が「父になる」「系譜原理」と言いだしたときに感じたことだけど。子どもを生んだり育てたりすることは、今でもまだ圧倒的に女性に負担がかかる。思想や批評が「公的に」担っているのって、まずはそうした非対称の指摘なのではないか。それを無視した佐々木の論には違和感があった。
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@moriteppei@mastodon @moriteppei
妻とセクハラやレイプの話をする。妻曰く、それがどれだけ、どのようにイヤなことかを男性に上手く説明できない。説明しようとすると「無理矢理ホモから掘られたらイヤでしょ」「オバサンから迫られたら…」。オバサンやホモを悪く言うような言い方しか思いつかず、そんなことは絶対言いたくないと。
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2011年07月19日(火)
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ちびの熱のときの写真(この風邪がうつって、治らないんだよな・・)ちびは、哺乳瓶にポカリをいれ、それを常にぐびぐび飲んで(ちび判断)治しました。 twitpic.com/5sj3lq
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posted at 23:51:07
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マスメディアの凋落とアカデミアにおける人文科学の凋落は構造的に類比的です。「お願いだから、私の言わんとすることを理解してください」という懇請の構えがないのです。一人でも多くの読者に「私の真意」を伝えたいという切迫がない。それでは読者は減るばかりです。
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posted at 19:00:08
『現代思想』の震災増刊号。廣瀬浩司さんのフーコー論「災厄は存在しないー安全装置の罠」。すごく良い。一部引用。「安全装置にとって迷惑なのは、服従しなかったり、非行的行為を行ったりする反規律的主体ではなく、導かれもしなければみずからを律することもない、振る舞いなき主体である」。
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posted at 18:36:21
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へんな言い方になるけど、周囲がとらえる「その人にとっての大金星」が、「その人にとってあたりまえの成功」へと徐々に変わっていくことが、ある人のプロフェッショナルの範囲を決めてゆくのかなあと思った。そしてその仕組みに、老若は関係がない。少年少女から爺さん婆さんまで平等にぶち当たる。
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しかし気をつけねばならないのは、こちらがリベラルな空気を出していることにつけ込んで、かなり失礼な態度を取ってくる者が居ることだ。権威や権力を使ってねじ伏せる態度は大嫌いだが、逆に権威が無いという所に付けこんで相手に敬意を持って接する態度が持てないのも同じ罠にはまっている。
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posted at 17:58:11
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『三月のライオン』とかはこの辺巧く描いている。たまたま才能や資源があったとしても、その高速道路を抜けた先の渋滞で「当然、通過するよね?」と見込む周囲の期待に重圧を感じる少年少女はいる。
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posted at 17:44:11
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あと、ある水準までは天才であっても、それなりの報いとしてのデカい課題が必ず降ってくる。その苦しみに「天才少年/天才少女」が直面していても、周囲はおそらく「いいよねー、ショートカットできる天才はさ」となり、障害の大きさを共有してくれない。この落差を児童向けに描くのってけっこう大事。
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posted at 17:34:51
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偉くなってしまった人に言いたいのは、誰かからの素直な感想や批判が直接耳に届くなんて期待しないで欲しいという事だ。
もしそういうのを期待するならば、相当リベラルな空気を出さないと難しいだろう。権威的に振舞っていて素直な意見が欲しいなんてとんでもない。
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posted at 16:21:58
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でも、しょうじき、じぶんはあんぜんにながいきがしたいわけではない。あんぜんなながいきのためにいましんでんのはいやだ。たにんのじんせいのあんぜんや、こどものみらいのあんぜんはもちろんいのりたいし、まもらなくちゃとおもうけど、じぶんのじんせいのあんぜんはいらない。
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posted at 14:58:57
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縄文人と弥生人とで風景の嗜好性に決定的な差が出来たのだろう。
旅人としての縄文人の持つ世界の見方と、定住者としての弥生人のそれとではあまりに違うはず。そのレベルから風景異化と観光を捉えると深みが出てくる。
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posted at 01:25:19
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パレーシア(παρρησία)とは、確かにその原義においては、権威を前にして弱い存在がその心中を包み隠さず言う、というような意味だ。現代において、メディアの代弁者や大組織の長として駆り出され、もっぱらシナリオ通りの発言を強いられている個人こそ、もっとも弱い存在なのかもしれない。
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posted at 00:59:10
「映画に込めたさまざまな意味を、恐ろしいまでの説得感で一枚の写真に集約してしまったそのセンスと度胸に、当時映画の制作に携わりたいと思っていた私は、絶対真似のできない映像を見てしまった、と打ちのめされたのです。たった一枚の静止画で息を飲ませてしまう…」(続く)
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音楽イベントに遊びにいったはずなんだけど、特に異質ではないが、空間の使い方が面白かったのは、5階のヌケメ君と毛利さんのカラオケスナック。あそこでみるライブ、カラオケは夏のあの時間帯、人の少なさ、考えたら一番今日のイベントで成功していた、と思います。
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【奥宣雅】『10年ほど前に公開された韓国映画で「JSA」という作品があります。この映画を見終わったときに、私は強烈な敗北感に襲われました。それは、映画のラストに映し出される、写真を徐々にアップしていくカットのせい』(続く)
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posted at 00:34:29
2011年07月18日(月)
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「名づけることは、表象することではない。名づけることは、さまざまな記号によって伝達すること、すなわちある目的のためにさまざまな手段を用いて伝達すること、ではない。」(『法の力』)あぁーやっぱ『必要なる天使』ってナチズムに関するテクストなのかな、それを提示できなかったのは悔やまれる
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posted at 21:40:22
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だれか「感動をもらった」については論文化して残しておくといいよ。あと「心が折れる」(個人的にはこれ、ボブ・サップ絡みで最初に耳にした記憶が)とかも。その辺のスポーツ周りの日本語の感性語彙は今世紀に入るあたりで大きく変容したような感触があります
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posted at 21:21:47
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「感動をもらった」にまたもいらいらしてる人が多いようですので再掲。勇気や元気がもらわれることは時々あったが、感動をもらうようになったのは98年長野五輪の閉会式でスケートの岡崎の発言がマスメディアで報じられた最初期の用例。その後シドニー五輪02W杯以降はもらい放題になった模様です
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posted at 21:16:35
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演技的にも非常に興味深いことがいくつか発見出来る。不良の演技はリアルとそうでないものとの区別がつきにくい。実際においても不良とは演じられるものであるという事がリアルさをコーティングしているからだ。後は不良の演じ方が板についているかどうかの勝負になるのかもしれない。
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posted at 20:03:35
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逆に、聞き手の側が、「発話内容は自分の認知構造によって規定されている」という事実認識を踏まえつつも、「発話内容は相手の意図によって決まるべきだ」と考えているなら、絶えず自らの認識を括弧に入れようとしながら、相手の言葉に耳を傾けるようになるだろう。そこに対話の回路が生まれる。
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posted at 13:41:00
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その場合、「私はそういうつもりで言ったのではない」という相手の言葉は、これ以上聞かれないことになる。そうやって、コミュニケーションの回路が閉ざされるか、あるいは自分は言いたいだけ言う、でも相手の言葉には耳を傾けない、という権力関係が生まれることになる。
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posted at 13:38:39
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だけど、事実問題として、人間は自らの認知構造を通してしか他人を認識することができない。それをどのように考えるかで、ある会話が対話となるのか、それとも権力関係となるのかが変わる。つまり、「君が言った内容は受け手である私が決めることだ」と言うことは、自分の認識の訂正可能性を否定する。
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posted at 13:36:29
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たぶん、こういうことじゃないかと思う。人が誰かと対話するとき、相手の意図を汲み取ろうとするのだと。より厳密に言えば、相手の意図を汲み取ろうとせず、相手を自分の認知カテゴリーにただ当てはめるだけの会話は、対話とは普通呼ばない。
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