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2014年10月15日(水)
金曜と土曜のあいだには0時があり、その0時はなんぴとたりとも動かせない。動かせはしない。しかしすべてのひとが経験はするのだ。その0を。あたまから、つまさきから、おびただしいひとびとが金曜のおわりに0をくぐる。まあ何曜だっていいんだけど。 #当たり前の事を名言っぽく言った奴が優勝
posted at 00:06:08
「調子悪いですか」「きょう調子悪いですか」と話のきっかけがすべて「きょう調子悪いですか」の人がいて、私が調子悪いと逆にうれしいんだろうかと思い、柱のかげでせきこんだり膝からゆっくりと落ちていったりしている。あとは極力話しかけられないようにスキップ(かなりダイナミック)をしている
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posted at 00:19:44
昼に店でごはん注文するときに、店員のひとが「うん、うん」っていいながら注文とってたから、え、と思って、いや待て、「ふん、ふん」という鼻息のまちがいかもしれないから落ち着いて、と自分を落ち着かせてから、よく耳を澄ましてきいてみたら、やはりお友達のように「うん、うん」とうなずいていた
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posted at 16:10:35
「出来ませんでした」に対して「なぜ!?」ではなく「あっそう(・ω・)。じゃあ…」と言えるようになって、結果として相手が良いアウトプットが出せるようになってきたのは自分にとっては大きな発見でした。こうやって文字にすると当たり前の事なんですが、私は気づくのにずいぶんかかった。
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posted at 19:55:39
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@moriteppei@mastodon @moriteppei
徳島での商売は難しいとぼくは思ってる。でも、その理由は「ケチな県民性だから」とか、「人口が少ないから」とかよりも「自動車依存度が激しすぎる」だと思ってる。自動車移動ばかりだと、街の動線を作るのは大変難しい。
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posted at 20:06:38
/ 大人のお仕事の光と影。峰なゆか『ギリギリモザイク』と鈴木大介『最貧困女子』 - エキサイトニュース a.excite.co.jp/News/review/20...
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posted at 20:28:23
古文の授業。本文は黒板に直接投影する。文法説明と現代語訳が終わったら、スクリーンを下ろしてパワーポイントで作成した読解の展開図を表示する。アニメーションを使えば、展開図に動きも出てくる。
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posted at 20:56:50
ときどき日記って何だろうと考える。日記のモードを特徴づけるのはその〈未完性〉にある。生きている限り続くのだ。だから〈日記〉の〈気分〉は、カフカの『城』や漱石の『明暗』の〈気分〉を自分の日常を形式としておとしこんでいく事に少し近いようにも思う。おわらない事を日付だけで分節する永遠性
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posted at 21:47:31
一緒にしゃべっていた人が、自分のおしりがくっついてるのがすごく気になるんですよねといったので、離れてるおしりってどんなのなんですか、と私はいった。たしかにわたし人生でおしりが離れたことないかもしれないです。驚きました、と言う。大気圏のおしりとかは離れるかもしれないです、と私は言う
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posted at 22:24:22
2014年10月16日(木)
北野武の『アウトレイジビヨンド』を観ながら、アガサ・クリスティの『カーテン』の構造とよく似ているなあと思う。ただクリスティの『カーテン』自体が、どこかでゲーテの『ファウスト』の翻案のようにも思える。でも『ファウスト』ももっとさかのぼれるかもしれない。〈教唆〉の系譜。
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posted at 00:00:10
荻原裕幸(歌壇1997*3)@ 偏見と思はれるかも知れないが、言つてしまはう。佐佐木幸綱は「王様」が好きだ。魚のイメージを求めながら、歌集を何冊かたどると、魚の王様としての鯨が顔を出し、あとは酒の肴ばつかり。
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posted at 00:16:39
北野武『アウトレイジビヨンド』を観ていて思うのは形式主義的な映画だという事。たとえば殺人のシーンでもシークエンスはどこに向かっていくかというと規則的な形式的整列に向かっていく。なぜ人が死ぬ(倒れる)のかといえば、〈形式化〉するためにだ pic.twitter.com/VDbHxxsYuD
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posted at 00:52:49
北野武映画では損壊は忌避され、撃たれたり殴られたりするシーンでは、カメラは〈現場〉の〈外〉を向いている事が多い。もしくは遠景(ロングショット)。つまり暴力という無秩序な破壊による形式の乱れを嫌っているのではないかと思う、映画が。だから形式と暴力(非形式)の葛藤がドラマになっている
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posted at 00:56:32
これは北野武の〈笑い〉の作り方とも似ている部分があるのではないかと思う。たとえば27時間テレビの名人中継で北野武が多用するのがロングショットであり、お笑いで好まれるズームアップよりも、遠景としての風景のつっこみが映画的に入る。 pic.twitter.com/zNtCQCHiG5
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posted at 01:01:42
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2014年10月17日(金)
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2014年10月18日(土)
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2014年10月20日(月)
ひと月近く前のケンカの反省文的なモノを、息子が、パソコンで書いた。
しっかりした文章と、内省的な内容に泣けた。
お返事を書いた。
「可能なら、こういうの続けたい」と希望した。
「あの時はごめんね。時間かかるけど、また書くね。」って言ってくれた。
母は泣きます。
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posted at 00:07:57
小学校から息子は詩人の魂だったのに、認めてるのは私だけ、だったよ。
「浮かぶ考え」と「字を書く作業」は、全然別のモノ。
浮かぶ考えがカタチに出来たり、伝わったりする悦びが体験できなくて、どうして「字を書く練習」「話す方法」が必要だと理解出来るだろう?
先にするべきなのはどっちだ?
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posted at 00:19:03
「他者も人間」が理解出来るまでに、数段のステップが必要だった息子は、同年齢健常児に比較すれば、常に周回遅れだ。
自分でもそれを知っているから、いつもいつもいつも「足りないものがある」の指摘ばかりを気にして、「お前はどういう人間だ?」を後回しにしてきた。
やっと、その時が来た。
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posted at 00:24:55
「足りないことの指摘」なんて、簡単なんだ。その手の「定型句」は、世間では溢れ返っているんだから。
本当に必要で、難しいのは
「どこを、どう足して行けば、足りるに近づけるのか?」
もっと難しいのは
「一人一人異なる、どうやって?を考えてトライ&エラーを繰り返していくこと」だ。
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posted at 00:28:56
息子はいつも「ダメな自分」を嘆く。
私にとっては「今がダメかどうか、そんなもんは、どーでもいいこと」である。
息子は「成長してない自分」に苛立つ。
私は「積んできたステップを考えればいいのに」と不思議に思う。
息子はいつも「今」しか見ていない。
私は常に「過去の延長」を見てる。
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posted at 00:35:23
「感じる」が無ければ、何も始まらない。
「感じる」を無視したら、育つモノも育たない。
「感じる」を自分で掴んで、誰かと共有できた時、始まる大事なモノがある。
自分の「感じる」を否定され続けることで「壊れる何か」は、大事に育てるべきモノだ。
たとえ「今」は出来なくても、それでも。
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posted at 00:45:20
休日の息子の「ナイス判断!」2つ。
「俺も!」とダンナが差し出したコップを「一度受け取って!」から、牛乳を注ぎ、渡した。
「前だったら、そのまま注いでたと思う!」
「コーラ買ってきた!コップ持ってきて!」とダンナに言われた息子。
言われてないのに「氷を入れたコップ」を出した。
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posted at 09:58:15
胸肉の湯煮を作った。
「いい感じに切り分けて」と子供らに頼んだ。
娘「こうやって、ガシ!って押さえて、こっちの手でガッと切ればいいんだよ!」
息子「姉さん、済まないが、オノマトペを使わないで教えてくれ」
娘「…がんばってみる。まず左手で…」
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posted at 11:09:45
娘は「教えてやってるのに、文句言われた!」ムカつきを克服し、
息子は「相手の気持ちを慮りつつ、自分の思いを伝える」技術が上がった。
結果、非常に美味な晩御飯を堪能出来たので、二人の「努力は実った」ことも明白だ。
目的が「美味しいご飯を食べる為!」と明確だったのも、大きかった。
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posted at 11:22:11
話が退屈な時、子どもは体ごと別の方向に向けたり話し始めたりしますが、大人も寝始めたり内職したり普通にします。
前者と後者の違いは、目立つか目立たないかだけ。
先生は聞き手の態度に困惑した時は、注意する前に自分に原因があると思った方がいいですね。
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posted at 20:22:07