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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年06月26日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月26日

そうですね。私がネガティヴになれないのは、twitter.com/kimarx/status/... に同感だからなのだが、最近俗に言われる反知性とは、学者の堕落、固定観念、イデオロギー、唯物論等々のことを指しているので、それで行き場を失いますよね民衆が。@toip_hokkaido

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posted at 12:21:25

2016年06月25日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月25日

つまり、誰でも自己意識は発生するものと判明に捉えているが、それが理念でしょう。さもないと、既成事実としての意識ということを理念としてしまうと、意識が時を生み出す、という先程の唯識論のようなことになってしまう。西欧では被制作性になるのでしょうが。@J_J_Kant

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posted at 00:59:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月25日

現象とは意識、発生とは意識の発生原理のことだが、意識を発生するものという動態的論点がないと理念を捉えれれないというは、意識を既成事実のように静態的に前提すると、必ず何とか神授説ではないが、被制作性つまり形而上学に陥り、理念が歪むという単純な(判明な)ことです。@J_J_Kant

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posted at 00:59:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月25日

デリダだからね、議論の総体(ハイデガーの言う問題全体としての存在論)を射程に収めないと、話題がわからないはずです。しかし、自己意識を物のように対象化するのは二元論に過ぎず、それを飛び越えないと理念の話に至らない、そういう話です。@J_J_Kant

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posted at 00:15:43

2016年06月24日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月24日

時は超越論的還元されると自然時間へ脱構築されちゃうのだが、どうも日本では唯識論のように、意識が時の発生源だというのが、暗黙の信仰のようになってるよね、という話をしてたからね。つまり発生的現象学が、(日本では)いかにも危険思想に聴こえる、という話(笑)。@J_J_Kant

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posted at 20:15:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月24日

中嶋さんが発生的現象学の視点が分からんというのよね、という話をした。エポケーすると、意識の志向性が取り出され、その志向性は時を志向できないので、時が志向性を発生しているが、ではその時はどこから発生するのかというと、アウグスティヌスの分類からだろう~ @J_J_Kant

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posted at 20:02:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月24日

たしかに、意識は自発的に能動的に主体的に現象しないが、カントの言う想像力は、通常空想力とされるが、それこそが死に至る有限的な時間であり、それが根源時間であるからこそ自己意識が芽生える、ということが言いたいようだが、主著では残念ながら言い切れていないようですよ。@J_J_Kant

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posted at 00:18:19

2016年06月23日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

それは私の端折り方を、ハイデガーの厳密性で受け取れていないだけです。つまり、まず意識の対象としての時間を無規定として、意識の対象とならない根源時間を規定というのです。カントでも図式論などで語られるのだが、端的に時間は概念ではないということです。@J_J_Kant

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posted at 23:59:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

たとえば、ツイッターでこうやってレスをもらうと、私の意識が発生して、何か返事をするのですが、はじめからその意識があったわけではないのです。いわば自発性に対する触発だが、意識である自我はそうした純粋触発だ、というような言い方をカントはするのです。@J_J_Kant

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posted at 23:17:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

時間はたとえば、感性論では一なるもの、演繹論では空間=時間から空間≠時間、原則論に至って絶対時間≠超越論的時間と、内実がシフトするとしても、感性が与える対象を悟性が思考できる発端の想像力が時間だ、という図式論です。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant

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posted at 23:13:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

ハイデガーよりもカントでしょう。なぜか皆さん時間というと、唯識論とか意識の流れとか内的意識のことだと思い込むのだが、対象による意識の生起という現象は、それによっては起こらない、というカントの時間規定を問題にしたいのでしょう。カントでは主題的ではないそうだが。@J_J_Kant

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posted at 22:55:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

つまり、意識が存在や時間を生み出すのではない、という原理に到達するための問い方なので、中嶋さんの違和感は、ハイデガーというより、むしろデカルトのいう神に対する違和感に聴こえます。これなど参考になるかも。bit.ly/28XHliF @J_J_Kant

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posted at 18:48:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

それは何かハイデガーとは別な言葉遣いに対する違和感に聴こえますね。ハイデガーは意識や実在という言葉すら使わないほど慎重に無神論を実行していくので、ご想像か分らないが被制作批判だし、永遠回帰批判と踏まえたほうが分かりやすいです。@J_J_Kant ハイデガー(への)違和感がある。

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posted at 18:46:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月23日

最近、誠実かどうかしか気にならなくなったからな。それもハイデガーを主著(基礎存在論)だけでなく、カント論など全集の視野から少し齧るだけで、これまでハイデガーに安易に反発していた人たちの不誠実が鼻についてきたからだろうな。困ったことに。twitter.com/masayachiba/st...

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posted at 07:51:51

2016年06月22日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

カントが「感性と悟性の根(根源)」という「想像力(構想力)」は、意識を生起する時間である、というハイデガーの結論というのは、フレーム内でちまちまルーチンをして寝てしまう意識のことではなく、フレーム問題を知能的にクリアする意識のことであるのは間違いない。@BeTakada

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posted at 23:39:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

この問題が見えなくなるというのが非常に際どい。とくに日本では、イノベーションとかクリエイティヴということに意識的だが、そのクリエイティヴな意識が何故生まれるか、という発想ができない。今AIがフレーム問題=意識を生むか、というクリエイションの話になっているのに。@BeTakada

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posted at 23:33:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

意識を生み出すのがどれだけ精一杯か。それを意識が想像力で何かをクリエイトできるという話に捻じ曲げるのがどんなにお粗末か。意識が想像力によって生まれるという彼らの超越論という話は、そういう意図で話されているので、自我がクリエイティヴだという話をすると見えなくなる。@BeTakada

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posted at 23:29:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

認識論か存在論かだけで見ると良いでしょう。ハイデガーの言う存在論は、演繹論を意識を生起する時と見做すというものだが、認識論者はそれは原則論(意識が生み出す時は非実在だ)ではない、というトートロジーを言うのです。そういう問題地平があるということです。@BeTakada

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posted at 21:38:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

確かに、演繹論を意識の原因たる時とする存在論は、原則論になっていないというのが認識論なら、ハイデガーが演繹論に対する原則論の手前で、GA31の積極的自由(神秘主義批判)に触れているのは看過できないと思えています。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 20:57:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

俗に認識論者は、ハイデガーの存在論である、感性論に対する演繹論を時間地平とし、意識が想像力=時を原因とするというのは、原則論たりえない、という批判が正しいのかどうか。時が意識の原因で、意識が時の原因ではない、という話のようだが。@BeTakada

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posted at 20:54:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

この動力学的四次元時間を超越論的時時間規定と、規定する限りに於いて、その射程の内に見えているのが問題地平ということです。その問題地平では、たとえば唯物論者のいうような物象化論などの問題も解決するはずだ、という予想があるということです。正しいかは知りませんが。@BeTakada

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posted at 20:16:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月22日

要は、時間を不動の動者(動力学的四次元規定)としなければ動けない、ということです。動けないとは、意識が時間によって生起しないということです。意識が時間を志向するのではなく、時間が意識を生起する、という射程です。この超越論的時間規定の上で、というのが問題なのです。@BeTakada

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posted at 20:13:37

2016年06月21日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月21日

三島自決、つまり三島の文学的失敗とは、ニーチェ~ハイデガー解釈の挫折のことだ。twitter.com/sunamajiri/sta... 同一なものの永遠回帰を輪廻転生と誤解して、絶筆でそれを変更して自害しているのだ。このことは今日の政治など日本の全ての震源地なのだ。それを見過ごすのは愚か。

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posted at 17:57:43

2016年06月20日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

そうそう。ハイデガーでは現象学は善というより徳だそうで。twitter.com/sunamajiri/sta... twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant 大岡裁きは現象学でしょう。

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posted at 16:58:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

ハイデガーの系譜は、新カント派批判~形式的告示~基礎存在論~メタ存在論~図式論だが。そうした演繹論から一気に原則論に飛躍するのかというとそうではなく、GA31のような消極的自由(神秘主義)に対する積極的自由という問題が明示されているのだ。ところがそれが看過される傾向にある。

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posted at 15:20:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

ところで、ハイデガー論の話題でいえば、最近のハイデガー論は、『カント書』から『物への問い』、つまり図式論から原則論への飛躍が話題になるのだが、何故かこのGA31の積極的自由という問題が看過されているのだ。誰もそれを論じていない。それが不思議でならないのだ。

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posted at 15:17:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

ここで自由という概念には、積極的自由と消極的自由がある、というハイデガーのカント論GA31を参照するのは、脇道ではないだろう。エックハルト(神秘主義者)は神から自由であること、つまり人間中心主義を自由というが、それは消極的自由だというのがハイデガーだからだ。

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posted at 15:12:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

教科書的には、非存在論=非理性=形而上学=ニヒリズムです。それに対する包摂が存在論という理性と呼ばれているわけで、政教分離のような法学では、そうした包摂的な理性を記述する方法が与えられないのです。ハイデガーだと他の学科では存在忘却になるというのです。@J_J_Kant

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posted at 13:35:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

存在論というのは分節より包摂が先行するような論述のスタイルです。それが形而上学という学科を批判することを超越論的というのです。したがって存在論が最も合理的なのです。理性を宗教と分節するという、理性の狭隘化ではおそらくニヒリズム=非存在論に陥るのです。@J_J_Kant

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posted at 13:32:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

よって、デカルトの方法に則り、カントの原則によって、より合理的に基礎付けるためには、従来のカント受容の認識論(意識は自我が発生源だ)から、意識が時間から発生しているという存在論で、ニヒリズムである形而上学を批判すると、それが理性、合理になるというだけの話です。@J_J_Kant

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posted at 13:29:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

別に混乱した非理性的な話ではなく、非存在論=ニヒリズムでは、意識の発生源たる時間を確定的に認識できない、という問題性の焦点があるというだけで、そこで要請されているのが、形而上学=非存在論に対する、存在論という論述のスタイルだ、と思えば教科書的な正解なのでしょう。@J_J_Kant

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posted at 13:28:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

それは、理性に宗教は含まれるか、という問いは理性的かということだが、確かに法学では政教分離が理性的だが、その法学は何によって基礎づけられているのか、という問題です。近代以後は、ある学科は別の学科、形而上学が基礎づける必然性がなくなり、論述でそれが可能になった。@J_J_Kant

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posted at 13:27:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

こうした、デカルトでは不十分だがカント以後には当たり前で、しかしそのカントの不徹底の穴を全部塞いだハイデガー以後には合理的になること、という観点から気になるのが、中嶋さんが当初から言っている「理性」という概念は理性的か、というあたりなんですよね。@J_J_Kant

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posted at 13:26:42

Simone Weil @simoneweil_bot

16年6月20日

いつも、時間との関係が問題なのである。時間を所有しているという幻想をなくすること。受肉すること。人間は、受肉という行為を果たさねばならない。なぜなら、人間は、想像のために、霊と肉とが分離しているのである。わたしたちの中でサタンから生じてきたものが、想像である。

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posted at 02:56:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

もう一つは、ハイデガーが唯一カントを批判した点、時間が意識の発生源であるなら、AIも人格を持つに至るだろうと言う再認識。この2つの再認識を綜合するとまるで神(の視点)だが、カントによると違うらしい(笑)。@J_J_Kant pic.twitter.com/Q6VqzqOHR9

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posted at 02:45:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

ところで、私が認識を新たにしたのは2つ。一つ目は、以前は無神論を神が実在しない信念と誤解していたが、ハイデガーがカントから導出した無神論とは、神の実在を無問題にする確定性のことだということ。@J_J_Kant

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posted at 02:41:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月20日

某氏が浅いという恩師の木田元はニーチェの観点から、ハイデガーがカントの被制作性を暴露したというのですが、そのレベルというのは、まだ神の実在・非実在を問題地平にしてしまっているのです。それを問題にしなくても、なぜ意識は生起するのか、目覚めるのか、という話です。@J_J_Kant

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posted at 01:41:15

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