大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月24日(火)
根拠律ではあるまいし、還元は無限遡行ではないですよ。疑いもないのです。ちなみにハイデガーはカント書以降の転回で、根拠律(の系)を所在究明erorterungと言い換えるほどだそうですね。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 20:02:11
鍵RT @jeanbeauty2 還元が、繰り返されるとき、これ以上疑い得ない、と判断されたとき、根源だと、判断しているのは、コギト?超越論的主観、純粋統覚?でしょうか。
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posted at 19:59:31
数学は無限を回答不能にすることです。一方、カント書は、無限から有限の純粋性を徹底させるといった按配で、「有限な論理を経験する」といった問題は存在しないと思います。@jeanbeauty2 ナトルプの超越論的統覚が、純粋意識であり、経験を介さないもので、論理的なものも、最終的には
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posted at 18:59:49
もっと集約すると、斎藤慶典的な「次元」という分節、高田珠樹的な「存在相」という分節、それをトンネルの入口と出口に備えていないので、トンネルがつながらない、そういう日本語固有の問題に見えています。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 18:53:38
おそらく、@jeanbeauty2 さんは、『存在と時間』から『純理』に戻ることで、2つのミッシングリングを抱えてるだけです。一つはエポケーを通ってない。もう一つはナトルプ報告を通っていない。それがトンネルと入口と出口で齟齬を来している。前者は斎藤慶典が明解ですね。
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posted at 18:50:18
そのカント書から斎藤慶典は以下を明らかにしますね。コギトを統覚に純粋化しただけでは時間が純粋化せず、それで意識という古名が自我となり、純粋方法を喪失する。しかし構想力なら純粋経験の名指すべき古名は世界で、それで時間、つまり無限の純粋性が確保されますね。@jeanbeauty2
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posted at 18:40:53
ちょっとこの書き方twitter.com/sunamajiri/sta... は訂正。斎藤慶典は純粋=超越論とカント書から定式化することで、フッサールの失敗を言い当てますね。(続く)@jeanbeauty2
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posted at 18:39:30
ところで、斎藤慶典は「次元」を術語にしますね。「想像力は自我とは異なる次元だ」といういわば補語なんですが、ナトルプ報告を重視した高田珠樹の『存在と時間』の訳文が「存在相」という「相」を補語にする遣り方に似ている。どうやら日本語にはそれが必要らしい。@jeanbeauty2
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posted at 18:31:02
斎藤慶典は五章以降、フッサールの問題点を明確にハイデガーから言い当てていきますね。twitter.com/sunamajiri/sta... つまり動態や発生にならないということですが。@jeanbeauty2
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posted at 18:28:19
斎藤慶典には純粋=超越論という明確な定式がありますが、コギトを統覚に純粋化しただけでは、時間が純粋化してないですね。それで意識という古名が自我となり、純粋方法を喪失しますね。しかし構想力なら純粋経験の名指すべき古名は世界で、それで時間が取り出されますね。@jeanbeauty2
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posted at 18:18:53
フッサールが統覚もコギトを知らなかっただけですから、コギトを純粋化した統覚を意識に戻したことに対して、自我と言って失敗しますね。@jeanbeauty2 ナトルプの超越論的統覚が、純粋意識であり、経験を介さないもので、論理的なものも、最終的にはここに、回収されるといいます。
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posted at 18:15:02
斎藤慶典フッサールよくまとめてますね。twitter.com/sunamajiri/sta... 最終章の時間に関しては、まだ読み込んでませんが。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/qgbdDCscs7
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posted at 18:10:48
私もうまく言い当てられないのだが、翻訳による摂取でハイデガーだけが、カントのような古名に比して誤読されやすいのは、文意ではゾルゲなのに、語彙ではダザインで、それ(現存在)をゾルゲという文意で読めない誤訳が横行した、といったパースペクティヴらしい。@LitoSnowfield
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posted at 11:02:59
ちなみに、従来はダザインの和訳名だけを現存在と捉え受容することで生じた誤読があったのに対して、最近ではゾルゲの意味内容も現存在と捉える、という転換が起こったというのがさっきの話。@LitoSnowfield
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posted at 10:51:24
あの世代から村上春樹世代ぐらいまでは、意識的に旧来のハイデガー誤読を相対化するために小説書いてるからなー。問題は後続世代がその批判性を意識化できず混乱が助長されて、飽和したことぐらいしかないからねー。@LitoSnowfield 筒井さん世代?であるためか
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posted at 08:53:18
はやっww それよみやすいよ。おすすめするのわすれてた。高田珠樹訳の翻訳シンポでも、それにもとづいた話だった。シンポでは村上春樹とナトルプ報告を比較文学していたが。私はそれを探ってるだけだよ。togetter.com/li/749961 @LitoSnowfield
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posted at 08:45:02
そういえばご紹介しなかったが、高田珠樹『ハイデガー』 amzn.to/1AoxU4w は一般教養書の語り方なのでだれでもナトルプ報告の意味がわかるはずですが、その「気遣い」の章読めば、別に『存在と時間』読まないでもいいんじゃない? @LitoSnowfield
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posted at 08:37:33
でしょ? いやそこ重大なんですよ。それが高田訳の高田珠樹が訳出したナトルプ報告です。従来はそれに類する誤読でハイデガーが誤解されていたことになるからなんです。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 08:35:55
リトさんが代表してるけど、告発されるのは(私が)独断的かどうか、という大問題。しかし私が面白いというのは、自分が「ゾルゲ」なので、他人を気にする=独断するような問題系は、現代では非本来的とされることで、独断ってもう不可能なのではないの?ということ。@LitoSnowfield
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posted at 08:13:17
2015年02月23日(月)
冷戦時代だから亡霊のようにね。ヘーゲル~マルクスの疎外論も、フッサール~ハイデガー未満の、カントの派生物だから、取るに足らないはずなのだけど、代替信仰のようになっていたんだろうね。ハイデガーから見るとどうでもよくなるからね。@LitoSnowfield 当時マルクスの読み直し
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posted at 07:21:04
フッサールのursprung(起源の純粋化)をerorterung(所在究明、ザラデル146p)に転回しモーセのようになったハイデガーtwitter.com/sunamajiri/sta... を柄谷は積極的に誤読して、マルクスをモーセと捉えて別の起源に逝くね。@LitoSnowfield
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posted at 07:12:44
そう、われわれの世代だと柄谷って80年代あたりで終わってるからなー。あの若い世代の感覚はわかるんだが、そんなこと言っても始まらないだろうと。ww @LitoSnowfield その辺りの柄谷さんを知らないのですが、色々とあったようですね〜(;uou)>
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posted at 07:03:52
攝津くんは、あまりにも膨大な柄谷呪詛を四六時中FBに書いてるので、ミュートしてて見てないのだが、柄谷のアソシエーションで自殺者がでたことの罪業しか言わないからな。怨念の塊になっている(^-^)/ @LitoSnowfield <攝津さんの仰るアソシエーション
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posted at 06:57:12
しかし、合田が柄谷にたじろいでるのは、柄谷のハイデガー批判(誤読)によるものだと見える。柄谷がハイデガーを誤読することで、合田がレヴィナスに戻されてるのだ。この柄谷のハイデガー誤読が、攝津くんがずっと死人が出たと呪詛しているアソシエーションなのかね。@LitoSnowfield
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posted at 06:53:05
ここで日本語の力といったのは、高校生から読書相談された時に、誰の日本語なら安心して読めるか、ということをいっているようなものなのだが、斎藤慶典にはそうした初学者を問題の本質に直面させる力がある、と感じた。永井均もだが。ちなみに斎藤は永井に依拠している。@LitoSnowfield
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posted at 06:48:15
私が探るのは、日本語としての充溢のようなものなので、誰が一番汲めているか、そして誰がその汲めたものを端的に出しているか、を測定してるだけなのだが、ザラデル訳出の合田正人はその後レヴィナスに戻り、それに比べればフッサールの斎藤慶典は日本語の力がある。@LitoSnowfield
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posted at 06:46:39
合田正人の柄谷行人批判は、その新書の序文で紹介されてる。マルクスの「可能なるコミュニズム」を柄谷がアソシエーションと短絡したことへの批判のようだが。bit.ly/1MMjGQd この合田の語り口はなぜかザラデル訳出の時の切れがない。@LitoSnowfield
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posted at 06:41:11
東のインタビューの載った現代思想デリダ特集号にも、合田正人何か書いてるけど、まだ読んでいない。いつもまわりくどいことをいう人で柄谷にうまくかわされてたのだが、なぜかそのザラデルだけは名訳(端的な文章)と後書きも端的。@LitoSnowfield
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posted at 06:35:16
合田正人は、批評空間で柄谷のマルクス解釈を批判する対談をしているのだが、あらためてこの本www.amazon.co.jp/%E5%90%89%E6%9... で引用したそれは、柄谷にやり込められてるように感じられるほどなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 06:23:10
あれはすごい。この前どこかのブログで、レヴィナスを単なる他者論に通俗化して終った、というのがあるのだが、指導教官のレヴィナスひっくり返し、デリダを沈黙に追いやって、ハイデガーをいわばモーセにしてしまってるからな、ザラデル。@LitoSnowfield ザラデルさんも凄い
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posted at 06:02:18
ハイデガーにあるのは、文字通り受け取ったユダヤの民と、文字通り受け取らなかった非ユダヤの民と、どっちに真実があるのか、ということだけだから、ユダヤの民に歩はないね。現代思想はレヴィナス~デリダも、そこから頽落した、というのがマルレーヌ・ザラデル。@LitoSnowfield
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posted at 05:57:01
奴隷根性丸出しねユダヤの民、モーセがかわいそうww(^-^)/ @LitoSnowfield 奴隷となっているユダヤの民を救え!エジプトへ災いを!…と躊躇する(モーゼはエジプト王と兄弟のように育った) モーゼを焚き付けているのでした(*^o^)/
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posted at 05:48:57
もう公開されたのね。復讐神?(^-^)/ @LitoSnowfield そいえば先日に新作な十戒の映画“エクソダス”という作品を観たのですがモーゼだけが視える神様がまるで復讐神で面白かったです(*^o^)/ movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%82%A...
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posted at 05:42:25
いわゆるカレッジだとリベラルアーツ必修でなく、実学やるんじゃない? それと新興学部のビジネスカレッジ(MBA)。あれはもともと会計士に法律知識がないからはじまった学部だが、リベラルアーツ省略するから、カルトみたいな人達ばかりよ。非常に危険な思想の人達。@LitoSnowfield
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posted at 05:30:49
だから、アメリカでは教育するんだよ。中途半端な教育を受けた一般的アメリカ人なんて、インテリジェントデザインとかカルトを言い出すぞ。ダーウィンがタブーの国なんて、アメリカぐらいしかないのよ。@LitoSnowfield
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posted at 05:27:31
@sunamajiri 確かにそれ (リベラルアーツ) を踏まえていないと危なっかしいと思いますが、それを踏まえていないとアメリカ…と仰ったように思いますが(・o・)? twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 05:24:43
それは法科みたいな実学でなくても音大でも必修。ところが日本人からはアリストテレスがキリスト教神学にみえてるのだ。だからコギトの問題もエポケーの問題も捉え違うのだ。最たるものがハイデガーのゾルゲの捉え違いなのだ。そんなものでパニクるのは日本人だけなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 05:21:58
アメリカの大学で学部生というと、まずアリストテレスをキリスト教から引き剥がす文脈を、徹底して教え込まれるのだ。それをリベラルアーツというのだよ。それを省略して実学だけやるから、日本人がパニックに陥っているんだよ。しかし、それは別に難しい問題ではない。@LitoSnowfield
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posted at 05:15:32
竹田青嗣の問題点は、おそらくフッサールのエポケーをコギト(神要請)で説明してしまい、ハイデガーのカント書以降の転回の問題を説明できない点にあるのだろう。それ以外の説明は普通だとおもうよ。私はもっとかいつまむからね。なぜかというと・・・、@LitoSnowfield
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posted at 05:13:42
そういう問題じゃないんだよ。アリストテレスの形而上学と自然学の問題なのだ。それが分からなくなるとキリスト教神学、創造物神話になるのだ。アメリカなどそのままなのだ。それをカントが空間と時間という、感性論にするのだ。@LitoSnowfield
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posted at 05:09:20
リトさんが理解していないのはカントの空間と時間。それ未満だとどうなるかというと、いわば古代の霊魂のままなのだ。物を知覚する時、座標ではなく空間や時間を先験的に持っているのは、分割できないものが霊魂ではないからだという話。カント未満だとアメリカになる。@LitoSnowfield
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posted at 05:05:35
その本はしらない。カントに戻ってるな、怪しそう。とにかく空間と時間という直感が何かが分かれば何の話をしてるか分かるよ。@LitoSnowfield その本の1年後に出されたもののようです。www.amazon.co.jp/%E8%B6%85%E8%A... 怪しいと思ったのは本文ではなく前書き部分で
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posted at 04:59:50
それは竹田の怪しさでなく、カントの怪しさだから。ハイデガー以降はそれがないのだ。フッサールではまだ残存するのだが。@LitoSnowfield 冒頭を読んでちょっと怪しいなぁ〜と思って保留していたのでした(笑) <竹田さんの超解読カント
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posted at 04:49:31
冒頭だな。その空間と時間だけ拾い読みすれば十分。それでフッサールでエポケーしてハイデガーでフッサールの純粋領域(自我)を超越してくれれば、日本で起こっているアメリカの経験論と本覚思想にやられることもない。@LitoSnowfield pic.twitter.com/vydCQ4vX5O
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posted at 04:46:44
~、竹田青嗣の純粋理性批判超訳を購入されたのなら、時間と空間という直感の部分だけ拾い読みして、何のことだか理解しておけば十分だろう。その本は持っていないので、どのページだか指定できないが。竹田もたまには役にたつww(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 04:38:50
しかもカントの超越論性では、フッサールがエポケーした先験性を孕むので、まだ危険なのだ。図式論の問題(直感と概念の関係の問題、カントはそれを純粋統覚にし、ハイデガーは純粋性を構想力にし、斎藤はそれを世界を超越論化する時間というようだが)は~ @LitoSnowfield
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posted at 04:37:32
ちなみに、とんずらしたアンチブッディストすさんの主張が何だったかというと、デカルト以降カント未満のヒュームの経験論から、英米というアメリカが出現するのだが、それと日本の本覚思想が結託することで、恐ろしい時代が訪れた、ということ。超越論性がないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 04:24:58
伊藤博文ではないが、神格化を必要とするのは、近代化ではデカルト~カントの神要請のままで、フッサール~ハイデガーの還元的超越、超越論的還元に達していないからだよ、神格を要請しないでも、原発のように手に負えないものまで人災として抱えたりする。@LitoSnowfield
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posted at 04:19:58
おどろくべきことに、斎藤慶典フッサールは、その『カント書』の地平から、フッサール批判をしている点。そこでも経験に対する超越論性を、自我など領域に対する純粋の全体、として遂行しているのだが。『カント書』を読まずにも反地動説に至る唯一の道かもしれない。@LitoSnowfield
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posted at 03:55:59
古書市場に出まわらないでしょ。ただしそんなに簡単に読めるテクストではない。大抵はカントの古名(古い概念範疇)で読んで分からなくなるんじゃない? コツは純粋性だけで充満させるにはどうするか、というのを綿密に遂行していると読めば読めるのだが。@LitoSnowfield 翻訳本が幻
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posted at 03:53:17
ハイデガーはカント的転回の危険な部分を、甲羅を剥がすようにきれいに取り除き、カントが発見した時間空間という直感性だけを、純粋に取り出すことで、超越論性の純粋化に成功しているのだ。それを超越論的構想力というのだ。それが『カント書』だよ。@LitoSnowfield
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posted at 03:47:45
このように、カント的転回は危険極まりないのだ。権利や領域や自我や客観視を捏造してしまう。フッサールのエポケーによって、それから自由になっているのだ。しかしフッサールはナトルプの新カント派の領域=自我を純粋性と勘違いするが、ハイデガーにはそれがないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 03:45:16
『アリストテレスの現象学的解釈』は高田珠樹訳だが、『ハイデガー読本』の森秀樹は最良の要約になっているので、なぜ時間性や事象がハイデガーによって隠蔽されたようにみえたのか、そしてなぜそれが「気分」なのかがわかるよ。アリストテレスの範疇がおかしいだけだが。@LitoSnowfield
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posted at 03:41:13
カント的転回だけでは、存在者の全体(宇宙の全体)に対極する神の視点(領域)が派生してしまうのだけれど、ハイデガーはフッサールによって、それを克服していくのだ。しかし、当初『存在と時間』しか刊行されてなかったので、ナトルプ報告まで、謎とされたのだ。@LitoSnowfield
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posted at 03:38:32
第一章のナトルプは、新カント派の領域存在論(自我の純粋性)なら、数学は論理か心理か、というフッサールの疑問に踏み入る人物だが、ハイデガーではナトルプ報告で、ハイデガーが克服していたのを知らしめた人です。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 03:26:35
(続き)第5章は、領域の静態性に対する、内的時間の動態性です。第6章は未読なのだが、コペルニクス的転回を覆す反地動説的時間のようで、権利問題(カント)から事象そのものへ新転回が遂行されてるようです。@LitoSnowfield
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posted at 03:14:29
心理学主義と論理学主義の中庸は、新カント派の純粋自我だ、というナトルプ~イデーン1は、第一章にでてきましたっけ? それをエポケーするのが第二章です。第三章はエポケーした先の構想力です。第四章は構想力の媒体=身体に取り残されるものです。(続く)@LitoSnowfield
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posted at 03:03:58
たとえば、bit.ly/1zYKjHG のような図式論はエポケーの手前、つまりカントなんです。しかし、エポケー以降、素直になるといわばハイデガーになるんです。フッサール自身は素直でなかったので、最晩年まで自我とか領域が残存するんです。@LitoSnowfield
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posted at 02:55:38
だから、何を助言したいかというと、のめり込めなくて普通かもしれない、ということなんです。斎藤慶典フッサールは、ハイデガーの『カント書』の遂行に相当しているんです。それは、エポケーしても、まだ純粋自我を想定してる人には読めない、ということなんです。@LitoSnowfield
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posted at 02:52:24
つまりフッサール批判なんです。中田光雄がフッサールがやっと最晩年の方舟論でハイデガーを取り込んだというように、斎藤慶典は第5章以降ハイデガーのカント書の統覚批判(構想力)からフッサールを批判していきます。@LitoSnowfield pic.twitter.com/KWLkj1jZCN
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posted at 02:48:18
ちなみに、リトさんがこれから読む二章が、エポケー(のコギトとの違い)についてだけど、それも作業概念、すぐ破棄されます。ちなみに第五章で反地動説になります。それを齎すのがハイデガー『カント書』の構想力から、フッサールを批判的に斎藤が解説するからです。@LitoSnowfield
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posted at 02:36:33
その意味で、斎藤慶典フッサールは、かなり危険な本です。その言い当てが起こっているからなんだけど。だから一気にのめり込める人と受け付けない人が出るはず。www.amazon.co.jp/review/RPJLY6C... www.amazon.co.jp/review/R26UF3I... @LitoSnowfield
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posted at 02:34:44
簡単に言うと、それを言い当てる言葉を鬱陶しがるんです。当たり前のことだからなんだけど、しかしそれを言い当てる言葉の能力がない。たとえば、@jeanbeauty さんも、bit.ly/1zYKjHG と、エポケーの手前なんです。@LitoSnowfield
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posted at 02:26:13
言い換えると、何故あるいは何処で気が散るのか? ということを気にしているんです。ちなみに、その斎藤慶典フッサールの第一章は、エポケーの手前までですね。言い換えると、神観念要請までは読みやすいんです。そこでみなさん、止まるんです。思考停止というやつ。@LitoSnowfield
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posted at 02:18:38
まず、二人称というか、丁寧語のように語りかけると、個人攻撃にならなず角が立たない、という日本語の問題は度外視してくださいね。それはどうでもいいことなんです。その上で、のめり込めるはずのものにのめり込めない人達が大量に生まれたことを考えているんです。@LitoSnowfield
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posted at 02:14:13
@sunamajiri 負い目というのとは違いますが(*^o^)> 哲学な本は久しぶりなので慣れというか読み方の勘所を忘れている感じで…ペースがスローなのです(*^o^)/
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posted at 02:11:57
あまりのめり込めていないご様子ですね。のめり込める方がどうかしてるんですが、それを個人的な負い目に感じないで、それこそそこはエポケーしないと先に進めません。それが皆さんで起ることなので、どこに原因があるのかを、診断のようにしようとしているだけですから。@LitoSnowfield
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posted at 02:07:15