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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
並び順 : 新→古 | 古→新

2015年02月12日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月12日

このどの地平を客観とするか、という事柄は、現代的な問題らしく、日本ではパニックになるらしいね。そんな難しい問題では無いはずなのに。

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posted at 06:41:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月12日

だから日本では客観が怪しいと言われるのだ。たしかに、現代思想などでは反地動説的客観といった地平が問題化しているのだが、いわば日本では地動説以前の地平、つまり前近代的な地平を客観だと思っているようなものなのだ。どの地平を客観というか、ということなのだが。

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posted at 06:40:21

2015年02月11日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月11日

西田はドイツ的なこと言ってて、デカルト骨抜きにしてまともなのに、永井が英米みたいなこと言うのだ。@LitoSnowfield 哲学少女さんとお話なさっていましたね〜(*^o^)/ ハイデガー受容時の京都学派をサーチングですか(*^o^)?

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posted at 05:50:51

りと ᙏ̤̫(3さい) @LitoSnowfield

15年2月11日

@sunamajiri お〜(*^o^)> 哲学少女さんとお話なさっていましたね〜(*^o^)/ ハイデガー受容時の京都学派をサーチングですか(*^o^)?

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posted at 05:48:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月11日

さっきの永井均の西田幾多郎本も、すぐ英米分析哲学っていうから、ちょっと鼻についてる。英米嫌い。(^-^)/ @LitoSnowfield

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posted at 05:45:14

2015年02月10日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

いまの英語と日本語のどちらが「ありのまま」か、というのは、世界内存在というありのままがどちらにあるかという永井の対比だけど、私の説明は永井よりわかりやすいわけでないので、その部分も貼っておきます(汗)。@ecila808 pic.twitter.com/uRwW8gsNoA

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posted at 11:54:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

次のページはこうです。意識を対象化しないこと、それが無を対象化しないことに近づいていくのだけれど、永井はどちらが、言語としてありのままの表現かという、英語表現と日本語の無人称的特殊性で、西田の純粋性を汲んでいきます。@ecila808 pic.twitter.com/PtKidiN28R

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posted at 11:46:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

重要なのはここですよね。西田の『版を新たにするに当たって』。デカルトのコギトのような神観念要請では満足できない(説得されない)のだから、一端は観念論になる。@ecila808 pic.twitter.com/9SNHePOs3W

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posted at 11:38:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

私もこの永井の西田本は、数年前に一読しただけで、再読しようと思っていますが、薄いですよね。読むのに1時間かからない。しかしこの薄さがハイデガーから、西田前期の独我論を汲み、絶対無を記述することからくる薄っぺらさ、にも見えている。@ecila808

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posted at 11:27:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

永井の西田の独我論の紹介の仕方は、英語に比べて、無人称の日本語では西田の「数理」のように、世界内存在が表現できない、というハイデガーから西田を汲む仕方です。それによって永井のいう西田の転回が、無を対象化しないことだ、と明記されているように思えます。@ecila808

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posted at 11:24:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

いま教えていただきたいとすると2つ。一つは昨日仰っていた独我論 twitter.com/ecila808/statu... は、この汲み方でよいものか。またこの永井均の紹介の仕方の妥当性を、どう捉えているか、ということです。@ecila808

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posted at 11:09:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

永井は、日本語表現と英語表現という最初の章で、川端の雪国の冒頭の無人称は、世界内存在を汲む英語では訳出できないが、この無人称が西田前期の独我論で、それが後期に転回するという、紹介の仕方になっているようです。いわば世界内存在を表現できない日本語の問題です。@ecila808

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posted at 11:01:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

もちろん、この本 amzn.to/1DVzrOI は西田幾多郎ではなく、永井均の本だけれど、永井は西田前期をある仕方で紹介すると、西田の独我論は、このように汲めると紹介していますね。@ecila808 pic.twitter.com/RHDR5W0022

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posted at 10:53:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月10日

昨日、対象化できない無という一点で、ハイデガーにしろ西田にしろ、可能性が汲みつくされていない、そういう惑乱があるという話になりましたが、永井均が西田幾多郎を論じていて、現代では哲学は紹介の役割しかないといいますね。@ecila808 pic.twitter.com/5czy2Llj6D

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posted at 10:48:15

2015年02月09日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

ハイデガーが『カント書』末尾で、ヘーゲルの論理学のダメ出しを繰り返しますが、フッサールやハイデガー、そして西田の言う「論理」は、一般の人のイメージするそれとは、かけ離れてるんでしょうね。実に当たり前のことなのに。@ecila808 pic.twitter.com/vJzWbuad6k

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posted at 13:07:36

哲学少女 @ecila808

15年2月9日

@sunamajiri まあさすがに京都学派の流れを汲んでいる人たちは違いますが、より広くは。まあ西田が論理と言っているものを捉えるのが難しい部分もありますし、実際禅も出てくるので、単なる間違いではないわけですけど。

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posted at 12:55:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

それほどなんですか。理路不明で禅に結びつけるんですかね。意識を対象化するのではなく、意識が対象化するのだ、というのを経験論の人たちは、禅の復古のようにとらえるんですかね。ハイデガーも誤解されまくってるんでしょう。開覆しすぎてしまい逆に掩蔽のように映る。@ecila808

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posted at 12:49:08

哲学少女 @ecila808

15年2月9日

@sunamajiri 学会ができたのも比較的最近ですしね。条件反射の批判で悪者にされるか、やたら神秘化されるかのどちらかが多かった。禅というイメージが悪い影響を及ぼしている。西田が禅とか言われるのを嫌ったのもよくわかります。今はもっとフラットに研究されるようになってきていますね

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posted at 12:42:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

ハイデガーの転回が、寄与や黒ノートという後発文献によってではなく、また従来の解釈者の恣意でもなく、厳密に内的な理路として解釈され始めた時代です(そんなことまだ分からなかったのかと驚くほど)。西田に関しても戦後の問題があって十分に汲みつくされたいない気もしますね。@ecila808

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posted at 12:36:21

哲学少女 @ecila808

15年2月9日

@sunamajiri そのへん面白そうですね。折に触れてハイデガーに絡んでますが、そこまでなかなか入って行きにくいですね。徐々に入って行きたいですが。

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posted at 12:30:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

そこからいわゆるメタ存在論への転回が、内的な理路として必然化された、と丸山氏は論証しているように見えます。その後の現代思想では、大地論への反地動説的新転回などと中田先生もおっしゃる。しかしいわば場所のことなんでしょう。場所論以降の西田はおもしろそうですね。@ecila808

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posted at 12:26:25

哲学少女 @ecila808

15年2月9日

@sunamajiri 確かにそうですね。対象化されざるもの(まだできないだけとかでなく)として、存在者の連関を開くものとして無を捉えて行くという意味では、接近を示している感じがします。そこで西田は弁証法論理ということを頻りに言い出すわけですが、ハイデガー的にはどうなんでしょう

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posted at 12:18:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

ハイデガーがここで、無を対象化しないというのは、存在者の全体を企投するには無が対象化される。しかし、被投は偶然的であり、そのことが有限性である。よって対象化されるのは無ではない、ということのようなんですが、逆に、無を場所とすることと、非常に似ている。@ecila808

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posted at 12:18:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

私も従来はそう感じていたのですが、ハイデガーの無を、無の対象化の完全な排除として読むと、丸山氏のような整合性が得られる。その点で、無を主語とせず場所とするということと非常に近似しているようにも見えます。@ecila808 対立的な感じ pic.twitter.com/TVP7ErZjZT

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posted at 12:15:33

哲学少女 @ecila808

15年2月9日

@sunamajiri もちろん比較は無意味だとか、西田は禅的だから特別だとか言いたいのではなく、むしろ私も現代哲学のコンテキストに西田を位置付けたいのですが、その内在的困難という意味ですね。これに関しては検討中というか勉強中ですね。

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posted at 12:11:21

哲学少女 @ecila808

15年2月9日

@sunamajiri 不案内ですが、ハイデガーの無は、あらぬのではなくある的に、存在者の輪郭線というか、浮き彫りにするものというか、対立的な感じがします。西田は存在者と存在の区別をしないので、比べるのがなかなか難しい気もします。

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posted at 12:01:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

(続)ハイデガーで「無」は『カント書』で丸山bit.ly/1DSBVh4 の抜粋箇所のように、いわば「無」それ自体になるようですが、西田はそこに独自に向かおうとしているように見えますね。@ecila808 pic.twitter.com/HJj8J7RGqm

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posted at 11:48:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

英米の経験論が意識を主語に対象化してしまうのに対して、述語化=対象化する意識の場所を与格にするのがドイツ観念論の牙城なんでしょうね。ハイデガーで「無」は~ (続)@ecila808 bit.ly/1xTs1qA 絶対無という語を西田は主語として使うことはほぼなく

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posted at 11:47:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

意味があるでしょうね。中沢も「西田だけが自覚した」と触れてますね。問題は書けているかどうか、だけですが、ハイデガーが無から出発しないことに拘るのは、被投に行くためのある種の手続きのようですからね。twitter.com/sunamajiri/sta... @ecila808

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posted at 02:40:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

簡単にいえば、被制作性(造物主)を解体することしか、思考はできないはずなのだが、そのことで生み出されるある種の多義性が、思考の正確さを歪めてしまい、いつのまにか作為性・自然・絶対無のようなものが、突然取ってつけたように出てきてしまうのだ。この副産物の処理が問題になってしまう。

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posted at 01:48:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

このテクネー~machenshaftでは、作為に対する自然が出てくるのだが、問題は多義性だろう。丸山文隆が指摘する自然の多義性(手許性)www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... の前に、ナトルプ報告が指摘するアリストテレスの生の多義性を克服したいだけなのだから。

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posted at 01:34:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

ところで、木田元追悼対談で、より重要なのはこのテクネーの部分。黒ノートシンポでハイデガーを弁護できないと辛辣だった三島憲一氏も出てくるが、黒ノートでは明解にmachenshaft(工作機構、もっといえばユダヤによる作為性)。 pic.twitter.com/slfffYu1L1

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posted at 01:32:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

ツイートまとめ(^-^)/ 木田元追悼対談に想う、「絶対無から、つまり禅から初めてはならない」。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 00:53:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

さて、これを捉え損なう、つまり禅でも西田でもよいが、絶対無でライプニッツに対向するとどうなるか、というのが日本人の具体的な関心事。正月のNHK戦後史証言・吉本隆明でも、梅原猛が京都学派を攻撃する吉本隆明を熱弁していた。 pic.twitter.com/WYcAefbJLU

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posted at 00:30:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

木田元が『カント書』ではなく『現象学の根本問題』とメルロの「反哲学」によって、テンポラリテートの文脈を回復したというのが興味深い。ハイデガーでは『カント書』に至らなければ、造物主は駆逐されていないように思えるからだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 00:23:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

続いて鷲田清一が、それを補うのが「反哲学」だが、それはメルロ=ポンティーの概念というと、高田珠樹が知らなかったという。このようにハイデガーとメルロを横断できたことでテンポラリテートが無のような罠にならない画期的な日本語の先駆となった。 pic.twitter.com/vJJZ9grfPs

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posted at 00:21:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

対談で高田珠樹は、ナトルプ報告を察した木田元が、『現象学の根本問題』の順序から手許性に至った、というのは、先日の丸山文隆twitter.com/sunamajiri/sta... の『カント書』直前までの話。 pic.twitter.com/597PeLD1VZ

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posted at 00:15:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年2月9日

この話は、哲学や思想の議論とは無縁の読者には、単に創造主と被造物の関係などない、という現代では自明とされる一点twitter.com/sunamajiri/sta... だけが読み取れる話なのだが、それを明確に記述することの困難が問われている。 pic.twitter.com/iYWWHqZSsh

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posted at 00:05:29

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