大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年02月06日(金)
『カント書』はwww.amazon.co.jp/review/R3QBL4N... によれば3和訳あるそうですが、最新の創文社版も増刷してくれませんね。これではミッシングリングでしょうね。@jeanbeauty2 是非、出版して欲しいです、カントと形而上学の方も、欲しいのですが、手に入っていません、
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posted at 00:15:41
因果律とか必然性とか純粋性とか、古名というのは、ハイデガーが『カント書』で認識者を有限性に確定するまで続いた名前ですよね。いわばハイデガー以降は、東のインタビューtwitter.com/sunamajiri/sta... ではないが、必然性すらも問題にならない。@jeanbeauty2
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posted at 00:18:22
もっと短絡的にいうと、認識者が神のような無限性を要請している場合にだけ、因果律や様相性などが、名前化されただけです。それでは神すら不純だ。それらを純粋に抽出すると、企投のような認識が意味を失うのです。『カント書』は必読書なのですけどね。文庫本にすべきです。@jeanbeauty2
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posted at 00:20:13
仮象かどうかbit.ly/1LRW6kF というよりは、やはり基礎付けをめぐる『カント書』の遂行意味でしょうね。@jeanbeauty2 bit.ly/1v2Vz4P 統覚の有限性ということで、調停役も神ではないから無理という場合、総合判断の確実性
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posted at 09:52:25
目次の一部を添付しますが、無から始めないこと、というのは仮象の問題ではないですね。カント書については丸山文隆氏の論考twitter.com/sunamajiri/sta... が面白かったですよ。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/JLOo49PxzT
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posted at 09:59:45
理想社版の木場氏による『カント書』の訳者解説です。www.evernote.com/l/AJ0Iuf7JbFhM... 古本が一冊ヤフオクにありますね。ただし、創文社版でないと、肝心のこのカッシーラの付録がなく私も未読で困ってます。bit.ly/1vCoWgk @jeanbeauty2
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posted at 10:12:41
2015年02月07日(土)
@sunamajiri まあ、本来エッチは子供を作る手段にすぎなかったものが、今はエッチが目的で子供はその予期せぬ結果にすぎないという価値の転倒が起こってますからね(^^)
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posted at 11:22:44
その偶然性、先日来、様相論=必然性を括弧に括ったtwitter.com/sunamajiri/sta... といっている、現代思想の東の最新インタビューの結論なのですよ。bit.ly/1zZ0Lwo @J_J_Kant 今はエッチが目的で子供はその予期せぬ結果という価値の転倒
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posted at 11:36:11
簡単に言うと、恋愛もセックスも偶然だが、生まれてきた娘には出生は必然だ。しかし娘ならそうかもしれないが、息子はその必然性に疑問を持つオイディプス関係を抱くという話twitter.com/sunamajiri/sta... で、必然性は旧来の価値観として葬られたという話です。@J_J_Kant
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posted at 11:43:41
ツイートまとめ(^-^)/ 今この現代に偶然・必然という様相論は何を意味しているか、という皆の関心事。
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 12:25:58
河出道の手帖『木田元』巻頭の鷲田氏との高田珠樹氏の対談。(日本はテンポラリテートを神秘的に受容したが、ナトルプ報告以前から)木田は「キルケゴール的動機」いわゆる「気分」で、存在と時間を捉えていた。翻訳シンポの高田氏の発言の解説のよう。 pic.twitter.com/RQHy3trHGf
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posted at 17:39:35
鷲田・高田対談面白かった。木田は『存在と時間』とは逆順になる『現象学の根本問題』から時間性に言及するも、手許性から踏み込まないが、メルロの「反哲学」から一気に「ある」=「作られてある」=被造性を喝破した。そういう時の文体は、メルロ訳文のますらおぶりとは対照的で男々しかった。
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posted at 19:06:41
2015年02月08日(日)
温泉でiPhoneでツイートしたので、文意に間違いがあるな。訂正 メルロ訳文のたおやめぶりとは対照的に、ハイデガーを論じた木田元の文体は、ドイツ語全集の総編集者を「とても頭の悪いやつ」といったり、ますらおぶりになった。それより日本人が陥ったテンポラリテートを反哲学で克服は笑った。
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posted at 02:34:28
なぜ日本人が殊更テンポラリテートの罠に落ちるたのか、対談はそれに触れている。罠とは西欧では当然の、ある→作られてある→プラトンの被制作性→ユダヤキリスト教の被造物と、ゾルゲである「私の『ある』ことが気になる」が結びつかず、木田氏によって目から鱗が落ちたと鷲田氏。
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posted at 02:54:54
対談は翻訳シンポの直前。翻訳シンポで、従来訳は「私の『ある』ことが気になる」を踏まえられず、ある種の迷いがあったが、木田元はそれを踏まえ、謎とされたテンポラリテート(時間性)に目処をつけ、メルロの「反哲学」という概念で、被制作性=被造物に直結させた、という話。
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posted at 03:00:54
鷲田が木田元まで「ある」を「作られてある」、すなわち西欧独特の被造物という問題だと分からなかったというのは拍子抜け。さらに木田元の「反哲学」がメルロ晩年の概念です、という鷲谷に、高田が知らなかったというのも意外。つまり、ハイデガー、メルロと横断的に読めたのは木田ぐらい、という話。
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posted at 03:04:19
無から初めてはならないtwitter.com/sunamajiri/sta... という、ハイデガー以降のいわば反地動説を考えている時に、哲学少女の、ライプニッツの有に対する西田幾多郎の絶対無の話を捕捉してしまった。twitter.com/ecila808/statu...
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posted at 23:31:31
そこで、昨日紹介しそこねた木田元追悼号の鷲田清一と高田珠樹の対談。というのも、ナトルプ報告まで、日本ではテンポラリテートがいわば絶対無のように誤解され、木田元だけがメルロの反哲学から、その誤解を免れた、という趣旨になっていたからだ。bit.ly/1KCL1Ra
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posted at 23:32:36
この道の手帖木田元追悼号の鷲田清一・高田珠樹の対談は、ナトルプ報告の日本における受容について、ある意味重大な証言である。高田がナトルプ報告の紹介者で、木田元は三木清の手紙ですでに察していた、という話なのだが。それを察していないと、どうなるかが問題。
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posted at 23:36:39
ナトルプ報告については『ハイデガー読本』森秀樹『アリストテレスの現象学的解釈 その胚胎していたもの』が掻い摘んでいる。そこから主要部分を抜粋すると bit.ly/1zL2GTN アリストテレスのソフィアによって疎外されたピュシスを回復するフロネーシスの話。
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posted at 23:43:25
鷲田・高田対談は、主にナトルプ報告の受容の遅れから、『存在と時間』のテンポラリテートが、いわば絶対無のように神格化され、被制作性の解体として立てられたはずの時間性が、日本において受容上の混乱になった、ということを明らかにしている。bit.ly/1KCL1Ra
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posted at 23:46:29
2015年02月09日(月)
この話は、哲学や思想の議論とは無縁の読者には、単に創造主と被造物の関係などない、という現代では自明とされる一点twitter.com/sunamajiri/sta... だけが読み取れる話なのだが、それを明確に記述することの困難が問われている。 pic.twitter.com/iYWWHqZSsh
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posted at 00:05:29
対談で高田珠樹は、ナトルプ報告を察した木田元が、『現象学の根本問題』の順序から手許性に至った、というのは、先日の丸山文隆twitter.com/sunamajiri/sta... の『カント書』直前までの話。 pic.twitter.com/597PeLD1VZ
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posted at 00:15:27
続いて鷲田清一が、それを補うのが「反哲学」だが、それはメルロ=ポンティーの概念というと、高田珠樹が知らなかったという。このようにハイデガーとメルロを横断できたことでテンポラリテートが無のような罠にならない画期的な日本語の先駆となった。 pic.twitter.com/vJJZ9grfPs
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posted at 00:21:06
木田元が『カント書』ではなく『現象学の根本問題』とメルロの「反哲学」によって、テンポラリテートの文脈を回復したというのが興味深い。ハイデガーでは『カント書』に至らなければ、造物主は駆逐されていないように思えるからだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 00:23:10
さて、これを捉え損なう、つまり禅でも西田でもよいが、絶対無でライプニッツに対向するとどうなるか、というのが日本人の具体的な関心事。正月のNHK戦後史証言・吉本隆明でも、梅原猛が京都学派を攻撃する吉本隆明を熱弁していた。 pic.twitter.com/WYcAefbJLU
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posted at 00:30:15
ツイートまとめ(^-^)/ 木田元追悼対談に想う、「絶対無から、つまり禅から初めてはならない」。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 00:53:10
ところで、木田元追悼対談で、より重要なのはこのテクネーの部分。黒ノートシンポでハイデガーを弁護できないと辛辣だった三島憲一氏も出てくるが、黒ノートでは明解にmachenshaft(工作機構、もっといえばユダヤによる作為性)。 pic.twitter.com/slfffYu1L1
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posted at 01:32:22
このテクネー~machenshaftでは、作為に対する自然が出てくるのだが、問題は多義性だろう。丸山文隆が指摘する自然の多義性(手許性)www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... の前に、ナトルプ報告が指摘するアリストテレスの生の多義性を克服したいだけなのだから。
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posted at 01:34:51
簡単にいえば、被制作性(造物主)を解体することしか、思考はできないはずなのだが、そのことで生み出されるある種の多義性が、思考の正確さを歪めてしまい、いつのまにか作為性・自然・絶対無のようなものが、突然取ってつけたように出てきてしまうのだ。この副産物の処理が問題になってしまう。
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posted at 01:48:01
意味があるでしょうね。中沢も「西田だけが自覚した」と触れてますね。問題は書けているかどうか、だけですが、ハイデガーが無から出発しないことに拘るのは、被投に行くためのある種の手続きのようですからね。twitter.com/sunamajiri/sta... @ecila808
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posted at 02:40:49
英米の経験論が意識を主語に対象化してしまうのに対して、述語化=対象化する意識の場所を与格にするのがドイツ観念論の牙城なんでしょうね。ハイデガーで「無」は~ (続)@ecila808 bit.ly/1xTs1qA 絶対無という語を西田は主語として使うことはほぼなく
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posted at 11:47:13
(続)ハイデガーで「無」は『カント書』で丸山bit.ly/1DSBVh4 の抜粋箇所のように、いわば「無」それ自体になるようですが、西田はそこに独自に向かおうとしているように見えますね。@ecila808 pic.twitter.com/HJj8J7RGqm
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posted at 11:48:23
@sunamajiri 不案内ですが、ハイデガーの無は、あらぬのではなくある的に、存在者の輪郭線というか、浮き彫りにするものというか、対立的な感じがします。西田は存在者と存在の区別をしないので、比べるのがなかなか難しい気もします。
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posted at 12:01:58
@sunamajiri もちろん比較は無意味だとか、西田は禅的だから特別だとか言いたいのではなく、むしろ私も現代哲学のコンテキストに西田を位置付けたいのですが、その内在的困難という意味ですね。これに関しては検討中というか勉強中ですね。
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posted at 12:11:21
私も従来はそう感じていたのですが、ハイデガーの無を、無の対象化の完全な排除として読むと、丸山氏のような整合性が得られる。その点で、無を主語とせず場所とするということと非常に近似しているようにも見えます。@ecila808 対立的な感じ pic.twitter.com/TVP7ErZjZT
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posted at 12:15:33
@sunamajiri 確かにそうですね。対象化されざるもの(まだできないだけとかでなく)として、存在者の連関を開くものとして無を捉えて行くという意味では、接近を示している感じがします。そこで西田は弁証法論理ということを頻りに言い出すわけですが、ハイデガー的にはどうなんでしょう
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posted at 12:18:56
@sunamajiri 学会ができたのも比較的最近ですしね。条件反射の批判で悪者にされるか、やたら神秘化されるかのどちらかが多かった。禅というイメージが悪い影響を及ぼしている。西田が禅とか言われるのを嫌ったのもよくわかります。今はもっとフラットに研究されるようになってきていますね
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posted at 12:42:24
@sunamajiri まあさすがに京都学派の流れを汲んでいる人たちは違いますが、より広くは。まあ西田が論理と言っているものを捉えるのが難しい部分もありますし、実際禅も出てくるので、単なる間違いではないわけですけど。
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posted at 12:55:14
ハイデガーが『カント書』末尾で、ヘーゲルの論理学のダメ出しを繰り返しますが、フッサールやハイデガー、そして西田の言う「論理」は、一般の人のイメージするそれとは、かけ離れてるんでしょうね。実に当たり前のことなのに。@ecila808 pic.twitter.com/vJzWbuad6k
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posted at 13:07:36