大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年09月12日(土)
ちなみにそこでは、霊魂の根源規定性という図式論は先取りされてませんけどね。その箇所で、超越論的規定=純粋理性と、実践や倫理の形而上学が切り分けられる、ということに則って、菊池健三の『カントと動力学の問題』も論を進めています。@utubyou009
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posted at 18:20:35
さっきの理説ではなく批判であり、それは自我に対する純粋規定としての霊魂のような、経験に先立つ表象の規定を、分析によって綜合することだ、という緒言はこの箇所。カントが一番読み易いんですよ。電子化された天野訳は bit.ly/1K2IG1R @utubyou009
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posted at 18:17:20
そう個という規定がそこからは取り出せない。だから個物は実体ではなく霊魂と規定されたんでしょう。@utubyou009 生命というものは新陳代謝などで常に変化するものだから、純粋な個というのは無理。菌類のようなものに知性が発達したら「個」という概念などないだろう
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posted at 18:15:39
スピノザは、定理から公理を幾何学として証明する箇条書きなので、それをいかに普通の叙述に戻すのかというのがカント以降の苦心です。思想的には、デカルトの神観念要請は、自己原因と無限性の観念を捨象した、偽りの方法だという批判です。@utubyou009
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posted at 17:46:03
西欧人に「霊性」があり、非西欧人である我々には、それが「実感」できないのも、その堂々巡りの輪の中に入り込んでいないからです。しかしそこからさらに妙なものを派生、実体化させるのがダメなのだ、という話です。@utubyou009
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posted at 17:30:15
西欧人はアリストテレスの昔に、プラトンの英知界の記憶説を斥けるために、霊魂という範疇を根源の規定と据えたが、それが身体のような実体ではないという議論の中で、自我一般という純粋規定に固着したので、それを打ち消す霊魂という規定が再登場した、という堂々巡りです。@utubyou009
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posted at 17:29:08
よくおわかりで、というか普通の日本人なら、誰でもわかってることなんですが、こう思えばいいんですよ(続く) @utubyou009 まあ、自我という純粋概念などあるわけがない、とは思います
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posted at 17:26:10
純粋理性批判の緒言では、他人の問題は欲望の問題で、超越論はアプリオリな認識の綜合を分析するだけで、その分析にはそうした実践は含まれない。含まれているのは、対象を与える条件となる、アプリオリな表象、つまり根源規定を綜合することだけだ、といった語り方。@utubyou009
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posted at 15:09:50
2015年09月11日(金)
そうそう。他人のことは分からないからね、それでつい自分が基地外なのではないか、と思い込んじゃうんですよ。それで近代哲学の祖、デカルトは、我思う故に我あり、というのです。@utubyou009 「自分の頭はおかしいことは確かだ」と自覚してたが、他人は正常だと思っていた。
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posted at 19:21:35
判断できるためには、概念を働かせなければなりませんが、そのためにはあらかじめ魂が概念を知覚できていなければなりません。魂は概念感覚を用いて、そうするのです。-人智学・心智学・霊智学-
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posted at 07:12:51
2015年09月10日(木)
非公開
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posted at xx:xx:xx
2015年09月09日(水)
この曲、ないからアップした。マイナーアーティストだから日本のローカライズユーチューブのフィルターに引っかからずにアップ出来た(^-^)/ Donald Brown Nature's Folk Song youtu.be/GWXrMG3n0jg
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posted at 00:19:32
2015年09月08日(火)
気になるのは、日本の文化なのかもしれないが、弁証法を意識を実体化させるための方法のように捉える点ですね。カントの脳理論というのは、非実体的規定である霊魂の非実体化の超越論ですが、日本では意識を霊魂のように実体化させる弁証法が好まれる。@whiskylink
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posted at 13:57:38
あくまでも弁証法によって実体を得るというのは仮象でしょう。現象的には規定だけが問われている。実体を規定とすれば仮象の弁証法が始まるが、その実体は無限に発見されない。しかし、非実体を規定とすれば弁証法はハイデガーのように克服され、無限性が発見されるといった。@whiskylink
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posted at 13:55:37
当然、質点も量子も、古代の規定によって、単に予想されていたもので、近代の遠隔作用の物理学は尽く、カント的にいえば独創的発明ではなく、単なる発見にすぎない。その発見を進歩のように日本では短絡してしまうのだが、認識の問題は特に目新しくはない、というだけでしょう。@whiskylink
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posted at 13:45:01
おそらく上の方で、通用問題を欺く神の権威を批判する伝達問題のように矮小化する話がでてきたから、非実体的規定という形式的告示が、間主観性のような方法の問題として俎上に載せられるのだろうけど、しかし転回と見えるのは転回していない側だけの問題、ということでしょう。@whiskylink
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posted at 13:44:21
日本では文学部がハイデガーの転回の内的必然性という論点だけに収束・解消した感があるが、カントもハイデガーも形而上学から転回していない。それを実体論的に誤読すると武谷のように、質点は保持して形而上学が批判対象となる。しかし総合すれば同じことなのでしょう。@whiskylink
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posted at 12:38:13
問題は武谷が批判する形而上学が、カントのいう形而上学=動力学ではない、ということに尽きると思います。質点やフロギストン、あるいはエーテルは菊池健三によると晩年でも保持されている。つまりカントは途中で転回していない。ハイデガーもおそらくそうです。@whiskylink
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posted at 12:35:37
今日、廃止というと聴こえの悪い国立大の文学部の理系への綜合が取り沙汰されているが、それも、こうした質点以上の規定の非実体化、あるいは量子化が個々人が具備する機能となるとき、そうした綜合も奏功するのかも。@whiskylink 個々人の思い込み信じ込み披露に終始しないのかも
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posted at 12:29:16
武谷が機能主義ではなく実体を捨象しても質点あるいは量子を含むといったようなことは、フッサールがカントを動力学として捉えられず純粋自我に絶対化する中で、ハイデガーが動力学的に自我から時間に根源規定を非実体化する転回に言及するのに似ていますね。@whiskylink 人それぞれオチ
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posted at 12:24:26
@sunamajiri 2段目(ある程度の実体性裏付け)、3段目(その実体性を複数事象から抽出し、共通点を見出し還元し、フッサール的にいえば本質を観取する)というディベートを行うことができれば、「人それぞれオチ」とか、個々人の思い込み信じ込み披露に終始しないのかもしれないかもなと
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posted at 07:19:46
@sunamajiri ご返信ありがとうございます。今現状(いやこれまでも長く)個々人間で語られることは主観というよりも、直観に近いような内容において議論が交わされているように思えているのですが(これも主観)、ただそれが真に「間主観性」を目指すものならば、武谷三段階法における→
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posted at 07:14:30
2015年09月07日(月)
モナドのような死力に対する活力というカントの動力学は、非実体としての時間の規定を判明にしてるのでしょうが、そこで信じ込みというのは非実体=時間とは何か?ということでしょうかね。@whiskylink 各人の信じ込み思い込みをある程度土俵に乗せきれる貴重な試みと考えておるのですが。
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posted at 20:50:15
量子は実体ではなく本質だという武谷弁証法ですね。私も今、ニュートンをカントが形而上学化して、実体的規定である霊魂を非実体化、つまり本質化する話をやってますが、武谷物理学は原子核認識論の先駆ですものね。ちょっとテクストを当たらないと。@whiskylink @inja650rr
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posted at 20:32:08
@sunamajiri @inja650rr 大本さん、武谷三段階論ていかがとらえられますか? 各人の信じ込み思い込みをある程度土俵に乗せきれる貴重な試みと考えておるのですが。。。
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posted at 20:01:05
だったら読めばよい。西欧を日本人が読むことの批判性というのは、彼らの言う実体概念に疑いを向けることでしかないのだから、そう確信があるなら、読まない言い訳をするのは矛盾だ。@inja650rr 読むことに対する動揺は当然存在しません。
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posted at 19:31:41
2015年09月06日(日)
この伝達問題への還元が、おそらく隠者氏にある隠遁なのだが、対する中嶋氏は、宗教は理性や公共の対立項だと規定していて、伝達問題に回収されてしまっている。規定性の誤謬なのだが。通用問題か伝達問題か、というのがデカルト以後の問題規定だが、通用していないのである。
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posted at 12:35:01
2015年09月05日(土)
少なくとも、カントが証明したように、超越論性(時間を規定とする地平)だけが、こうした換喩の問題、真なる言葉は常に書き換えられる、という現象を明らかにしたために、その後の西欧人が太古の釈迦の言葉を模索してしまった弊害があるのかもしれない。あれは不幸だ。@LitoSnowfield
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posted at 11:57:08
ちょっと敷衍。このように何度やってもQEDになる、他者性がないという西欧文明の問題が、明治以来、日本では人間とは何かという他者問題になってしまう。聖書は常に換喩的に書き換えられることで真だが、釈迦の言葉は書き換えられると歪むからなのかは分からない。@LitoSnowfield
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posted at 11:53:06
これによってプリオリテート(アプリオリの他者性、つまり神)が、テンポラリテート(霊魂という時間規定の超越論性)に回収されて、心身問題のようなハードプロブレムは解決されたのだ。Q.E.D (^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 09:43:00
批判哲学や超越論は、誤謬を明らかにするための現象学的な純粋論理なのだが、ここで唯一誤謬とされるのは、他者性なのだ。他者という何らかな対象は、時間という非対象によって、アプリオリに超越されているのだ。それを他者の問題とする誤謬が、斥けられるのだ。@LitoSnowfield
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posted at 09:41:17
ちなみに、「純粋時間」といま言ったのは私の造語なのだが、いずれにせよ、カントの時間規定、デカルトのコギト、アリストテレスの規定としての霊魂を、自他性や他者の問題と誤謬することで、神は人の模造にすぎないという疎外論、あるいは無神論が派生してしまうのだ。@LitoSnowfield
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posted at 09:37:29
ハイデガーで言えば、時間規定とは、対象関係(対象化すること)の規則を規定する範疇であるだけなので、霊魂というアリストテレス的な規定は、デカルト的なコギトを対象化させない純粋時間ということになるのだ。だからこそ、これは自他性という問題を孕まないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 09:31:38
カントが三種の綜合(想起、再認、概念)を図式論とする超越論的時間規定とは、ハイデガーが言うように、霊魂というアリストテレスの規定は自我のように眼前に対象化させる規定ではなく、単純に時間の規定であるということ。霊魂は自我を対象化させない概念の規定なのだ。@LitoSnowfield
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posted at 09:28:21
この死力=単純実体(モナド)として潜勢するのではない、活力としての超越論的統覚が霊魂である、というカントの言い方は、ハイデガーで言えば、霊魂としての自我は眼前の実体として対象化できない、という対象関係の時間関係への超越論性になるというだけなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 09:07:50
菊池健三に戻ると、こうした規定としての霊魂=統覚の超越論性を、死力やモナドとして、霊魂を単純実体化するライプニッツ~ヴォルフによる形而上学の近代化を、ニュートン力学を比喩として扱うことで、魂の活力化とするのが、カントの動力学なる外延というもの。@LitoSnowfield
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posted at 09:07:29
隠者さんが超越論がわからない twitter.com/inja650rr/stat... という。それは霊魂は身体のような実体ではなく統覚のことだ、というカントの超越論を誤解した、霊魂は実体だというロマン主義から、その後の思想的バイアスの反照でしかない。@LitoSnowfield
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posted at 08:52:15
神は人の模造だという疎外論の類も、霊魂という規定が身体のような実体だ、という誤解から派生しただけね。カントは生涯の形而上学講義で、脳の解剖学の話ばかりして、どこにも霊魂の実体なんかないじゃないか。だから超越論的統覚は霊魂だという。それが純粋理性批判。@LitoSnowfield
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posted at 08:47:35