大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年08月15日(月)
しかし前 twitter.com/sunamajiri/sta... に戻ると、被制作性=真理前提を除外すれば、カントの原則論(本来の時カテゴリー)が、いわば因果批判的になっている、ということなわけだから。その辺り(GA31のカントの経験の類推論)を読まないと。@BeTakada
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posted at 00:18:01
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おそらく結局、語りえないことって、時の有無のことだった、というのがオチなんだけれどね「ハイデガースタディー タカ基地氏との解題01 非本来的時間論から、有無を含まない時。」 togetter.com/li/1012058
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posted at 01:36:23
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こうしたこと(自由)は、何もハイデガーが、不死の要請を超越論的時間規定で排除しないでも、カントの3つのアンチノミーで語り尽くされことであるのに。中島義道の『カントの時間論』の結語が端的。@BeTakada pic.twitter.com/n7qj2Rhn2h
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posted at 17:31:07
中島義道『カントの時間論』文庫版の終章を、置いておきますよ。私は89年刊の理想社叢書版で90年代前半に一度読んだことがあるのだが。初期中島義道は、おかしなこと(ニヒリズム)を言わないからよいんですよ。bit.ly/2bhawBO @BeTakada
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posted at 17:38:48
この問題(不死の実践的要請性の論駁)は、西欧では戦前、終末論になるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... それに対して、日本ではなぜか戦後、自由の問題の喪失となって現れているのです。@BeTakada
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posted at 17:43:10
一言で言えば、ニーチェの端的さでは、カントの不死性を排除できないからでしょうね。一般にハイデガーというと後期のニーチェ批判だが、それはカント批判を見ないとわからないのでしょう。@inja650rr ハイデガーは何故そんなに回りくどく語ったのでしょうか? @BeTakada
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posted at 17:54:06
正直なところ、ニーチェは万人に分りやすく語ってはいない様に思います。
むしろハイデガーの方が分りやすいように僕には感じられました(;´∀`)
twitter.com/inja650rr/stat...
@sunamajiri @BeTakada
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posted at 18:01:26
そう思うでしょ? タカ基地さんだと twitter.com/BeTakada/statu... というのは日本人に唯物論者が多いからだろうけど、私ならハイデガーは親切おじさんですね。@inja650rr ニーチェは万人に分りやすく語ってはいない様に思います。むしろハイデガーの方が分りやすい。
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posted at 18:06:21
兎に角、論理的というと実践的信仰の論証(信仰告白)のことだと西欧人は依然として思い込むわけだし、逆に日本人なら、信仰とは無関係であることを論理的というわけだが、そういう堂々巡り=頽落から自由になるのが論理的、というのがハイデガーの存在論なのです。@inja650rr
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posted at 18:21:26
中島義道『カントの時間論』は、日本の哲学ではなぜか人気の時間論では必携です。文庫化されたし。理論理性に対する実践理性の優位、自由の優位で終わります。ハイデガーの場合は、時間論から不死の要請を論駁してるんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta...
@BeTakada
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posted at 20:21:05
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アーレントといえば、こんなのがあったな。twitter.com/sunamajiri/sta... 「思考による生活の停滞」が「死の先駆」だというアーレントのハイデガー批判。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 21:41:18
しかし、基礎存在論では先駆的決意性だが、カント書へ至るメタ存在論への転回以後、ハイデガーは死の先駆的決意性 twitter.com/sunamajiri/sta... という観念要請をしなくなる点ですね。それが基礎存在論とメタ存在論の違いでしょう。@BeTakada
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posted at 21:42:44
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2016年08月16日(火)
2016年08月19日(金)
隠者君が鋭い点は、悟性を発問してる点ではあるが、対感性としての悟性というより、対構想力としての悟性というのを彼は理解しているようには思えない。この構想力=時間=被投性というのが、ハイデガーの主著ですよ。@J_J_Kant pic.twitter.com/Jt2BeRM6O9
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posted at 21:39:18
ハイデガーの主要な批判である、カントの企投性に対する批判、つまり被投性というのは、本質論(真偽)が世界を構成するのではなく、そうやって主知主義的に身構える前に、常にすでに世界に巻き込む構想力(時間)が実在する、という話ですよ。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 21:53:17
構想力という邦訳語は一般には想像力と言われるものです。悟性=論理、感性=物理だが、その両者とて人間に意志や自発性を齎さない。だからこそデカルト以後、それはアリストテレスの術語、想像力なのです。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/LeFHngGebe
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posted at 22:06:12
ハイデガーは、このアリストテレスの想像力が、デカルトにおいて根源として登場したのは、想像力が自我を触発する時間そのものだからだ、と言っているのです。悟性や感性では、そうした現象が起こらない。ハイデガーはそれ以外のことを頽落というのです。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 22:10:27