大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年11月19日(月)
もしかしたら、上方言葉=大阪弁が、大人言葉だからかもしれないぬ (ω) @Tomohokubo 大本先生のはるかぜちゃん語もおもろいから大阪人として腹立つぬ(ω)
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posted at 23:20:06
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posted at xx:xx:xx
ということで、小説テスト廃止論こそ、国語を文学として実体的に読んでいて、国語本来の言語と実体の区別を教育できていない、という話でしたー(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 11:20:30
つまり国語テストをシンプルに言語と実体の区別テストと思えないと、小説テストの意味を履き違えてしまう。それは日本の近代論というのを難読化する直接の原因。日本的近代とは、小説言語で場面の内と外が画定したことで、言語と実体という存在論が日本に芽生えたというだけ。@sunamajiri
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posted at 11:18:26
もうお分かりのように、他人の書いた文学で、自分の内面や心が噴出してくるような文芸的な読み方、つまり言語を実体化する読み方というのは、とても非スピノザ的、言い換えるとデカルト的。記号VS意味という表象論では不十分で、単純に言語VS実体。@sunamajiri
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posted at 11:14:16
ところで、国語テストは言語と実体の区別のテストというのは、デカルト的な神要請としての近代性を相対化するスピノザ的な言語観。国語を文学のように実体的に読んでしまうのが、まさしくデカルト主義。国語はスピノザに徹すると満点、と喩えると具合がよいのよね。@sunamajiri
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posted at 11:10:35
読者が場面内に居ないのが小説テストなわけだけど、もっと端的に言うと読み手が場面の外、つまり神の視点であるのを自覚できるかというテスト。これはちょっと極論だけれど、小説言語が日本の近代性の本体だったのも、小説でしかこの場面の外、を具現できなかったから。@sunamajiri
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posted at 11:04:50
そうです、国語(言語)教育は、文芸や文学趣味の教育ではないですからねー。言葉を勝手に実体化せずに言葉どおりで読めるか、という正確性だけだから。@NudistExercise 自称「読書好き」なおんなの子が、悲惨な点数しか取れないのも、国語と文学を混同しているのが原因と思われます。
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posted at 10:56:45
そうです。たとえば昨日とるねぐさんがt.co/vpMLrUgq と例示したのが分りやすいように、小説の場面の中に読み手は介在していないというだけだから。これは場面内のある小説でないと直接判定できないはずです。(^-^)/ @NudistExercise
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posted at 10:54:51
いや、そういってしまうと作品論になってしまう。国文学研究自体がテクスト論になるのが遅れたように、国語と文学は切り離さないと。あくまで即物的に展開される場面内言語が、そのまま読めるかだけでしょう。中学入試で小説出題が多用されるのもそのためだし。@NudistExercise
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posted at 10:47:21
小説出題が文学的テストに見える、という捉え方が、そもそも言語を実体的に捉えていて、確定記述のようにはならない。むしろ小説出題の必然性は、評論では実体と言語の区別が不可能で、場面内で身体論的に言語と実体が区別されるから、というだけ。実際に言語は実体ではない。@sunamajiri
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posted at 10:39:39
国語テストが何を測定しているのかを神秘化してはいけない。それでは単に文学の問題になるだけ。国語テストでは、あくまでも実体と言語の区別t.co/1rh87Mda だけを厳密に測定するだけ。分るというのはそういうこと。@sunamajiri
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posted at 10:37:04
評論だけで国語テストが不十分になる二番目の理由は、日本の近代論では実体と言語の区別が、言語論的転回や脱構築に至るまで未分化なので、抜粋評論文では、国語テストの目的である実体と言語の区別を測定しきれないという点。だから日本近代文学で国語テストするしかない。@sunamajiri
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posted at 10:28:30
ここt.co/RL9R6UXi でも触れたが、小説出題は単に廃止できない。理由は二つで、まず小説には評論にはない場面内があるから。国語のテストはあくまで実体と言語の区別。場面内の事物から言語化する能力は、文学ではなく国語の問題。@sunamajiri
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posted at 10:25:18
昨日の話ではないが、国語での小説出題を文学と混同はできない。あくまで言語か実体か、というのが国語のテスト。そのためには実体や事物を描写しない評論文より、国語テストは小説問題であるべきとさえ言える。事物ではなく言語として読み取れるかの測定だから。@sunamajiri
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posted at 10:13:07
客観的なイデア世界が主観の中で蘇生し、自然の中で活動しているものが同時に人間の精神の中で生きて働く時に、主観と客観は出会う。こういう場合にのみ主観と客観のあらゆる対立が止揚される。-ゲーテの自然観-
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posted at 02:03:54
書くこと(エクリチュール)は意味することとは縁もゆかりもなく、測量すること、地図化すること、来るべき地方さえも測量し、地図化することにかかわるのだ。――(上)p18
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posted at 01:33:45
もう生理現象まんどくさいからwwww はやく脱身体化、脱実体化したい、なんていうと日本人が大好きなリアリティーの話と同一化して、もどき函数になってしまうから、要注意(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 00:30:12
2012年11月18日(日)
ちなみに今実演したのが、脱構築函数のもどきの方、ひっくり返ってるようにみえる感じがする状態、もどきだから本当にはひっくりかえらない、というのがミソ(^-^)/ @sunamajiri @abcx19 @Tomohokubo
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posted at 23:37:27
そうそう、なのに国はそれをし続けたいから、病的なことになってるってだけよ。国の方が病気なら、正常者にとっては容易く対処できる問題なのよ、国語のテストなんてものは(^-^)/ @abcx19 文語と口語が一致するはずが無い。ツイッターと電話でも一致しない。@Tomohokubo
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posted at 23:36:18
その文語と口語の言文一致が、明治以来の国の国語政策の一貫性なのよー、実際はヒエラルキー作って統治したいだけだけどねww(^-^)/ @abcx19 国語と日常会話は分けなさい‼@Tomohokubo
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posted at 23:30:59
大手予備校の模試は、生徒いじるために応用函数問題だすのよー。でもセンターも東大も早大も、あんまりそういうの出さない、基本函数のような国語問題で一貫している、だから大手の模試受けると生徒が混乱して、国語の点数さがるように見えるよ。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 23:23:43
おもしろいのは、大手予備校の模試のほうが、デリダ函数とかフーコー函数の応用で、ブルーム函数とかドマン函数とか出題してくるのよね。それで受験生もっとわけわかめになっていて、いじってあげるとたのしいよー(^-^)/ @sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 23:17:37
出題者には脱構築もオリエンタリズムも函数にみえてるだけだから、固有名で教えた方が分りやすいけど、デリダ函数とかサイード関数とかフーコー関数とか、もちろん不要よね。原理で教えれば、各函数にみえてくるのだから。そこしか問われないし。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 23:15:48
ちなみに、日本語は全部もどきだね。脱構築ももどき、オリエンタリズムももどき、コロニアリズムももどき。そして、もどきがあるから客観テストできるっぽいので、もどきじゃない原理を教えると、もどきを解く解法が5分でわかるよー。(^-^)/@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 23:07:40
これt.co/Qrjej0rl 読む限り、本文読めたつもりで読めてないって子だよ。(^-^)/ @Tomohokubo 本文わかっても解けないてたんに本人は本文わかってるつもりでもわかってないといふことだらうか。。。わかるてなんじゃらほい。。。?
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posted at 22:56:33
うん、話の切れ目ないしねー。いつのまにか違う人の話になっていて、え?主語は?って質問しなければならないよー。そのくせ戦中教育の人だから、やたら国語が教育勅語みたいに心の問題だとおもってるようで。人を感動させたがるのよ。まいるわよ。(^-^)/@NudistExercise
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posted at 14:21:51
國分氏のスピノザの方法=教育論(教育とはしたがって、言葉を実体化させたり表象に置換したりさせず、言葉を言葉として理解させるという方法のこと)というのは、たしかこのあたりでツイートしてたと。t.co/iPQTiaKg @sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 13:51:07
一方、いやそのような言葉としての神すらもない、という無神論のS君のディスクール(言説)を見ていると、彼はどうも言葉を実体化して捉える傾向が強いとみえてきてしまう。無神論ですら言葉を実体化させているんです。(^-^)/ @sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 13:46:05
たとえば國分氏の言う『スピノザの方法』は哲学の解決=教育というのも、スピノザがデカルトのいう神を、エチカ冒頭で言葉の問題としてQEDしてしまい、言葉を実体化して捉えるような混乱を排除することで「分るを分る」を実現した、というわけです。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 13:44:15
そうそう、彼らは言葉とは思っていないのよね、読めない人たちはw(^-^)/ @Tomohokubo 数学の先生にセンター小説の問題わからん、ひとの気持ちなんてわからん、こんなんよう教えてますね、と嫌味言われたのを思い出します。。。小説にはことばがかいてあるだけなのに。。。
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posted at 13:40:26
うん、小難しく考える必要ないよー。端的にね。つい小難しく修飾するのは、誤解の余地を潰すためだけなのよ。数学と違って言語って、そうしないと多義的になってしまうの。(^-^)/ @yukutoshikuru 何となくわかりましたw解説ありがとうございます(^^)
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posted at 13:23:55
あんまり難しく考えないでねー。神様は言葉の産物だ、と覚えるだけで十分だよ。でも言語は神という語彙抜きにはありえない、それを伏せると、わけがわからない(つまり意味のない)記号になってしまうよー、ってだけw@yukutoshikuru ぬーあんまし良く分かっておらぬ。考えよう。
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posted at 13:16:46
もっというと、言語を相対化できないと、中途半端な理系に陥りやすいようね。なにか客観性という実体があるかのように、アニメのように想像してしまうのかもしれない。表象を対象と思ってそう。@sunamajiri @Tomohokubo @yukutoshikuru
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posted at 13:13:43
端的に言語にとってだけ《神》なる語彙は避けれない、といった類だよ。それ(無限など)は言語にしかない問題に思える。すくなくとも《物事》にはない事柄だしね。たとえば私たちは西欧化で、アニミズムの言語観を捨ててるから。(^-^)/ @yukutoshikuru 言語にとっての原理とは。
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posted at 13:05:27
これについて、私の意見をもし述べるなら、大学入って原理に触れても分らない子にこそ、受験の手前で原理を端的に示してあげる。当然、高校はそれをしないことになっているわけだから、受験教育が原理を示すというのは、したがって日本の教育の要だ、ということになるわけ。@sunamajiri
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posted at 12:45:49
どういう話かというと、日本で大学受験が要なのは、大学までは原理的に学問を習っていないからだ、という反面、分ってる子は習わなくても分っているという話。つまりそれが本当の個性なのだけれど、はっきり言って分らない子は学部に入って原理に触れても分らない。@sunamajiri
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posted at 12:41:15
あしだ先生は個人差に触れたいわけだが、しかしはるかぜちゃんレベルになると、こんなに小さいのにt.co/CWqOJsHd 内と外と共通というアルケー用語が使えてる。物事の原理t.co/agvhDKqW というのは言葉の使い分けというだけの話。
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posted at 12:20:33
ツイートまとめ@FB(^-^)/全てをリアリティー(あるような気がすること)にしてしまう点が難読性。日本では国語のテストの拠り所。ブルーノ→スピノザ的無限は、現代からは世界の有限性だが、全てをリアリティーで有限化する日本語での難読性とは。t.co/KpebEpmM
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posted at 05:44:08
だいたい自分にはどう見えているか、という認識論や表象論なんてものに、物事を矮小化するのは、高校生が小論文書けずに、小学校の感想文の作文になっているようなもの。それを大人になってからやるから、(現象学からは)症例と看做される、というだけだろう。@sunamajiri
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posted at 01:33:12
この特に日本人にはリアリティーにしか見えなくなってしまう、という事柄が問題にされているだけで、それは単なる国内問題。高校で卒業する国語の問題でしかない。それでも卒業できないと、大人になってまで、自分の見え方=リアリティーの話しか出来ない人間になる。@sunamajiri
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posted at 01:13:57
たとえば生きているというのを、離人症のように病化する(主観的な)リアリティーと捉えると、外に出て行けない。書いている実感という外部は、生は単なる存在とすることで、物事を書こうとしているだけで、主観的にどう思えているか、という認識論をしているわけではない。@sunamajiri
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posted at 01:10:53
物事をリアリティーだけに還元してしまう日本的自我観というのは、生きている実感で書いている実感を覆ってしまうようなものなのかもしれない。(書いている実感という)形而上学を、すべて認識論のリアリティーの問題と誤読しようというのが、日本の近代性の特徴なのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:06:42
生きてる実感というけど、そういうのだけで自我の度数、つまりリアリティーを認識論できる、というのが日本的近代自我の特徴といって過言でない。もちろん、西欧では、むしろ生きている実感ではなく、書いている実感なんなんだけど。日本ではそれは意識化されていない。@sunamajiri
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posted at 01:01:40
日本ではすべてリアリティー、つまり紛い物とか似姿の精度の問題になっちゃうところが、国語客観テストが材料とする難読性の本体。形而上学t.co/bl03QhUd が単なるリアリティーや認識論になるところが、日本の速成近代の最大の弱点ね。@sunamajiri
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posted at 00:59:36
うん、でも日本のフルート教育の歪さの反動なのよ。正規表現にこだわるあまりクラシックの中でもフルートはとても硬直した教育が日本では先鋭化してるから。私は全部それ捨てさせるフルート教育するからねー。(^-^)/@slitsandfrills 大本先生のレッスンの素晴らしさ故でしょうが
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posted at 00:45:46