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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2014年03月13日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

ちなみに、ハイデガー訳出では、フロネーシス(実践)は[配慮]なのだが、ハイデガーが参照するアリストテレスの「ニコマコス倫理学」の手許にある和訳では、フロネーシスは[思慮]と和訳生成されていて、ほんとに困るww (^-^)/ @LitoSnowfield

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posted at 02:58:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

まあ、その存在の二重性(簡単に言うと被制作的存在と、動態としての存在)がアリストテレス以降、ずーーーと伝承されてるだけなんですけどね。他に問題があるわけではない。ルターが聖書翻訳でドイツ語を作った時、その二重性で時制を考案してそうね。和訳できなそう。@LitoSnowfield

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posted at 03:08:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

ヌースではなく、秋本さんのように霊感(ピュシス)でしゃべるとww だからだな日本人がフランス哲学に傾倒するのは。この存在の二重性(存在論的差異というらしい)が和訳生成しずらいから、「存在忘却」と呼ばれる症状になってしまうのも。これでは脱自できんわ。@LitoSnowfield

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posted at 03:17:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

暇だから、ハイデガーでドイツ語の勉強したくなってきてるんだが、それで思い出したのだが、インコたんがドイツ語でハイデガー読んでいて、あずまんあほ、デリダアホ、柄谷アホとかいっているのを思い出した。私も考えを改めそうだw(^-^)/ @LitoSnowfield

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posted at 03:27:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

この「死なないという前提のリアリティーなのか?」という問いは、現世的な不死の技術や資本だけにかかわらず、事実的宗教の話になってくるのでしょう。死なないとは思っていないが、そのリアリティーがないというのは、おそらく宗教の問題なのでしょうね。@estei_st @J_J_Kant

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posted at 20:26:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

おそらく、@estei_st さんがtwitter.com/estei_st/statu... でおっしゃりたい「野垂れ死のリアリティー」を希釈するものは資本なのだろうけど、それは宗教の代替わりにならないですからね。@J_J_Kant 死生のリアリティをどう回復すればいいんですかね。

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posted at 20:53:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

この仏語圏には、twitter.com/sunamajiri/sta... が解説できない、というのは重要ね。ハイデガーぐらいしかこのレベルで解説できていない。これが廻り回って和訳生成の屈折以上に、どんな問題を引き起こすのかは、意外と単純な気もする。@LitoSnowfield

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posted at 21:02:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月13日

結果として資本の錯誤の問題になっているようだが、うまく見極められない。しかし、魔術から重力となるtwitter.com/curatorshinya/... 近代の史観on.fb.me/1oPrVMI の問題も、存在の二重性の問題なので、錯誤の起源はすべてそれなのだろう。

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posted at 21:13:57

2014年03月14日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

私から見ると、中途半端な匿名性のツイッターより、少なくとも初期の2ちゃんねるの方が的確・面白かった。それは匿名掲示板が、ハイデガーがプラトンにみる世間話の役割を果たしていたからだ、と考えられないか。@ujikenorio pic.twitter.com/hbmJo8Hczs

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posted at 05:13:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

つまり、ハイデガーが重視する世間話をプラトンが契機としていたように、匿名になると世間話が全開になるんです。しかし、それを世間話のまま受け取ると、初期の2ちゃんねるにはなかった、世間話の衰退としてのヘイトスピーチになる。政治も世間話を契機に弁論を生成できない。@ujikenorio

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posted at 05:16:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

というより、当初から指摘しているように、その期待というのが、テクネーだけで創造主の役割を演じられるという、フランケンシュタインか何かのようなマッドな願望を共有していることがそもそも「不自然」。その程度のことは、誰でも当初から「直感」するはずだとおもうのだが、日本人はイカれてるよ。

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posted at 11:16:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

読書タイム。斎藤博論第5章第4節は、存在と時間の超越論性。第一哲学と神学の二重性、神学を神学にしてしまう「不動の動者」を「動くもの」としての「自然」に直感させる超越論的転回は、解釈学的遡行による善のイデアの洞窟の比喩のエロス的拡張としての愛だ、となっていた。

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posted at 11:23:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

全くそのとおりですね。ここで死というのも、第一哲学を二重化させる被制作性の神学から、存在の動態をとりだす解釈学的転回にとって、そうした事実性に対する可能性が超越論的転回として要請される、ということにすぎないのでしょう。@estei_st ねに事実性に対する可能性の優位

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posted at 23:32:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

そのアリストテレスでは不十分というのがハイデガーの見解のようですね。ただし斎藤氏はそれだけでも不十分と論じていて、私もそれには同意している最中ですw@estei_st ええと、分かりません(笑)。アリストテレスは、可能態(デュナミス)に対する現実態(エネルゲイヤ)の優位でしたか。

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posted at 23:46:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月14日

ハイデガーにとって第一哲学は、被制作性から自然の動態を取り戻すことのようですが、しかしその営みは、私達が宗教と呼んでいることと、さして変わらない。その点で、他の宗教的方法がある、という事自体が危ないですね。しかし、@J_J_Kant さんは前者でしょう。@estei_st

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posted at 23:50:03

2014年03月15日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

(続)よくハイデガーを読んだことのない人に向かって、斎藤氏が批判するように近年の読みの中心だった実践哲学として啓蒙すると、受け取りが真逆になるというパラドクスのようなものを散見する気がするのだが、おそらく、そういう誤解の余地のない方法を提示しているようにみえる。@estei_st

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posted at 05:43:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

私が漠然と、ただし明確に一点だけ関心があるのは(それ以外どうでもいい)、ハイデガーがアリストテレスから抽出する自然動態存在者を看過すると、近代の重力の発見がギリシャ自然学を魔術と意味化して、予備校文章術の山本義隆氏に異端神学を語らせてしまう、ということだけです。@estei_st

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posted at 06:10:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

とはいえ、この存在者の動性は隠蔽しておかないと不都合なことがある。斎藤氏のハイデガー批判も、ハイデガーがそれに至るために、対話・エロス・倫理を純化させ、独我論のようになったと指摘している。それをどう回収するのか、じっくり読んでワクワク感を持続中です。@estei_st

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posted at 06:22:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

アメリカの哲学部は、超越論でガチガチの日本と違って、こういう話ができるのかもね。たとえばカント~ハイデガーで、アリストテレス神学を自然学にエポケーするから、デカルトが特異点のようになるけど、アメリカそういうのなさそう。そこは面白い。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 11:33:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

あえて比較すると、超越論哲学の挙句、結局、哲学者を哲学するtwitter.com/sunamajiri/sta... という日本の哲学部の伝統に対して、アメリカの超越論が緩い哲学研究は、哲学者を対象とするより、アプリオリ問題を対象に思考しているところが違和感がない、ということなのかしらね。

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posted at 11:44:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

日本人は信心しているだけなのに、それを実証と言いたがりますね。単に言い方の好悪の問題で、特殊な方言のようなものですが、信心を疑ってはいないのでしょう。だから実証がなかなかできなくなる。@estei_st 科学的な実証というものはどの層に含まれるか。もしかすると、西洋と日本とでは

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posted at 22:43:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

どうでしょうね。人に還元はできない。哲学者が言えているかは問えない。超越論的に孕まれていたのかしか明らかにできない、ということのようですが、斎藤氏はハイデガーが如何に言えていないかを、的確に整理しているというのは事実ですね。@estei_st 斎藤さんの著作の良質な解説

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posted at 22:47:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

転回しようとすればするほど、戻されてしまうという話なわけです。それはそもそも孕まれていたことだろう、ということですね。転回とは天動説になることですが、被制作性から自然的動者になることです。しかし、そうした存在論的差異の二重性は、転回しても戻されてしまう。@estei_st

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posted at 23:08:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

もっと簡単にいえば、転回は、私達は神の被造物なのか、それとも神は私達の共同存在の産物なのか、という問いでしかない。しかも問題なのは、そんなことを問うても仕方がない、ということの方にある。それしか問われておらず、しかもそれを問う事自体がナンセンスだ、という問い。@estei_st

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posted at 23:11:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月15日

人に還元する哲学者は下らないという話、死の先駆を時のなかの死とする吉本が都合よく引用されていたので、ちょっと思い出したのだが、もっと野暮ったい文体の会田ですら、鶴見をこう捉える。あほらしいけどね。 pic.twitter.com/Rcob4fCxCb

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posted at 23:30:08

2014年03月16日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

もっとも、ハイパーリンクというよりは、動性は、ハイデガーにとっては講義を含めた単旋律=リニアな時間なのでしょう。斎藤はそれをより時間化する語り方で、形式的とか超越論的とか実存論的とかいう術語を確定してくれていますね。@estei_st

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posted at 07:26:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

どうも、日本人に信心があるとすると、人間の能力こそ「無限」だといった過信に過ぎない気がするのだが、現実にはそうではない。しかし、そこで絶望すること自体がナンセンスという問題のような気がしないでもない。@J_J_Kant

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posted at 18:51:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

要は、その人間過信の方を払拭できないから、絶望したり、グローバリズムでどんどん衰弱したりという、ジャパンプロブレムになってきているだけで、それは取るに足らない問題にしか見えない。@J_J_Kant

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posted at 18:53:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

まあ、言葉の停滞という問題は、神学になるか、神学を度外視しすぎるかのどちらかでしかないが、斎藤氏の動性(言葉の運動性)は、ハイデガーの存在静態まで言い当てるほどで、その次の章のニーチェでは、一般的な見方を打開して、いよいよ現存在の解釈学から、存在の解釈学を言い当てるらしいよ。

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posted at 20:43:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

それが解釈学でしょうね。斎藤のフロネーシスでもある第五章では文中でも「途上」性が際立ちますね。次章はニーチェbit.ly/1e7muHf ですが、ここでも主著自体の未完成=非本来性を解釈学上の地平に据えようとしているようですね。@estei_st

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posted at 22:12:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

あり得べき指弾とは、先程もツイートしましたが、言葉の静態だけでしょうからね。twitter.com/sunamajiri/sta... @estei_st

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posted at 22:13:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

死にしてからが先駆性とされるのも、そうした不安云々という「不動の動者」ではないということですから、結局は、神と同じように、言葉の動性とできるか、ということに尽きるということでしょう。それは実践的でも有り非実践的でも有る。@estei_st 死の不安の章であえて一気に無効化する

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posted at 22:22:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月16日

たとえば、合田正人の柄谷との対談の引用に触れましたが、どこか停滞感がある。終いには鶴見俊輔を吉本隆明と柄谷行人より優位におく「動性」となっていたのですが、動的にみえない。それに比すれば斎藤の語りはハイデガーのように劇的だ、となる。こういうことが問題なのでしょう。@estei_st

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posted at 22:27:29

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