大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年03月23日(月)
もしそれでは語弊があるのなら、カントは魂は誤謬推論だと一蹴したのに、その代わりに、いつも言っているように時間の誤謬推論に陥ってしまったのだ。ハイデガーのカント書というのは、それに真っ向から挑んだ、ほとんど唯一の偉業といってもよい。来世信仰まで消えた。@LitoSnowfield
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posted at 02:47:29
最も面白いのは、カントの定言命法にしても実践倫理にしても、いわばちゃんと精読していない人には、合理的なことをいっているように思え、その勘違いで科学時代が勃興したのだが、カント自身はただ霊魂の不滅を信じたいだけ、という体たらく。@LitoSnowfield
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posted at 02:44:48
簡単にいえば、これが現象学と言って過言でないと思うが、フッサールではまだデカルトの被造物=自我への拘りが捨てきれない。ハイデガーはとっくにカントの自我=被造物を見抜いてしまっている。@LitoSnowfield
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posted at 02:41:54
この被造物の話をしているのに、そう思えないということが、西欧中心主義というか、西欧による支配のようなものの源流なのだろうけど、ハイデガーははっきり、その被造物という虚構を、直接的に暴いてしまってるのです。@LitoSnowfield
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posted at 02:05:52
魂の不滅、永遠の時間ということで、ニュートンの絶対時間のような近代科学になっていくのだが、ハイデガーは、カントが被造物信仰だからそれを言ったのはわかるのだが、そんなあほな、といっているわけです。非西欧人だと、まさかそんな話をしてるように見えないのだが。@LitoSnowfield
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posted at 02:04:13
非西欧人だと、カントが被造物の話をしてると受け取らないためか、カントが(古代人の言う)魂では誤謬だ、時間が永遠だ、と魂の不滅、来世信仰を語っているだけ、というのを見落とすのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 01:59:34
リトさん、カントの魂~時間、というハイデガーの指摘した誤謬推論は、こちらです。これがカント書用語だと、異様に高度に聴こえるのだが、果たしてそのような高度な用語化が必要なのか、ずっと考えているのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 01:30:49
2015年03月22日(日)
「存在者の全体」(という概念)も、『現象学の根本諸問題』14節末尾で、3つの人格性(超越論的=自我、心理学的=直前性、道徳的=自尊的実践)の総体、すなわち被造物のままに留まる、とされます。依然投企できない。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/1i39Bx4Mca
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posted at 20:14:04
こうした、カントによる来世信仰、霊魂の不滅という、実践化された誤謬推論は、今系列=持続としての時間に、直前自然の範疇を適用した誤謬推論だ、というのがハイデガーの証明の意味です。自然はそういう多義性ではないという丸山文隆の指摘するとおりです。@jeanbeauty2
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posted at 19:54:34
カントは自我の存在論=魂という誤謬推論の代わりに、定言命法、実践的自我によって、霊魂の不滅という新たな誤謬推論に陥った、というのが『~諸問題』13~14節。普遍=魂の不滅、来世信仰になってしまったわけです。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/P7GkAoqwnI
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posted at 19:47:22
超越論性とは思惟のこととハイデガーは定式化していますが、思惟に自然範疇(様相論)を適用すると、カントの誤謬推論の反復、霊になるということです。より簡単に言うと、自我に適用できる時間は自然時ではなく、カント書のいう超越論的時間規定だ、ということです。@jeanbeauty2
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posted at 19:38:58
定式化できるとすれば、カントは魂に自然範疇の時間=自然時を適用し、誤謬推論の代わりに定言命法を取り出しているが、しかし自我に自然時間を適用するのが誤謬推論だ、というのがハイデガーです。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/S4Fv6CmGqN
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posted at 19:38:22
神が触発ではない、自我が触発だ、というカント書の純粋自己触発は『~諸問題』14節の全幅で、「証明」という形でなされます。魂を誤謬推論とするために、自然範疇の自然時間を適用したために起きたドイツ観念論の混乱は、止揚されない、という趣旨です。@jeanbeauty2
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posted at 19:31:56
ダヴォース討論のカッシーラーは、定言命法を仮言命法の自由のことと、独断しているのだけれど、ハイデガーは『現象学の根本諸問題』で、定言命法は仮言命法に独断できない、と一蹴しています。(~諸問題13節、思惟=超越ではなく、尊敬=自尊という存在)。@jeanbeauty2
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posted at 19:27:47
カント書の34節の純粋自己触発は、具体的には『現象学の根本諸問題』のいわば根本問題、つまり神は自発性(純粋現実態)だが、自我は自発的ではなく触発的だ、という同時性のことです。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/zpTUOxJuBy
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posted at 19:26:54
同時性というのは、その重複の同一性、物が自然範疇の時間で同時に重複してある、ということではなく、同時性とはカント書の触発=有限性のことです。自我の自発性に対立した概念です。自我は自発的ではなく触発的だ、です。@jeanbeauty2 bit.ly/1AOqUL1
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posted at 19:20:44
その点で、後期西田が、制作性(行為的直観の歴史的身体性)で物理学に移行できたが、生命論では人間中心主義に堕した、という点が日本では重い。そうした混乱をしている場合でないという意味で。ハエになりかねない。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 18:26:44
非西欧人に現象学が分かりづらいのは、この被造物性の解体というハイデガーが指摘する点だからなのだろうが、それが勢い、ハエとヒトが同一の客観的世界にあること、と喩えられる。そうなのだが、同一の客観的世界=存在者の全体=被造物世界というのを掌握できればOK。@LitoSnowfield
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posted at 18:22:39
フッサールは、そうした直前自然の被造物性というところまで、明確化することを怠った、とハイデガーはいうのだろう。ハイデガーの直接性というのは、そういうところにあるのだが、とにかく西欧人を説得=証明しようとするので、話が長い。でも言ってることは簡単。@LitoSnowfield
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posted at 18:18:57
それほど、ハイデガーは端的。カントが、自我に先立つ基体、魂の証明という古代の問題を、神の存在証明で覆そうとした時、存在者の全体=自然が、すべて被造物になってしまったのだ。この神による自由をハイデガーは徹底的に解体してしまう。魂から神に、神から魂に。@LitoSnowfield
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posted at 18:16:17
当然、新田もハイデガーに言及するが、しかし新田の言い方(宣伝文句)をハイデガーに引き寄せれば、より簡単。ハエとヒトが同一の自然という客観=存在者の全体は被造物神話によるが、なぜヒトはハエでないのか、というのがカントでは不十分だ、というのがハイデガー。@LitoSnowfield
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posted at 18:09:21
この新田の言い方、気に入った。もっとも、ハイデガーが、直前の自我を直前の自然と同一視する、被制作性(被造物)という西欧の神話が、何を隠蔽したか、という、新しいカテゴリー論の方が、新田~フッサールより、暴露してて直接的なのだが。@LitoSnowfield
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posted at 18:04:38
たまたま、うちにあった新田のもう一つの『現象学』の巻末みてたら、その本の宣伝文句「客観性とは何か? たとえばハエもヒトも客観的に同一の世界を生きているのか? そのような自然主義的態度を根本から疑った現象学は、危機に瀕する実在論的近代思想の根本的革新」@LitoSnowfield
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posted at 18:02:53
日本で現象学はなぜか東北大だそうだが、新田義弘は多作ではないけど、この文庫化は日本の知識人を感動させた名著と評されてるね。www.amazon.co.jp/review/R2F85IB... @LitoSnowfield
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posted at 18:01:42
ところで、被造物という西欧の神話の自明性(ハイデガーはデカルト~カントで、それが強化されたという)から自由になる方法は、(残念ながらめんどくさい)現象学ぐらいしかないわけだが、そのことをどう日本で分かりやすく再啓蒙するか、という問題。@LitoSnowfield
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posted at 18:01:09
2015年03月20日(金)
平たく言えば、『カント書』の通り、時間を形成する能力が構想力の超越論性なのでしょうが、『~諸問題』の通り統覚があってこそで、(デカルトの)自我というのでは直前基体で仮象だが、自尊心のような情動として道徳的責任的に人格は実存する、といってますね。@jeanbeauty2
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posted at 23:05:13
構想力という古典的な問題は、タブララサを前提とした記憶 www.evernote.com/l/AJ3C_0Bgt-xA... のことですから、そうした受動態に対する能動が時間、カント書の言い方では過去・現在・未来の三位一体ですが、それを形成する能動性が構想力とされるようですね。@jeanbeauty2
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posted at 22:54:05
冗談はさておき、その経験的構想力、覚知・再生・再認の綜合の時間形成性格については、純粋自己触発の手前の、カント書第33節を具体的にお読みになった方が早いと思います。bit.ly/1DF5eHw @jeanbeauty2 bit.ly/1AOqUL1
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posted at 22:46:18
さっきたまたま、後期西田がヒラリー・パトナムを超えた量子論という話 twitter.com/sunamajiri/sta... に脱線したので、シュレディンガーの猫とコペンハーゲン解釈の話でも始めるのかと思った(笑)。@jeanbeauty2 同時だと、別の個体
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posted at 20:39:29
鍵RT @jeanbeauty2 bit.ly/1AOqUL1 少しもどりますが演繹論で覚知の統合~時間的差異こそが、同一を保障することになります。同時だと、
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posted at 20:36:30