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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年03月31日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月31日

単に直感=全体=時間という話題なのに、特殊と普遍の差異性なんか、柄谷は語りはじめてしまうからね。そもそも直感=全体=包摂=図式に、特殊も差異も話題として絡みようがないのに、誤解しているのだろう。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 11:10:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月31日

カントは直感=全体=時間を根といいつつ、自我(自発とか理性)に対する構想力(触発とか今でいう無意識)と語りきれず、根源の全体性が欠損する不純を招いた、という程度の話題。ハイデガーまで(彼以外は)その不純を主題にしがちなのだろう。@LitoSnowfield

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posted at 11:06:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月31日

リトさん、ファボるならこっちよ。twitter.com/sunamajiri/sta... 全体が問題なのだが、このようにハイデガー(だけ)は、直感=全体=無限と純粋化=超越論性の徹底があるということなのだ。カントだけでは不徹底ということなのだろう。@LitoSnowfield

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posted at 10:55:46

2015年03月29日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

柄谷が気にしているのは言い切ることの単独性だからね。ハイデガーが言い切ってるから自分が言い切れないと文句をいってる。それでもう一度、全てをデカルトの実在性の量に還元してしまう。何かを言い切りたくて仕方がないだけだろう。それで共同体の実在性を言い始める。@LitoSnowfield

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posted at 13:11:19

りと ᙏ̤̫(3さい) @LitoSnowfield

15年3月29日

@sunamajiri ん〜(*uou)> 拾い読みで言うのは何ですが、超越論的構想力を超越論的時間規定と論証した出来たことが重要なのに“共同体”ということに止まってしまうのは迷走というか危ういというか…むしろそれで安心できるのですかね〜(*uou)⁇

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posted at 13:08:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

柄谷の語りは、共同体の間、非西欧の日本の特殊性を普遍性に、というところで、読者が安心して思考停止するだけだが、単にヘーゲルの根源的同一性を斥け、ハイデガーが根といえたカントの時間性(普遍性)を忘却したいだけだよ。@LitoSnowfield

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posted at 13:01:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

ヘーゲルは、そのカントの直感的知性=神の力能を、根源的同一性と名づけただけだが、カントはそれを時間直感から取り出している。ハイデガーはその根=超越論的構想力を、時間(超越論的時間規定)と、論証し切っただけだよ。しかし、みんなヘーゲルのようになる。@LitoSnowfield

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posted at 12:56:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

ヘーゲルが出発点としたカントの直感的知性とは純粋理性批判の「自ら直感するような知性(悟性)を想像すれば、それは神的知性、表象即対象という神の同時性のことで、神にとっては範疇表は意味を持たない」というところだから。ヘーゲルぐらいしか見抜けなかったのだが。@LitoSnowfield

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posted at 12:53:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

乱暴に言えば、カント書というのは、理性が神を妄想するのか、無意識が非理性的に神を産んでしまうのか。カントに直感的知性を見たヘーゲルは根源といったが、ハイデガーはカントの時間といえた。それが言えないと自然時間に囚われる、という程度の話だから。@LitoSnowfield

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posted at 12:48:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

というより、欧米では、いわば生の科学なのに、日本では死の淵の科学になってしまうというところが、転倒していて面白い。

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posted at 02:56:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月29日

この立花隆の臨死体験シリーズ、実証科学では想像力=脳のファルスメモリーに過ぎない、ということのようだが、そんな当たり前のことが、死の淵を問題にしてしか話題にできないというのが面白い。つまり、西欧では真面目な科学なのに、日本では非科学的な話題のように語り出される点かしらね。

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posted at 02:55:17

2015年03月28日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

しかし、やはりカント書自体のテクストクリティークをした方がいい。ハイデガーのどこに独創があるのか(根を時間といえているのか)、そしてそれはカントの可能性の条件をどれだけ本来化したのか、といったような点で。@jeanbeauty2

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posted at 22:54:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

つまり非西欧ということなのだろう。ちなみに、ハイデガー現象学の根本諸問題のコプラ論で、ホッブスの唯名論が斥けられるけど、國分浩一郎のスピノザの方法で、ホッブスはデカルトの実在性の量という第三省察への懐疑として触れられていたのを思い出した。@jeanbeauty2

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posted at 22:54:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

柄谷が言っているのは、デカルトの我があるための疑いは、インドヨーロッパ語への疑いで、それが経験だというもの。カントはそれを踏まえ、デカルトにある自我分裂を収めたが、フッサールは自我分裂に嵌り、ハイデガーは存在論的差異からそれを解消した、という論旨のようです@jeanbeauty2

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posted at 22:51:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

柄谷は「疑う我と考える我をカントだけが混同していない」が、ハイデガーは疑う我(経験)と考える我の差異だけで(存在了解と存在論差異)に目を奪われ、場所(共同体の間)が見えていない、というむしろ抽象度の高い語り方をしている、@jeanbeauty2

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posted at 22:47:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

デカルトには、ego sum cogitansとならない、超越論する我と、超越論される我の自我分裂があり、カントはそれを解決したが、フッサールはそれを圏域にした。ハイデガーの非直前存在論は圏域批判にはなるが、場所(共同体の間)にならないという語り方です。@jeanbeauty2

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posted at 22:45:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

柄谷行人が、おそらく同じようなハイデガー批判を展開しているわけです。主要部を抜粋すると、bit.ly/1OJnBhR bit.ly/1CvIaZV 共同体の間とか耳障りが良いので、煙にまかれて、カント書などより質が悪い。@jeanbeauty2

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posted at 22:44:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

このあたりは、先述の坂部恵と黒崎政男と柄谷行人の鼎談が、昔ありましたね。その途上で、柄谷行人はハイデガーのいわば非直前存在論はフッサールへの批判としては妥当だが、カントやデカルトを批判できていない、といっているわけです。その辺りどう思われますか?@jeanbeauty2

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posted at 22:07:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

ハイデガーがカント書で言及する、カントの構想力をめぐる動揺というのは、ハイデガーにとっては時間の動揺というより、ヘーゲルにとっては、カントの直感的知性(B145)に見え、それを根源的同一性というものが、ハイデガーには根が時間に見えるというだけでしょう。@jeanbeauty2

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posted at 22:06:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

そりゃそうでしょう。カント書がそこから何を取り出すか。それを読まないと面白くない。構想力がどうその時間に結びつくか、という話ですからね。理性主義に対する、いわば本来の無意識、産出的構想力、能動的知性みたいな話なのでしょう。@jeanbeauty2

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posted at 22:06:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月28日

鍵RT @jeanbeauty2 カントは時間を、経験的な概念では、ないといいました。同時、継続ということの知覚は、すでに、常に時間という表象が、存在する、と言いましたね。bit.ly/199kO0D

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posted at 22:05:33

2015年03月27日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

柄谷の「なのである」という判断文は、フッサールがカントの視差が分からないアンチノミーで、物自体は視差としての未来の他者のことで、ハイデガーによってそれがわかったのは、自分だけなのである、という語りね。@jeanbeauty2

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posted at 23:07:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

そのあたりは、坂部恵の追悼文に、漱石や日本近代文学の起源も、坂部が指摘するカントにあった視差のことだと告白しているが、私から見ると柄谷がハイデガーにその視差がないというとき、柄谷にその視差がないように見える。www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-... @jeanbeauty2

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posted at 23:04:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

柄谷行人は、坂部恵の示唆が、ライプニッツ~ヴォルフ、つまりバウムガルテンの感性論的形而上学の微睡みから目覚めさせたのは、イギリスの経験論というより、大震災による霊視者との視差だったと告白して現象学しまくるね。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/Hil8NaoVBw

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posted at 23:03:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

つまり、柄谷はただ、フロイトやマルクスという「他者」を「歴史的」に名指すためだけに、語りの冒頭で例外として回避したハイデガーに、他者性がないと言いたいだけの語なのだが、それ自体が彼の言うアンチノミーだろう。その点で面白いのは坂部恵に示唆されただけという点。@jeanbeauty2

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posted at 23:01:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

柄谷行人の動揺は、語りの強度から言って、彼の言う単独者はマルクスやフロイトというより、他者性の語源になっただけのキルケゴールでもなく、物自体を唯一捉えたハイデガーを冒頭で隠蔽し、プラトニズムと決めつける、彼自身のプラトン主義だね。@jeanbeauty2

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posted at 23:00:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

柄谷行人は物自体=他者性というのだが、ハイデガーをどうテコにしたのかという点で、トランスクリティーク再読。フッサールはアンチノミーに過ぎず、カントの物自体を唯一ハイデガーが語ったから、と端折るね。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/jY9kbaxMqF

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posted at 22:59:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

柄谷は規則は、数学の証明を可能にするプラトンの対話の独我論性であり、それは言論的転回論者が見落とすところで、カッシーラーの象徴体系には他者があるが、ハイデガーは規則を時間規定にした。カントの物自体=デカルト的他者はマルクスで延命した、と主張してますね。@jeanbeauty2

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posted at 02:06:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

ご近所というのは、岩波カント全集総監修者の坂部さんがご近所で、よくライブにきてくださり、温泉でカントの話をしましょうといってたら、亡くなってしまったということなのですが(笑)。@jeanbeauty2

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posted at 02:01:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

「規則」が時間によって「規則」でなく「規定」になるというカント書の問題は、カント純粋理性批判A139の図式論ですが、高峯訳と、うちのご近所の故坂部版カント全集では、ここです。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/Ottljn1Xv6

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posted at 01:56:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

時間が規則なのかどうかが問題なのだが、柄谷はここで、プラトンのメノン、規則が齎す対話が教育によらずに数学を証明する弁証法と分析を斥け、カントが綜合判断=構想力を数学に齎した他者性を、ハイデガーは見誤った、というようなことを語っていますね。@jeanbeauty2

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posted at 01:37:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

カント書の訳者後期で、門脇はマルチンについて触れ、カントが数学をアプリオリな綜合判断(柄谷の言う他者性)とした点を、ハイデガーカント書の「時間の統一の同一性」に見出した、いわば詩学を見て取っていますね。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/4nHX5xK7K2

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posted at 01:31:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年3月27日

柄谷のトランスクリティークを数年ぶりに読み返していたら、カント書の訳者門脇の師匠マルチンが、数学の形式主義に対する直観主義、カントの綜合判断=数学という点で引用されてますね。柄谷はそれを他者性というのですが。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/lGX0mKXq3B

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posted at 01:29:43

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