大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年07月03日(金)
そうとも言える。つまりアポリアですよ。現象学的還元してくださいね。@J_J_Kant それは一見自律しているかに見える個(自我)というものも世界という物理化学的現象(時間)の一部であるにすぎない、ということなんじゃないですか。@inja650rr
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posted at 23:50:30
なんで、デカルト~カント以降に、そんなに形而下と形而上が問題になるんだ。それはもはや機械になることですよ。疎外論というのがなぜおこるか考えてくださいね。@inja650rr 形而上の範疇であると想います。@J_J_Kant 物理化学現象でしょう。
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posted at 23:48:50
簡単ですよ。人間は実存であり、自我などという対象化されるものがあるのではなく、脱自させる時間が、カントの超越論性(客観)の根源規定だ、という解答です。@J_J_Kant ハイデガーはどう解決したのですか? @inja650rr
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posted at 23:43:34
定式化が必要なんですよ。無神論とは神を実在性の地平で語ることから離脱する方法を持たない者の謂であるとか。もしデカルト以後に、無神論があるなら、それは最高・無限・自己原因という三観念を、実在的に捉える誤謬に陥ってるだけでしょう。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 22:58:34
あれじゃ、中嶋さん哲学史観という唯物論にいってしまいますよ。無神論というのは、神を実在性の地平で語ることから離脱する方法を持たない者です。デカルトはそんな地平で語ってないはずですよ。それより中嶋さんに客観を語らせなきゃ。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 22:56:50
そうですよ。実在論を語ってないですよ。ところが、無神論者は神がいないという神学に陥るんですよ。だから、実在性という主観の話ではなく、客観という現象学の話をしないと、無神論者つまり神学に戻りますよ。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 22:47:43
お二人とも現象学以前の話をしすぎなんですよ、デカルトを神の実在論だ、なんていう主観性の話で捉えたら、宗教の話か、日本なら明治時代に神を創る話にしかならないんじゃない? なんで客観の話しないの?@J_J_Kant @inja650rr bit.ly/1GUBP8a
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posted at 22:32:51
神は完全で無限で自己原因だってことにしときましょうよ、というデカルトの話(神観念要請)から、なんで不完全性から完全性に神がビルディングスロマンスする話に戻るんだ?(^-^)/ twitter.com/inja650rr/stat... @J_J_Kant @inja650rr
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posted at 22:30:47
隠者さん宗教の話しすぎるから、中嶋さん明治みたいな話するじゃない。神がいるとかいないとか、いないなら捏造しなきゃとか、デカルト以降の話をしていて、なんでそんな主観とか実在論の話ばかりになるんだろう? そういうことやめましょうって話でしょ?@J_J_Kant @inja650rr
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posted at 22:22:02
@sunamajiri @J_J_Kant 仏教哲学にしても西洋哲学にしても
「無」と「非」の取り違えは解釈により大きな歪みをもたらしているような気がします。
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posted at 00:19:26
四字熟語のような漢字表現では、とくに非と無の違いという肝心なことがすっぽり抜け落ちるのかね。特に無を語るとき、宇宙の外なんかないよ、とかそういうのが抜け落ちる。heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya... @inja650rr @J_J_Kant
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posted at 00:01:53
2015年07月02日(木)
漢訳の問題だからね。どうしても無我が別の意味になる。それで対他といいはじめたりする。だから対他反照は規定ではなく、規則の規定は時間で脱自的時間だ twitter.com/sunamajiri/sta... といわないと、瞑想を始めて迷走する(笑)。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 23:29:09
そうだよ、アリストテレスのファンタシア(表象論・霊魂論)を、神は空想ではない、と受け取れたのはカントだけで、それを疎外論で貨幣だといったマルクスより、脱自だといえたハイデガーの方が、本質的なのだよ。bit.ly/1CdgQ4Z @virusyana アファンタジア
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posted at 23:13:31
日本のニューアカから、東で終わったポストモダンというのは、端的に(日本には構築されていなかった)体系の奪回と、その(再)解体です。体系というのは現実的に貨幣形態のことだけど、具体的には読みを中心化することです。動物化というのはその解体です。@inja650rr
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posted at 22:32:59
それは、隠者 @inja650rr さんが東の動物化と思ってる問題ですよ。廣松がフッサールの純粋自我から、類的関係の中心に貨幣形態を置いたので、柄谷が貨幣形態という中心から、売り手の構造を見出し、買い手の実存を喪失したという問題でしょう。動物化まであと一歩です。
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posted at 22:24:00
柄谷が廣松を批判して、フッサールの純粋自我より、フロイトの超自我だというのは分かるのだが、しかしハイデガーの純粋自己触発だというのを捨象すると、マルクスが貨幣論まで参照しているフォイエルバッハのような、神は自己の想像上の外化だという疎外論から、カントを誤読するだけだろう。
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posted at 21:18:28
それこそ、マネーを呪術的に信仰し、世界内存在から売り物が駆逐されるような事態というのは、コンピューターならフレーム問題だが、人間なら超越論性、つまりモノを喪失することだから、閉塞するに決まっている。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr
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posted at 21:05:29
極めて端的に、彼らのフッサーリアン的ハイデガー批判は、物象化論を疎外論に戻し、貨幣の物神性という、指示連関の中心化の問題に陥ると、売り物が世界内存在から根絶されるという、恐ろしい事態というわけだ。@inja650rr pic.twitter.com/QqJUhlMjJX
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posted at 21:03:00
廣松のフッサール性をハイデガーではなくマルクスから批判する柄谷の贈与論、改めてほんとに危険だな。売れなければ売り手が孤立するという論だが、売り物がなければ買い手が孤立する、という超越論性を切り捨てている。@inja650rr pic.twitter.com/wTMVuCpTcL
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posted at 20:48:21
これ twitter.com/sunamajiri/sta... で、廣松と柄谷の弁証法、指示連関の中心、相対的価値形態と等価形態の非対称性、貨幣の物神性の問題を、ハイデガーの世界性と比較して楽しんでたんだが、前者はフレーム問題だね。@inja650rr 無限ループ @J_J_Kant
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posted at 20:12:12
弁証法やゼノンのパラドックスは、コンピューターの無限ループのことだから、人間様にはうるせー、ってだけのことよ。ww(^-^)/ @J_J_Kant まあ確かに、うるせえ、もういいよ、めんどくせえ、と思うね😅@inja650rr
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posted at 20:01:18
それこそ弁証法や中心性の問題は、フレーム問題と同じだよ。世界に被投できないのは、指示連関の中心を企投するからだ、といった。twitter.com/inja650rr/stat... @inja650rr テーゼとアンチテーゼを何度も繰り返すと、人は怒りが湧いてくるもの @J_J_Kant
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posted at 19:56:12
論理主義と心理主義のように、止揚できない対立が起こった後なのに、いまだに弁証法のように左右といってるからね。集団から個人が自由になるデカルトのような近代の話を読んで、集団の個的アイデンティティーをと思うから、転倒するんでしょう。@inja650rr @J_J_Kant 右も左も
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posted at 19:47:59
2015年07月01日(水)
フレーム問題は人間が人類の脳の機能について過大評価していることにこそ、問題が存在しているように僕は感じます。
それは人類が陥っている社会問題と大きくかかわりが有ると想います。
@sunamajiri @nckrx970
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posted at 18:36:59
まさにゾルゲ(気遣い)ですね。マルクスが参照したフォイエルバッハではないが、神は人の想念の外化だ、なんて身勝手で無粋なことを、いかに言わないか、である気がしている。@inja650rr ふと思うのですがもしかしたら哲学者は世界や神というものに配慮しているのではないのでしょうか?
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posted at 17:22:46
うん。ちなみに、自我が神を外化するように、労働が自然を物象化する、という柄谷や廣松の弁証法の問題は members.jcom.home.ne.jp/mi-hamamoto/re... 。逆に労働は自然を止揚しないというハイデガーの問題は www.ashida.info/blog/2008/11/p... あたり。@inja650rr
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posted at 16:59:12
隠者 @inja650rr さん、純粋自我は時間規定を含む、弁証法では労働は自然に止揚できない、というハイデガーを私は読みつつあるだけだけど、twitter.com/inja650rr/stat... の点で、黒沢さんとお話が合うんでない? bit.ly/1IMlNyr
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posted at 16:49:57
先が見えないという日本に限らない閉塞感というのは、端的な言い方が、このぐらいtwitter.com/sunamajiri/sta... しか見つからないのだが、やはりほんの僅かだけ、近代哲学に誤差を語らせてしまう、何かがあったということでしょうね。@J_J_Kant
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posted at 15:40:39
柄谷は日本近代文学の起源を西欧哲学と錯視しただけでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... それで意味のつもりが使用価値を語る。これも、フッサールの自我分裂を、フロイトの超自我から捉え、ハイデガーの言うカントの時間規定をナショナリズムと捨象する。@nckrx970
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posted at 15:24:44
私が話しているのは、アメリカ育ちだからか、フロイトからハイデガーに目を塞がれた、という話 twitter.com/sunamajiri/sta... だけです。それで読めなくされたのも、自我と時間というカントの問題。超自我ではカントの時間規定を扱いきれない。@nckrx970
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posted at 15:23:48
黒沢さんのそれは決定的に重要ですよね。廣松の関係論では純粋自我を時間と言えない。その点、西田が純粋自我から自我分裂を解消しているように見える。twitter.com/sunamajiri/sta... @nckrx970 bit.ly/1IMlNyr
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posted at 15:22:50
@sunamajiri こういう先が見えなくなった時代だからこそ原点に一度立ち戻るということが大切なんだと思いますね。だからぼくは近代(思想)の始まりからもう一度やり直してみたいと思っています。
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posted at 11:38:56
@sunamajiri 西田に期待したのは、それこそ純粋自我を復権し広松と縁を切りたかったからです。あの二人は今後とも人生の導きの糸になると思う。どうも個人的な感想になっちまいましたが、難解なイデーンを途中まで読んで、広松とフッサールの関わりの理論的な説明は力に余ると判断した為。
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posted at 09:19:33
@sunamajiri 思っていた。広松は唯物論を認識論では克服したが、歴史参加への煽動や宗教的実存の一蹴では、遥かに徹底した押しつけがましさがあったのです。「歴史・内・存在」とか革命への「先駆的決意性」とか、個々人の思惑なぞ歴史に於いてしかない、という息苦しさ。僕がカントや
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posted at 09:05:24
@sunamajiri であって、社会革命等マルクス護教を目指したものだった。しかもそれ、現象学を介して綿密でした。僕はソ連が潰れて、もしマルクスを活かすなら、もっとマイルドであるべきだと思っていたし、生き死にや宗教の問題をも社会理論で一掃するような、横暴な唯物論を改めたいと
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posted at 08:51:04
@sunamajiri 克服したかったに違いない。ちょうど自然科学も、粒子等の物質が知覚と対象として、素朴な実体とはいいがたい、モノからコトへと割り切る必要があ生じていたことから、彼の社会・自然で一貫する認識論が時代に受け入れられたのだと思う。只、眼目はあくまで、社会や歴史の説明
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posted at 08:39:48
@sunamajiri 加減を説明するのは、やや骨が折れます。思想史的に果たして正確な読みか、自分でも覚束ないから。只イメージだけ言うと、やはり彼はマルクス主義で、ロシアマルクス主義風の唯物論では、商品の価値が物象化的な意味であることすら見抜けえぬ、「科学的」蒙昧になると思って
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posted at 08:21:34
@sunamajiri 両者とも僕にとってはマルクス繋がりで、政治上の判断で参考にしたり嫌いになったりしました。柄谷のマルクス絡みの世界史の展望には魅力なくて、明治以降の近代文学史の解釈には少し興味があります。広松には青年の頃に実践上の励ましを得ていたけれど、今は嫌い。その嫌いさ
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posted at 08:14:01
ね? これほどコギトエルゴスム、自我としてカント以降を読むのが危険なんです。日本で愚衆政治のような問題が発生しているのであるなら、おそらくすべてこの自我という類概念を捨象できない、という愚衆の問題なんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant
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posted at 07:24:16
@sunamajiri お、あんまりハイデガ風ふかすから距離を置いていたが、これはちょい興味ある。柄谷・広松ね。僕は「共同主観の純粋自我」ってのは無理がある表現と思う。むしろ間主観性を現象学に学んだとしても、自我捨てて物象化的「意味」存立を強調してると思う。自我なしの社会的実践。
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posted at 02:17:38
人格なる最も抽象的な攻撃に陥ったり、全く具体性がないですからね。先日来、コギトの話になりましたが、自我では自我一般に抽象化され、個という具象性を失う。そういう論理的不整合が現実に妥当しなくなり、画一化したんでしょう。@J_J_Kant bit.ly/1IKk78F
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posted at 00:59:56