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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年03月25日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

中山康雄が端的に指摘したように、論考のウィトゲンシュタインのいう独我論は、マクタガートの時間論がニュートン時間を暗黙の了解とするように、非形式的時間の記述であり、その要請に応じる必然性はない。それに対して、ハイデガーの形式の告示は要請ではなく、根底的なのです。@BeTakada

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posted at 05:49:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

それよりも、タカ基地さんが直観したように、あるのはニュートン時間の非形式性と、アインシュタイン時間の形式性という差異=構図だけなのだから、ハイデガーが時間論において達成する形式の告示が、どのように誤読されてきたかを、常に念頭に置けば良いだけなのでしょう。@BeTakada

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posted at 05:44:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

そこで夕方のソーカル事件の話題に繋がるのです。ハイデガーの形式の告示を受け取り損ない、同一律を形式と語り続けると、ソーカル事件(哲学を数学化する無意味)や、日本の現代思想にはびこる否定神学システム(ラカンのメトニミー)になるというわけでしょう。@BeTakada

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posted at 05:41:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

面白いのは、形式を数学=同一律とすると、実存の形式は決意性になってしまうが、ハイデガーはそこから転回して、形式は根拠律であり(GA26)、それはアリストテレスが運動を時間=霊魂の根源規定とした図式性が、近代において覆われている、という形式を告示している点です。@BeTakada

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posted at 05:33:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

中山康雄はマクタガートがニュートン時間である証明を行い、その上で、論考のウィトゲンシュタインの独我論を、デカルト的要請上の却下とすることで、アインシュタインの時間形式でハイデガーを記述し直すことに成功しているのでしょう。おそらくそれがタカ基地さんの直観です。@BeTakada

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posted at 05:26:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

それはタカ基地さんの中山康雄でいうと簡単な話で、形式を同一律とすると、ニュートン時間である独我論に頽落するのです。だからこそそれは形式ではない、と言っているのです。アインシュタイン時間が形式であるのなら、欠如態を招く形式(同一律)は形式=真理ではない。@BeTakada

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posted at 05:22:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

GA31~33というポストカント書は、「哲学の主導的問」はどれか、という話です。GA32のヘーゲル論も読みたいところだが。その上で、カントがアリストテレスの脱自的図式=哲学の主導的問に盲目になり、欠如態に陥ったことが、超越論的批判にかけられているのでしょう。@BeTakada

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posted at 05:20:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月25日

一般に真理というと数学の方程式(同一律)のことだが、実存論を着手点とすると、アリストテレスの存在=時間論には、欠如態がない(たとえばGA33-110)という図式性こそが時間の形式的真理だ、と告示してるだけだものね。@BeTakada pic.twitter.com/Qe1GeY55id

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posted at 05:06:37

2016年03月22日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月22日

ハイデガーの方法的懐疑、告知されない形式は日常性のドグマだ、という形式告示的解釈学による、カントの基礎づけ主義(非本来的形而上学)の構図化、と複文節変換すると、なぜかグーグル変換が、構図化を好事家と変換するので困っている(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 18:05:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月22日

そうした、非現前的時間(カイロス)、現前的時間(イデア)に対するテンポラリテートは、斎藤元基で最も図式化(構図化)されている。bit.ly/1R28GBh ハイデガー自身は、カントの非図式性を批判することで、その発見に至っているのです。@BeTakada

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posted at 17:54:33

2016年03月21日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月21日

カント書は、カントの基礎づけ主義(非本来的形而上学)の批判を、超越論的図式性と概念化していると思われるが、このハイデガーは形而上学のいかなる批判者なのか、ということだけに関心を絞るべきです。@BeTakada

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posted at 18:55:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月21日

問題は、ハイデガーがカント書に至るも尚、カントの基礎づけ=非本来的形而上学なのか、存在論=本来的形而上学なのか、という二分法で語っていて、二分法というのは価値哲学を派生しうる動揺ですので、図式的ではなくスッキリしていない点です。@BeTakada

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posted at 18:54:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月21日

それは、物理学ではアインシュタイン時間(観測系の平等化)を発見したが、日常の実存論に陥る哲学では、ハイデガーに至るまでニュートン時間で語られていた、という齟齬の問題であり、そうした根源図式への視座が欠如しないなら、どんな教育でも功を奏するということです。 @BeTakada

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posted at 18:53:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月21日

中山康雄が適切に指摘しているように、基礎づけ(形而上学)なのか、存在論なのかということのようですので、諸科学の積み上げ、つまり経験主義では形而上学から抜け出せない。それを相対化するのがハイデガーということでしょう。@BeTakada

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posted at 18:32:27

2016年03月20日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月20日

問題は霊魂の実体的実在のことではなく、それを規定=非実体としなければ、思惟の主体は動態たりえない、という図式性が問題にされているのです。@BeTakada

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posted at 18:16:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月20日

当然、魂というのは規定でありイデアのような実体ではないので、時間が媒体である実存に思考させる規定性(おそらく非実体)でしょう。だから、機械論的に媒体は霊魂を規定としなくても思惟することができるが、そういう思惟を俗に「魂のない」「心のない」とか形容するほどです。@BeTakada

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posted at 18:16:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月20日

カントが退却してしまう超越論的図式性とは、時間に触発させる構想力による自発性のことです。先程ツイートした twitter.com/sunamajiri/sta... ように、アリストテレスでは、霊魂が構想力=時間であるということです。@BeTakada

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posted at 18:16:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月20日

カント書の議論では、純粋自己触発です。www.eleutheria.com/philo/autoaffe... 自発ではなく時間により触発される自発です。つまり品詞分類=ラテン語文法学からは、受動性のように思わえることが、実は自己触発性だ、というようなことです。@BeTakada

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posted at 18:06:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月20日

たしかに、存在が媒質なのは実存が媒体であり、それゆえ物質の欠如態が動性(運動)である、というのは、ロゴス(語り)の全体でしょう。つまり、実存とは語る実存のことです。語らなければ実存ではなく、その中では物質という欠如態、つまり静態です。石のように語らない。@BeTakada

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posted at 18:02:46

2016年03月18日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月18日

中山康雄、マクタガートも(初期)ウィトゲンシュタインも、結局、ニュートンの絶対時空への盲信で、アインシュタインのように、アリストテレスの規定から述語を捉えられていないが、哲学ではハイデガーの存在論だけが、その時間性を捉えている、と端的に言っているね。@BeTakada

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posted at 14:59:41

2016年03月11日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

日本の文脈では、サルトルやサルトル批判から、ハイデガーに遡行するため、こうした図式性が歪み、最近では形式性というとフロイト~ラカンの実体性批判の話になる、しかしハイデガーがそれでは不十分としていることが、端的に日本思想の危機といえるのです。@BeTakada

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posted at 04:36:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

ハイデガーは、全体=存在論から語るので、それを宗教的アプリオリにしてしまう新カント派や、述語論理学の探究的な語りから転回に突破するのではなく、あらかじめ突破した地点、つまり転回後から語っているので、探求などしていないという点に注目すべきなのです。@BeTakada

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posted at 04:34:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

なお、未邦訳のGA60『宗教的生の現象学』は1920年。時間論は領域存在論ではなく全体か、というのが現代の論点ですが、それが集中する『存在と時間』27年~カント書29年より、はるか前のパースペクティブです。
@BeTakada pic.twitter.com/asX7caVZ5d

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posted at 04:30:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

語ること=存在論を領域に頽落させずに、信仰そのものを解決すること。そうしたGA60における本来の時間論の方法については、森秀樹 bit.ly/1YCFP8i や齋藤元基 www.amazon.co.jp/%E5%AD%98%E5%9... を参照すべきです。@BeTakada

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posted at 04:17:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

神秘主義というと、語りえないことのようだが、しかし信仰を語ることは、単なる告白ではない。存在証明が形式的なのではなく、告白自体が形式的なのだ、というGA60における時間論こそが、ハイデガーの枢軸のようです。@BeTakada

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posted at 04:14:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

私たちはつい、形式性というと概念という部分の定義に思いを馳せるのだが、ハイデガーのいう形式性とは、そうした宗教的生の全体、つまり信仰の問題という、いわゆる語りえないことを、語る方法的懐疑なのです。概念とは何か、と問うのが、仰るような日本の危機です。@BeTakada

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posted at 04:12:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

今日は奇しくも3.11だが、ハイデガーの語っている形式性というのは、日常的に予期せぬことが起こった時、信仰心を捨てないこと、というパウロの形式性が、アウグスティヌスにおいて価値の序列に頽落したことへの批判です。それがハイデガーの言う脱自的時間の現象学なのです。@BeTakada

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posted at 04:07:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

この、語りえないことの形式性が、ハイデガーにおいて十分開陳されていないためか、日本では形式性がフロイディアンに屈折しているのだが、形式性が如何にパウロ~アウグスティヌスを総括したものか、というGA60の詳細な研究が斎藤元紀氏の博論の脱自的瞬間の時間性の章です。@BeTakada

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posted at 04:05:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

このGA60巻問題が先日のハイデガーシンポの主題で、『はじまりのハイデガー』所収の森秀樹氏の論考が、GA60のあらましとなっています。末尾でザラデルからレヴィナスとデリダが相対化されています。bit.ly/1YCFP8i @BeTakada

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posted at 04:01:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

上述したエックハルトの神秘主義についての講義がキャンセルされた経緯、そして脱自的瞬間の時間性というハイデガーの形式性が、いかに神学を領域化するものであるのか、という全てを語り尽くす巻だそうで、それをめぐって近年の日本のハイデガリアンは議論しているのです。@BeTakada

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posted at 03:57:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

ところで、創文社のハイデッガー全集はこの数年、全く続巻刊行をストップしているのは経営難なのだろうか? そのせいかしらないが、非常に問題的な全集GA60の邦訳がなされず、私たちは脱自的時間という形式性が、いかに宗教的かという問題の蚊帳の外です。@BeTakada

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posted at 03:51:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

上記の山口美和氏は、斎藤慶典に依拠し、斎藤はハイデガーのGA25~GA3の図式論(概念的に語りえないこと)に依拠しているのです。なので素直に、ハイデガーを読めば、引っかかりなく了解できるのです。@BeTakada pic.twitter.com/Bp6HiygURs

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posted at 03:47:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

それゆえ、ハイデガーを時間が何で有るかが分かれば、自己や神の実在の証明という語りえないものが解決する、などと読むべきではない。そういう定義では語りえないことがある、という図式が語られているのだから。それを捉え違うことが危機的なのです。@BeTakada

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posted at 03:39:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

部分(概念)とは何かではなく、全体(図式)とは何か、と問うこと。それがハイデガーの遂行していることです。それを概念とは何かと読むと、まず転倒してしまう。ハイデガーの遂行している転回とは、そういう転回です。後述するように、形式性とはそのことでしかない。@BeTakada

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posted at 03:39:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

Uさんも、タカ基地さんも、なぜか中嶋さんのような、日本の危機を問題にするのだが、それはハイデガーが言うように、何ということを問う危機のことです。神とは何か、自己とは何か、時間とは何か、言語という領域は何か、そういう語り方(存在論)をすることが危機的なのです。@BeTakada

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posted at 03:38:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

もしかして、時間とは何か?と問おうとしてません? 時間を問うのは、神や自我を問わないための身代わりです。それが時間論が脱自態(語りえないこと)だという意味です。@BeTakada

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posted at 03:30:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年3月11日

レヴィナスにいきましたね。山口は斎藤のカント書解釈に依存してますね。しかし、ハイデガーの纏め方=語りから、あまり離れないほうが良い。ハイデガーが散逸的だからこそ、フッサールもレヴィナスも暗中模索で、時間の持続を語ってしまう。問題は語りえないことです。@BeTakada

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posted at 03:27:09

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