大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年05月31日(火)
主著では、実存論(基礎存在論)だが、それだけでは図式論に到達できない。だからメタ存在論から図式論に到達するが、しかし図式論だけでは原則論に成就しない、そういう領野で捉えないと、おそらく原則から逸脱するのですから、措定されていない、社会科学のような不確定な話ばかりになる。
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posted at 17:48:15
その点で、ポストカント書も、再度カントを問うGA41『物への問い』に至って、ダヴォス討論のカッシーラからの批判的テーゼ、図式論の成就としての原則論に到達しているということのようですね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 17:45:40
ハイデガー読本一巻目は、前中後期ハイデガーの読解アンソロジーですね。ただカント書は続・ハイデガー読本で、純粋理性批判を判断力批判にいわば昇華させるテクストと読解するまで、保留的態度でしたが。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 17:38:12
2016年05月29日(日)
タカ基地さん、主著やカント批判の問題を素通りして、どうしても現代社会の問題に引き寄せたいのなら、いっそ後期の放下のような問題系から、哲学言語を性起しなおしてみれば? こちらはハイデガー読本所収。bit.ly/1UbZaJ2 @BeTakada
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posted at 04:17:30
一方で、ハイデガーは絶滅収容所で生きる屍の囚人にされることばかりか、現代社会に徴用された人たちが、各自の死を死ねないこと、つまり永遠に漂ってしまうようなこととして、死の先駆性という実存論の問題を、再話しようとしていたようだからだ。bit.ly/1UbZaJ2
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posted at 04:10:13
放下した平静さとは、人間まで徴用物資にする現代技術社会の中で、技術を拒絶するのでも、技術に恐れ入るのでもない、独特の距離感の取り方のことのようなのだが(続く)
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posted at 04:04:28
ユンガーを未読なので、千坂恭二氏のいう「ハイデガーはユンガーが分からなかったようだ」ということに興味が尽きないが、ちょうど原爆の話があったので、つい戦後のハイデガーの思惟、ゲシュテル(総かり立て体制)や放下(ほうげ)を考えてしまう。というのも~
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posted at 04:01:29
ツイートまとめ(^-^)/ 千坂恭二さんのユンガー論、あるいはユンガーからのハイデガー批判、楽しみ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 03:58:33
被爆者が、こんなに気持ちを語ってくれたことがなかった、というぐらい隠蔽されていたのでしょうな。それもヒューマニストの仕業なのかしらね。戦後のハイデガーに依る、サルトルのヒューマニズムに対する批判ではないが、人間の思い上がり、自惚れこそ、諸悪の根源ですな。@doctor0621
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posted at 01:39:54
2016年05月28日(土)
おお顕現したのか? ハイデガーのアリストテレスの現象学的解釈を持参して詣たい。ハイデガーの物への問いを、音読して鎮魂したい(^-^)/アリストテレスの墓を発見か ギリシャ www.cnn.co.jp/fringe/3508336... アリストテレスの墓が発見されたことが28日までに分かった。
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posted at 23:12:56
いやいや。お酒美味しそうですね。人間のふがいなさは、切ないんですよ。そんなこというと神の視点にたってしまうけれどね。ヒューマニストはそれを忘れてしまっている。その思い上がりが不確定要素や狂気になるのですから、いい迷惑です。(^-^)/ @doctor0621
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posted at 22:58:43
自然より人間の方が不確定要素という実感はその通り。核を含め自然現象を人間がコントロールできるなど思い上がりだといったハイデガー的な批判から逃げ出したヒューマニストの駆け込み寺がそういう社会科学だったのなら笑止。@doctor0621 bit.ly/1Vn1CSt
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posted at 22:49:57
ハイデガーの黙示録的方法は見取り図にすると意外と単純で、同一律が本来の真理や形式ではないのは、中世の神の存在証明(同一律)に対して、主観のうちにないものはすべて矛盾律だ、とするデカルトのコギト以後の数学では、同一律ではなく根拠律が形式や真理だ、という思考法。@pucatavaco
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posted at 09:51:42
覆いというのは、中世の造物主の存在証明のような形式主義どころか、近代以後は学校による論理学のことで、そういう学校教育という覆いを取り払うことを、真理と形式化する話ばかりしているからね。黙示録的なのだ。@pucatavaco
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posted at 09:42:26
そうそう、ハイデガーが明証したいことは至って単純で、真理は同一律ではなく、その同一律(学校的形式論理学)が覆い隠してしまう真実の覆いを取り払う=アレーテイヤのことだ、というわけだからね。黙示録も終末論ではなく、覆いを取り払うこと=預言だものね。@pucatavaco
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posted at 09:37:54
2016年05月27日(金)
タカ基地さん、中嶋先生の時間論の対話に乗ってあげて。bit.ly/1TYW3Vf 端的に、確率自体がパラレルワールドにあるのか、という話になっていってるように思えるのだが。むしろ不確定性に見える。@BeTakada @J_J_Kant
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posted at 02:24:41
2016年05月25日(水)
カテゴリー誤謬というが、イギリス経験論者が屁理屈こねて神の存在証明に戻りそうだから、カントがデカルトの立場からちょっと待ったと言ったのだが、そこでニュートンの永遠時間に依拠したので、ハイデガーがこれまたちょっと待ったといっただけの話。だから現代は単純な時代。@inja650rr
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posted at 20:28:45
文章を140字にすぼめるのでへんになったな。要するに、現代において、永遠時間と有限時間という、宗教の問題が加熱してしまう事態に立ち至っているというのは、じつはデカルト以後の哲学史的には寧ろ単純な事態だ、ということなのだが、もう一度ツイートし直すと・・・ @inja650rr
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posted at 20:28:31
カテゴリー誤謬は、デカルトに対してイギリス人が屁理屈こねて、神の存在証明に戻りそうだから、カントがちょっと待ったって言っただけだからね。ハイデガーは、そこでカントがニュートンの永遠時間に依拠したので、それまたちょっと待ったって言っただけだから、現代は単純よ。@inja650rr
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posted at 19:58:51
2016年05月24日(火)
中嶋さんとのチャット bit.ly/1YT7ZM8 ではないが、フランス人はドイツ人以上に回りくどいが、それでもこうした総括を語るメルロ=ポンティ-の語りの仕方は比較的端的だ。ハイデガーより総括的なほどだ。 pic.twitter.com/CKrEUR8YWT
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posted at 08:27:00
ちなみに続・ハイデガー読本のカント書論のように、時間とは判断力批判にある崇高、直感的総括であるならば、永遠を意識と捉えるのか、ある刹那の臨在(儚さのようなもの)を永遠と捉えるか、という2つの立場が仲良く対話をしているだけなので、事態はそれほど錯綜はしていない。それどころか単純だ。
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posted at 07:37:39
なお、今の要約のメイキングは、このチャットログ。bit.ly/1YT7ZM8 サルトルはハイデガーの構想力=時間を理解できずマルクス主義に意識の永遠を探してしまうが、ポンティは綜合によって永遠に無時間化することから、主体や意識を時間に取り戻そうとする。
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posted at 07:29:57
続・ハイデガー読本、サルトルとメルロ=ポンティ-。サルトルがハイデガーに挫折するのは、存在了解がデカルト的な意識というフッサール的な拘りを捨てているからだが、ハイデガーが通過してしまった身体性を、ポンティーがその拘りによって受け止める。そういうピンポンが小気味よく纏められた一編。
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posted at 07:29:38
2016年05月23日(月)
無時間=無限時間に対する時間(いわば有時間ないしは有限時間)は非歴史性であるという問題を、無問題=歴史化する懐疑的方法は存するか?というのが、言葉遊びにならないのが、ひも理論のような現代物理学というのも興味深いのだが、哲学的問いの方が遥かに深刻なのだろう。
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posted at 06:32:11
ひも理論ではないが、我思うという極点を措定してしまうと無という無限、つまり深淵と矛盾律となってしまうのだから、点の延長ではなく、時間という幅だとすれば有限や有、あるいは考える我(超越論的自我)を先措定できるが、今度は、時間(基礎存在論)=非歴史的となるということ。
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posted at 06:23:38
2016年05月22日(日)
先日ヒュームのカテゴリー誤謬と超越論的構想力の話がでた twitter.com/sunamajiri/sta... が、解説で近藤功が同じ示唆をしている。デカルトに対してカテゴリー誤謬しているのは、ヒュームなのかカントなのかハイデガーなのか。 pic.twitter.com/9l23SROxY5
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posted at 09:21:49
転回とは端的に非歴史的な現存在の時間=基礎存在論から、科学を歴史的に見るような歴史への転回のことだ、というのは理想社版の訳者解説が分かりやすい。つまり、図式的に自我より時間が根源になるのは、歴史を度外視しているということなのだ。 pic.twitter.com/7iTPd9AgU1
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posted at 08:38:12
ハイデガー読本の要約が分かりやすい。「コギトが主観にないものの言明を矛盾律とするが、カントの革命は矛盾律に代わる原則」を見立てたという要約。それをハイデガーが「図式論の成就としての原則論」(カッシーラ)としたのが転回だろう。 pic.twitter.com/NZbLUeDkjU
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posted at 08:32:32
たとえば、木田元的には、基礎存在論はカントの被制作性暴露だが、それだけではニーチェの被制作性暴露に転回できないということと、基礎存在論は自我に対する時間の図式的根源性を問題にするが、それだけでは西欧形而上学の被制作性暴露に達しないということは、同じことなんだろうね。
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posted at 08:21:32
カント書の図式論(自我より時間が根源的だ)は存在と時間(基礎存在論)のままで、原則論に達しない、という『物への問い』。訳者解説では、自我より時間こそ図式の規定根源だ、というだけでは転回が起こらない、というのが要約されていた。bit.ly/1TlqvhI
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posted at 08:20:02