大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年05月02日(月)
ラッセルがハイデガーのようなものを馬鹿にしたと誤解するのが英米系の心の拠り所になったのかもしれないが、ハイデガーは哲学的思弁の論理性が、現代科学の足許にも及ばないことを、いわばメタ思弁したわけだから、まさに同趣旨というだけなのだ。twitter.com/History_of_WP/...
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posted at 19:13:25
もっとも重要なのは、ラッセルよりアインシュタインが時間性を記述したように、ラッセルよりハイデガーのほうが、時間性を記述したことなのだ。そのことに躓くと、英米系と言っていただけにすぎない。時間性をカテゴリー誤謬するようなことから、今の私たちは自由なのだから。
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posted at 19:17:26
脇道それるが、この前、秋元康の新曲が、アインシュタインなんかいらない、女の子は馬鹿でいい、という歌詞だと批判されていたが、確かにアインシュタインではなくハイデガーで良いのだ。そしてハイデガーなんか読まなくても誰でもハイデガーなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 19:23:33
ラッセル的な説明書きより、ハイデガー的な説明書きの方が野暮ったくレトリックに見えるので、つい英米系に憧れるのだが、英米系に憧れるという戦後日本人の心情というのは、結局、馬鹿になれないということなのだから困ったものだ。
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posted at 19:25:13
エンジニアリング畑だと大半はニュートンですよ。コンピューターシミュレーションなんか時間一定空間固定ですし。 RT @sunamajiri …秋元康の新曲が、アインシュタインなんかいらない、女の子は馬鹿でいい、という歌詞だと批判されていたが…
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posted at 19:29:01
さて、ご飯行きついでに人文系新刊がけっこう入荷する書店によってこよう。アマゾンだと翌日なので。2つ買いたいものがある。一つは続・ハイデガー読本、そしてもう一つはカント厨も永井もディスる中島義道の博論の文庫新刊「カントの時間論」www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%8...
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posted at 19:30:02
だからそこで人文系が必須教科だったみたいよ。ニュートンの永遠時間から自由になる方法は、工学系では脆弱らしいので。@Hachi_Astroboy エンジニアリング畑だと大半はニュートンですよ。コンピューターシミュレーションなんか時間一定空間固定ですし。
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posted at 19:32:16
ちなみに、私の哲学(学?)的な最近の関心は、永井氏のような転校生(入れ替わりSF)が、パースペクティブとしての存在論なのか、それはハイデガーの存在論の亜流や変形であるよりは挫折なのか?という点なのだが。www.amazon.co.jp/review/R3B0HYG...
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posted at 19:41:35
最近、私が哲学(学)ということで問題意識を持っていることを端的に言うと、この永井均がとりかへばや(性転換)こそ輪廻という仮象に打ち勝つ真の哲学現象だという主張が、なぜ欧米では不要なのか、という観点なのだけどね。そこを見ているのだ。@Hachi_Astroboy
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posted at 22:03:57
2016年05月03日(火)
木田元、図式的=分かりやすい。《超越》という哲学語を、人間から超出することのように混乱して使う人たちに対して、ハイデガーだけが動物から抜け出すことだよと教えたのに、サルトルが大混乱したとか。冒頭の次頁だが。 pic.twitter.com/eA41NBc1Ik
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posted at 06:33:26
過去や未来を現在にとっての他者というように苦労するのは、ハイデガーのようにフッサールを批判して、時間を地平とできていない点というだけで、大した問題ではない。そんなことに哲学の労苦はない、取り越し苦労というやつ。@LitoSnowfield
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posted at 07:20:27
うまいね。ハイデガーだとそれを地平というのだ。木田元がうまいこといっていたよ。可能性は脱自的地平だからこそ、期待という人間的な未来があると。根拠とはそうした可能性=地平のこと。@LitoSnowfield ある枠を設定してその枠内ならば成立でき得る
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posted at 07:25:26
GA26-269、脱自的地平、ないしは地平とは脱自態だ、というフッサール時間論批判の重要箇所で、木田元の訳文は、(全集版の訳文と比べても)、こんなに図式的で分かりやすい。bit.ly/1Z4GCyA
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posted at 07:38:37
そうそう、時間とは脱自=地平なのに、他者だといってしまう。ちょうどこの言い方がリトさんが言い当てたとこ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield pic.twitter.com/0wO50HBG50
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posted at 07:40:59
2016年05月04日(水)
そうした問答(主導的問い)が、木田元だとこの問いですね。タカ基地さんと、輪読するために準備していたんですが。テクスト的にはGA24の21節解釈。bit.ly/1T18lBS @J_J_Kant @estei_st
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posted at 21:41:00
そうそう。木田元文中の「別の存在了解」が傍証されるGA31-116と貼っておきますが、要するに、旧来の学的企投ではない学的企投があり、それが主導的問い(全体と根源の統一の問い)だ、ということです。@estei_st pic.twitter.com/IImfxkBdkm
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posted at 22:45:55
2016年05月05日(木)
タカ基地さん、ここやりましょうね。GA24の第21節のテンポラリテートとプレゼンツにおける、別の存在了解=別の学的企投の可能性の問い。そっちの方がカントが言うようにレアールだという。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 00:50:00
アインシュタインが形而上学というわけよね。ハイデガーではあれば、存在者とは何何である(存在者としての存在者)では、存在が無であり、存在者とは何かの答えは、存在(有)でなければならない、という存在論的差異をいうのだが、同じこと。twitter.com/pitimuxicele/s...
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posted at 20:12:36
存在者とは水である(存在者としての存在者)に対して、存在者とは存在である。これによって、存在者とは存在であり、存在とは時間であり、時間とは脱自態であり、という主導的問い=別の存在了解=レアールな学的企投が起る、と言いたいのだろう。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 20:16:27
しかし、問題なのは、現存在とは存在であると同時に存在者である点だ。現存在を《存在者としての存在者》として捉えられない時に、(彼は)存在者を《存在者としての存在者》として捉えておらず、彼は無限遡行してしまう。つまりその現存在は存在していない、非現存在である。
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posted at 20:23:43
ハイデガーは、こうした図式性にアリストテレス以来初めてカントが接近したが、仕上げなかったと非難する。「図式機能とは、純粋悟性概念(カテゴリー)が感性の形式である時間を限定する際に、超越論的構想力(想像力)の産物である図式が両者を媒介するその働きのことである」(木田元)。
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posted at 20:31:30
そして、図式性からの退却は、カントがデカルトの思惟する自我に対する考える自我(超越論的自我)を、デカルトに倣って被造物と絶対措定し、先措定を失った定立を来したことにあるという。縮約すると、被造物と措定しなければ、こうした図式性からの退却が起こらない。
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posted at 20:36:53
2016年05月06日(金)
2016年05月07日(土)
経済が生み出したものは個人主義どころか単なる孤独だろう。なぜそれほど、その自由な往還が途絶えたのだろう。あれほどニーチェのショーペンハウアーからの転向を、ハイデガーが見事にプラトニズムからの脱却として描いてみせたのに、現代の日本は孤独主義ばかりだ。自由はどこにいったんだろう?
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posted at 05:23:28
esteiさんが綺麗にまとめた bit.ly/1SVxXL8 も、はやり木田元を再読すると、ショーペンハウアー的な意志(無方向な生命衝動)から、ニーチェが脱却するも、アリストテレス形而上学を十分に書き換えられなかった、というハイデガー的主題であるらしい。
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posted at 14:07:33
ショーペンハウアーは意志といい根拠律といい、物書きに勘違いさせる余計なことをいうのだが(今日でいうセンセーショナリズムのようなもの)、結局、自然という万国共通語に備わる二義性、人為に対する自然と、人為も何も自然に生まれてしまう自然性の内、後者を取り逃がしているのだ。
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posted at 14:13:32
2016年05月09日(月)
「がある」(事実存在)ではなく、「である」(本質存在)の優位が、プラトン以後に起こった西欧文明の異質さだ、というのがハイデガーが徹底させる哲学批判なのだが、独仏語より洗練した英語でも事実存在は「there is」というしかない。それに対して日本語の語感がどんなに優れていることか。
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posted at 02:09:12
自然は萌え出る事実存在として一者なのであり、超自然的な神が自然を材料に本質存在を制作するのではない。この萌えるということ。ハイデガーによる西欧批判・哲学批判が、この萌えという一点に収斂されていくというのは、ハイデガー解説者としての木田元の天才的な日本語的な感性かも知れない。
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posted at 02:11:37
というか、ハイデガーにそれがあるんだけどね。トヘン=自然を一纏めにすると、自然の外部、超自然という視点を生んでしまうが、そうした被制作性を解体しようとしているわけだから。ただそうした「がある」というのは、日本語の語感では「自然だ」というのが木田元の指摘。@pucatavaco
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posted at 04:54:48
木田元ハイデガーは、こっちのスレへ。twitter.com/sunamajiri/sta... @estei twitter.com/estei_st/statu...
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posted at 05:01:12
ところで、木田元的な図式性(被制作性かどうか)で明らかにならないのが、このesteiさんの疑問 bit.ly/1s5OyFK
でしょうかね。ハイデガーが事実存在に対する本質存在の問(存在者とは何か)から被制作性が生まれた、というのですから。@estei
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posted at 06:13:17