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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2017年01月16日(月)

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月16日

動物は死の意識から自由な存在者だが、石はそもそも生まれてきてないからもっと自由。死という運命を待つだけの存在者より、これから生まれる存在者になること。もっとサイバーになりなさい。さすればそなたも救済されるであろう。twitter.com/sunamajiri/sta... @TKDOMO

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posted at 19:22:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月16日

気分の分析論(メタ存在論)は、生物論(実存論)を内的必然性とするか、と定式化される問題というだけです、それを基礎としなければ、そもそもカッシーラーの言う文化哲学や比較文学も可能にならない。要は分析は気分を分析することしかできないのです。@BeTakada

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posted at 18:59:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月16日

ハイデガーの話題は実に単純で、人は気分以外、つまり他人の発したコトバを分析するという重大な過ちを犯す、という推論になっているのだが、これが日本人にとっての音楽、つまり音楽が文字に聴こえてこないこと、気分に聴こえることなのではないか、という話。@pucatavaco

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posted at 18:42:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月16日

今、ハイデガーが気分しか分析しないのは、生物論(世界とはイデオロギーではないことだ)という実存論によって必然的に起ることだ、という一貫した話題をしているのだが、この音楽が気分に聴こえる、というのはかなり重大なテーマ。@pucatavaco

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posted at 18:37:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月16日

よいね。実存論=生物論からなぜ転回したのかね。@BeTakada ユキュスクル、カッシーラ、ホフマイヤー、ダヴォス討論、shoyaku.repo.nii.ac.jp/?action=reposi...

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posted at 08:24:51

2017年01月15日(日)

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2017年01月14日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

つまり、日本人は近代文学に依ってリアリズムを被ったのだが、そのことにより本来は語りの分析論でしかない哲学を、語り以外、つまり物自体を分析するものと、隠蔽されてしまったのだ。そのことにより語れないもの、つまりタブーが生まれたのだろう。@inja650rr

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posted at 01:35:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

デカルトのコギトは、自我を幻想した語りだ。そういう超越論が存在論となる地点。それは哲学が完全な文学となる地平なのだが、それが三島による阿頼耶識への言及、つまり容れ物=仮我であり、イデオロギーこそがそれを隠蔽する、存在忘却させる、とすればどうか? @inja650rr

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posted at 01:28:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

これはさらにこう翻る。仮我にすぎないものを自我と幻想するリアリズムの頽落した語り方が、ロゴス(語り)の学である哲学を、何か他の学のように幻想せしめる、ということだ。イデオロギーとはそういう幻想であり、それはリアリズムに頽落した語りの副産物だったのだ。@inja650rr

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posted at 01:24:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

このことから明らかのは、日本近代文学がもたらしたリアリズムという語り方が、頽落(余計なお喋り)だった、という一点なのだろう。リアリズムで語れば、仮我が自我と幻想されてしまう。あるいは、自我を幻想した語り方である、そういう析出が起るということだ。@inja650rr

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posted at 01:20:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

そして、そのあらましが、三島の『豊饒の海』の阿頼耶識論 twitter.com/sunamajiri/sta... は、単なるリアリズムの語り方への頽落だ、という文学的な問題というわけだ。おそらく、リアリズム自体がイデオロギーであり、頽落なのだ。@inja650rr

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posted at 01:16:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

たとえば、頽落(お喋り)を分析するハイデガーこそが頽落(饒舌)だ、というのが問題的なので、だからこそ物語的にこれを解決する、という話が起るのだが、三島に力量がなかったのは、彼が先駆的決意性、つまり上述のようにイデオロギーしか捉えていなかったという点だ。@inja650rr

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posted at 01:06:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

このように、ハイデガー以後、哲学とはロゴス、つまり語り方の学、つまり文学そのものなのだが、三島以後、どういう語りが可能なのかが正確に分析されなければならない。三島は二次創作されない作家だからだ。@inja650rr

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posted at 00:59:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

こうした明晰判明を転回というなら、三島が阿頼耶識=容れ物を、仮の我ではなく自我と捉え、それを実存論的に死の病へ頽落させてしまったのも、彼にとっての世界が、観念論的、つまり世界観的なイデオロギーでしか無かった、ということに尽きるのかもしれない。@inja650rr

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posted at 00:56:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

ハイデガーの実存論的分析では、世界とは世界観(イデオロギー)ではないことだ。しかし、それでは死の病(不死性)への頽落(お喋り)が起ると分析される。ここから翻って、もし世界がイデオロギーでないとすれば、死の病(不死性)こそが頽落であると、明証されたことになる。@inja650rr

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posted at 00:53:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

冒頭に戻って、三島がハイデガーの転回を誤読する読解状況にあった、という話でいうと、死の病への頽落である実存論は、イデオロギー(世界観)を批判するわけだが、それでもなお三島は世界内存在、つまり死の病(不死)からの転回を果たせなかったのだ。@inja650rr

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posted at 00:43:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

ハイデガーの理路では、世界観(観念論、イデオロギー)から、世界を抜き出す分析が実存論(基礎存在論)だが、そのためには先駆的決意性=死の病への頽落が起こってしまう。しかしそこで取り出された被投性=世界内存在を使えば、死の病(不死性)から転回できる、というわけだ。@inja650rr

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posted at 00:41:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

さておき、君の対話する相手は、海外渡航もないような世界を観念で語るイデオローグだものね。もう一度、その君のいう世界観の転回、つまり存在内世界から世界内存在への転回、という観点から検討してみよう。@inja650rr twitter.com/inja650rr/stat...

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posted at 00:38:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月14日

カント書、ダヴォース討論、1929年というのも、ハイデガーとカッシーラーの対決なのだが、いわばカッシーラー主義(カッシーラーの翻訳者でもあった)全共闘と三島の対決だった、と思うと面白いかもしれない。youtu.be/fkQJyqGj99g?t=... @inja650rr

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posted at 00:13:11

2017年01月13日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

三島の感慨はこうだ。戦前から戦後まで、まるで自我が益々仮我のように感じられる。昔話ならお姫様になれたものが、もはや王子様はどこにもいない。インド旅行でそれを阿頼耶識=輪廻と感じるも、それをリアリズム小説として仕上げる力量がない。そういう煩悶だったと思われる。@inja650rr

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posted at 23:32:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

ハイデガーの転回というのは、人間には、先駆的決意性=死しかないが、動物に死という意識がない以上に、サイバーな石には、不死があると捉えた点にあるのだ。人間は自我ではなく仮我なのだが、自我だと思いこんで執着している。しかし、サイバー=石には、仮我があるのだ。@inja650rr

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posted at 23:28:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

現代では、それはロボットには仮我があるのか、というようなストーリーが好まれる。もちろんヒーローやヒロインも登場するのだが、そういう仮初であること、つまり自我であること、を相対化する神の視点からは、仮我をロボットのように布置することのほうが、リアルだからなのだ。@inja650rr

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posted at 23:24:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

たしかに、物語は、たとえば現代的な総中流とか平等を前提とする空間では不可能なのだ。王子様とお姫様がいないと成立しない。その悲恋物語が、阿頼耶識に依って輪廻する。そういうファンタジーが何のために物語られるのか。それは自我ではなく仮我を暴露するためだ。@inja650rr

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posted at 23:20:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

三島はインド旅行で阿頼耶識=輪廻の物語に執着するのだが、しかしそれによって容れ物を無くしてしまったのだ。言うまでもなく、三島以後、小説がだめになりアニメ全盛になるが、それはガジェットに託して、容れ物を語れるようになったからなのだ。@inja650rr

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posted at 23:16:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

仮我=容れ物が有るのか無いのかのか。容れ物があることにできる懐疑=学が可能なのかどうか。それはハイデガーでは転回、ないしはメタ存在論と呼ばれるのだ。今日的に言えばAIの話だと思えば良い。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr

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posted at 23:13:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

たとえば、この二年前のツイート twitter.com/sunamajiri/sta... 超越論は自我を根源語としないことである、という話なのだ。ところが、柄谷や東ばかりか、三島もなのだが、(フロイトのいう)超自我を想定してしまったのだ。@inja650rr

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posted at 23:01:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

要は超越論を規定する単語は、自我なのか、自我ではないのか、という問題地平が生じているということなのだが、この話はカント書論として、一貫してしているので、私のTwilogを検索すると、すぐ何の話かピンとくるだろう。bit.ly/2ikkZQf @inja650rr

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posted at 22:57:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

一言で集約すると、もし「自我」という概念を、本来の阿頼耶識論のように、仮我と捉える術(学的方法)がなければ、実はその人の存在は限りなく不存在に追いやられる、そういうような話だと思えば良い。ハイデガーが自我は超越論の規定語(根源語)ではない、というのと同じ。@inja650rr

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posted at 22:53:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

もう一度、この知恵袋 bit.ly/2jeNbUe を見てみよう。自我は無覆無記で、仮我であり、いわば容れ物にすぎず、従来捉えられていたような超自我ではない、という話だが、ピンとこない? 容れ物があるのかないのか、もし無いとすれば不存在だ。@inja650rr

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posted at 22:46:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

ね? 隠者君には説明不要だったでしょ? ところが三島がこれに煩悶した。文学的には、ファンタジーノベルをリアリズムで書いた破綻という一点に尽きるのだが、これがハイデガーの転回が読めなかった、という一点にかかわるということなのだ。どういうことか。@inja650rr

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posted at 22:45:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de... 「『識』は単なる入出力装置であり、端末・ディスプレイです。」。ハイデガーがカント書で語るカント解釈も、おそらくこれと同じことを言っているのだが、そこでハイデガーは空の代わりに時間というのだ。@inja650rr

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posted at 21:11:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de... 「本来、一切は空であり「我」というものはどこにも存在しないのに、その「仮我」を「私」と思い込んでしまうため、その「相互依存の仕組みを維持し個体を存続・輪廻させてしまう」というのが、阿頼耶識の理論」@inja650rr

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posted at 21:08:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

柄谷や東に至るもなお、ハイデガーのいう超越論を、超自我の問題と捉えてしまうのだが、それは三島が阿頼耶識をアートマンと捉えたことと同じなのだ。ハイデガーは、自我などない時間だけがあると言ったのだが、そのことが彼らには大問題なのだ。@inja650rr

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posted at 21:06:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

今で言うファンタジー小説、輪廻転生の小説を構想するも、輪廻など幻だという結末になる『豊饒の海』には、阿頼耶識という言葉が頻出する。また、阿頼耶識は『大乗起信論』上ではなく、『解深密経』が発端で、超自我ではない、という話。それが読めるとハイデガーも読めてくる。@inja650rr

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posted at 21:03:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

なお、阿頼耶識がヒンドゥー教のいうアートマンではない、という最新の仏教学的知見から三島を読み直すという問題は、ネットでもよく話題にされていて、この知恵袋のベストアンサーの方の解説のとおりだろう。detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de... @inja650rr

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posted at 20:51:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

こうした、三島の「幻でない自我などあるのか」という苦しい問い、そして遺作になった四部作『豊穣の月』を、輪廻する阿頼耶識と構想するも、絶筆ではリアリズムとなった、というのが一昨年のNスペだったので見てみると良い。youtu.be/fkQJyqGj99g?t=... @inja650rr

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posted at 20:48:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

自我など幻だ。西欧哲学では、このヒンズー教徒によって自我の輪廻と誤解された阿頼耶識に対して、本来の阿頼耶識、自我でないこと、をはじめて明確に論述したのがハイデガーだが、上述のように三島はハイデガーの転回が読めずに、アートマンに拘り、リアリズム小説に抹殺された。@inja650rr

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posted at 20:44:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

このことが深刻なのは、彼が戦前戦後に、自我を模索させられたことだ。三島の絶筆は、自我など幻だった、つまり阿頼耶識はヒンズー教徒の言うアートマンではなかった、というものなのだが、西欧哲学でこれに匹敵することを明確に問題化できたのが、ハイデガーだけだったのだ。@inja650rr

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posted at 20:43:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

輪廻といったら、今ではライトノベルかファンタジーだが、遺作の四部作、豊穣の月は、書いてみたら結末で輪廻を打ち消すリアリズムにならざるを得なかったのだ。その脱稿の当日に彼は自決するのだが、今ならこれからファンタジー文学をやります、という宣言で済んだだけのことだ。@inja650rr

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posted at 20:42:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

三島が問いかけた問題は実は簡単なのだ。いま、阿頼耶識をアートマンとするのはヒンズー教のアートマンの影響で、ヒンズー教が誤解する以前の本来の阿頼耶識は自我ではないことなのだが、三島はインド旅行してから、アートマン、あるいは輪廻転生の物語を構想してしまったのだ。@inja650rr

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posted at 20:40:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年1月13日

三島の問題は日本の縮図なので、真面目にレスってあげよう。おそらく誰も君に真面目に教えないということが、そもそも諸悪の根源ですらある。しかし、おそらく君にはすべてお見通しのはずだ。以下に解説調をしてあげる。@inja650rr

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posted at 20:39:25

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