大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2018年05月29日(火)
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2018年05月28日(月)
どうしても日本人は鎖国とか独我論とか、閉じ籠もりに罪悪感を持ち、ツイッターだけで発言するツイ廃なんて、と思いがちなのだが、トランプなんてツイ廃の真骨頂だろう。そう思えないのは、なにか歯に衣着せたい蟠りがあり、裏でコソコソと探っているだけで、探求などというものは端から何も生まない。
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posted at 11:13:19
ではそれだけツイッターなんて無意味なのかという発問の方が重要なのだが、みてみなさい、トランプなんてツイッターでしか発言しないほどだ。根回しをしたり、欺瞞に陥ったりする人には、たしかにツイッターは風当たりが強いが、そんなことお構いなしという向きには、ツイッターだけで十分なのだ。
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posted at 11:06:43
ところで話をずらすと、先日リトさんが大阪を訪れたら、neaさんが大本さんは偉い有名先生とガチで喧嘩して黙らせると、恐れおののいていたらしい。たしかに私が一言発すると、図に乗っていた有名所の垢が直後からBOT化して無力化してしまうのをこれまで何度も見たが、私が嫌いなのは欺瞞というだけだ。
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posted at 11:04:36
如何に(=方法的に)、宗教(来世原理)に無化される奴隷に甘んじることなく、そうした主観性原理(実存でも唯識でも何でもいいが)から脱出・突出して、有を本質現成せしめるか、ということだけが言葉遊びを免れた哲学だ、というタカ基地さんのスタンスは一貫しているだろう。
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posted at 10:55:12
こうした物理学ではポピュラーサイエンスになった、真空のエネルギーとかインフレーション理論というのは、時空の所与性=主観性原理を、少しでも狭めるためのもで、ここに疎いと、すべて無化され宗教になってしまう。それが哲学だけポピュラリティーを失墜させる哲学の危機だ、というわけだ。
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posted at 10:33:21
ここで、タカ基地さんの最近の語り口を紹介すると、「我々の様にハイデガーの哲学をやっている人間にとっては、寧ろ真空を知る事の方が遥かに重要に思えるからです。」 つまり発問されるべきは絶対無であるより絶対空=有なのだ、ということなのだが、これは当然のことながら言葉遊びではない。
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posted at 10:30:46
当然、タカ基地さんも「私にはどうしても絶対空間と絶対時間のままにしておきたい人達がいるのだろうなとしか思えないのですが。」という感想を言ってくるのだが、それほど宗教(存在を無化する主観性原理)というのは頑ななのだ。しかし我々はそんなものには与しない。
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posted at 10:28:54
たとえば、こんなアマゾンレビューを昨晩たまたま目にした。日本では方言話者は、しおらしく標準語を使うのだが、なぜか関西人だけが、非関西人がいると意識的に、関西弁が濃くなり図に乗るらしいが、関西弁なら絶対時空をも生起できると言わんばかりだ。宗教の構造だ。amzn.to/2sh2JcH
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posted at 10:26:34
当たり前なんだが、無の虚実で捉える絶対時空(所与時空)では有が生起しない、つまり無になってしまうのだ(主観性原理)。これを引き起こさず有であること(存在原理)を模索するには、虚実は空の軸でしか捉えられないという話題だ。存在原理から置き去りにされた主観性原理は哲学というより宗教だ。
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posted at 10:23:03
そのタカ基地さんとは最近、虚無に対する絶対無ではなく、虚空(偽空)に対する真空という話になる。つまり如何に絶対時空という宗教=主観性原理を作動させずに時空を齎すかは、無の真偽であるより、真空のエネルギーによる、という存在原理への書き直しの話だ。 pic.twitter.com/EmntEsSJpR
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posted at 10:21:06
先日、日下部先生のお弟子さんからFBリクをいただいた。なにやら日下部先生が私の話題をよくされているそうだ。あれだけタカ基地さんの日下部批判の聞き役をやったのだから、まあそうなるか。批判というのは肯定のことだが。つまり主観性原理から存在原理へ届かんとする挙措だが。 pic.twitter.com/AO9Ypri6L2
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posted at 10:14:18
2018年05月18日(金)
@mentalannintofu 対象論理では死ぬぞ、というのを教えるのが哲学なら、ハイデガーがやらかしたそれは、あまりに瞬速で端的・単純すぎて、凡人には目にも止まらないからね。対象論理というのは端的に現世利益を諦めて来世利益を求めよという宗教だが、NHKもやばいね。死にたがるのはクソジジイだけにしとけ。
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posted at 12:19:12
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@mentalannintofu 永井も哲学病ね。ソクラテス以来、現世より死刑になっても死後のほうがよい、という魂輪廻=主観性原理が、本来の哲学である存在原理を隠蔽した、というのがハイデガー以後の哲学なのにね。昨晩のEテレ番組のHP www4.nhk.or.jp/tetsugaku-soud... にも、クソジジイがいた。 pic.twitter.com/4izmIhJuGq
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posted at 12:05:51
2018年03月20日(火)
@BeTakada その点でも bit.ly/2FU7Sgo はよく描けてますね。対立しているのは(概念の)拡張路線で論文を量産する物理学と、(絶対時空や多次元のような背景の)緊縮路線で量産効果のない哲学で、経験と非経験という対立があるわけでもないのに、今俗っぽいことを言う人は、そこが未整理なだけという。
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posted at 19:46:38
2018年03月11日(日)
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2018年03月08日(木)
2018年02月22日(木)
坂の下のファミレスで5時まで焼肉ランチしてたら、韓国人団体がきて、あっと言う間に帰った。今日韓国からきて観光途中の予約らしい。あんにょんうさぴょんはむにしかー、って喋りかけたかったのに(^-^)/ pic.twitter.com/lNPyUGPIRn
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posted at 18:02:22
アポリアとは非本来性のことだ。そこからは存在が見えていない。存在は思考がどうであれ、つねに存在するものだ。いや、思考を生み出すものが存在である。量子は時間どころか因果律に制約されていない。つまり非決定なのだが、その非決定が決定を生み出すのだ。これである。
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posted at 13:47:17
実存無き戯言は実在論、つまりアポリアに頽落する。こうして非本来的対立項を、綺麗さっぱり全て除去したハイデガーの最後の哲学は、量子論としてのみ存在了解できる、とタカ基地さんは言うのだ。しかしあまたの哲学者は、量子論ではなくアポリアに頽落する。タカ基地さんが激怒するわけである。
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posted at 13:41:47
これなら、虚物の措定自体を排除して、世界内で思考が生まれ、世界観は不要になり、世界の中で没頭できるようになる。こういう思考を、非本来の対立項は生み出すことができず、それが虚物である。
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posted at 13:27:21
本来的な思考を生み出す対立項は、唯物論か唯心論かという辺りにはない。それはタカ基地さんに言わせれば、量子論以前の世界観に過ぎない。それに対して世界はどうなっているのか? 世界内で思考を生み出す対立項とは、実在論に対する存在論、人間学に対する存在の問い、という按配だ。これなら~
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posted at 13:24:57
これは実に簡単なことで、たしかに思考は対立項から生まれるのだが、非本来の思考は、つい唯物論か唯心論か、という虚物の措定の話題に頽落してしまう。つまりそれらは本来の対立項ではないのだから、そこから生まれた思考は全て偽物、あるいは虚物ですらあることになるというだけだ。
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posted at 13:23:20
これに目から鱗が落ちたら、もはや思い悩むこともない。昔の非本来の哲学者は、やれ唯物論だ唯心論だという拠点で思考していた。しかし存在の方はどうか。量子論を見ればわかるようにアポリアとか因果律など知ったことか、とそこに君臨しているのだ。これで哲学が非本来性から救済されたというわけだ。
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posted at 13:18:09
かつての哲学者なら、実在論と観念論とか唯物論と唯心論とか、確実性だけで捉える二項対立を止揚しようとしていたわけだが、その何方でもあるということ。そうした同時性を単純に【存在】とする量子論モデルこそ、ハイデガーが至った最後の哲学だと言っているのだから、もはや何も否定できないのだ。
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posted at 01:01:52
ちなみに、ここで取り沙汰されたタカ基地さんの思考法は、あまりに当然過ぎることなのに、実は極めて画期的なのだ。これが理解できないようでは、今日では潜りだ。それは、因果律=決定論とは異なる量子力学の時代には、アポリアがないということなのだ。たとえば~
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posted at 00:53:20
2018年02月21日(水)
哲学が当為を遅延させる脆弱性となると、たしかに政治や宗教が当為を語り出してしまう。書簡体の二人称の疑問文のように、確実性と他者承認の主観性原理に依存してしまうなら、哲学のない宗教や政治による当為しか残らない。そういうタカ基地さんの叫びが、ハイデガーのそれと重なったのであった。
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posted at 15:02:11
私「いいですね、ワクワクしてきます。宗教と政治は、たしかにそうですね。勿論、両者とも哲学ではないからそれらなのだが、あの野放図さに対する牽制する威力を失った哲学には魅力がないですよね、まったく。彼らを黙らせられないものか」
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posted at 14:55:34
私「そうした当為を語ることを憚れるというのなら、手続き的にはまず疑問文で語ってみれば?」
タカ基地「疑問形で語ることは基本だと思います。しかし、宗教や政治が当為的で実定的な手法で思想を抑え込もうとしてくる場合は、そうも言っていられないかも知れませんが。」
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posted at 14:54:34
私は、ハイデガーは、カントが語りに自覚的でないがために、長々と当為に至る脆弱性を来したが、ハイデガーはそれに自覚的な語りの哲学であってみれば、その脆弱性は全て塞ぎきったので、タカ基地さんの疑問文は当為に書き換えるべきだ、と結論したという次第だ。以下タカ基地さんを少し代弁する。
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posted at 14:47:32
タカ基地さんは、カント晩年の脳論のエーテルが、虚物ではなく量子の概念化だ、というのだが、たしかにカントの批判期のいう先験では、単なる実在論であるイギリス経験主義の先でしかなく、超越論を存在論といい切れない脆弱性だ、とハイデガーなら怒り出すのだが、~
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posted at 14:32:15
それに対して私は、ハイデガーは、カントが自覚的ではなかった語りの哲学でもあるのだから、それを確実性に付して疑問文で提示してはならない、と主張していた。つまり、ハイデガーの存在論は、原子論に対する量子論なのか、というタカ基地さんの疑問文は、当為であると応酬していたことになる。
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posted at 14:20:32
これを受けタカ基地さんが、ハイデガーの存在論は、形而上学である因果律から、いわば自由であること=存在論という意味での量子論そのものであり、もはや唯物論哲学のような、虚物を措定的に排除するというやり方ではなく、虚物の措定自体が排除される存在論が語らていると力説していて興味深かった。
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posted at 14:17:43
村井則夫『自性態の四方域』 bit.ly/2ojFDjq では、近頃の思弁的な実在論を尻目に、ハイデガーの存在論を、基礎存在論では脱人間学の図式であり、非本来的形而上学の批判でしかないが、GA41原則論の裏本『寄与論考』では、形而上学である実在論から存在論へ超越した系譜が喝破されていた。
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posted at 14:11:44
先月の現代思想ハイデガー臨時増刊号で目を引いたのもその点だ。つまりハイデガーがアリストテレスから書き換えた主導的問いだが、収録された昨秋のシンポ翌日の鼎談では、ハイデガー自身は人間学を存在忘却と捉え、存在の問いを発しているのに、と辛うじて把捉されようとしており、さらには~
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posted at 13:58:21
さしあたって大まかに言えば、プラトン以来の【実在論】(存在忘却)は、デカルトの確実性やヘーゲルの弁証法など枚挙に暇がない(日下部なら主観性原理)。しかし、そうした「虚物」の措定は、個物である「私」の実存を説きさえすれば、実在論の拘泥から【存在論】に突破する。それなのにという叫び。
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posted at 13:51:27
最近、タカ基地さんとは、体系哲学の時代の書簡体のように、DMで盛り上がってしまう。その豊穣な語り口を全て再話することは不可能だが、それを削ぎ落としてもある一点で一致していた。それはハイデガーの叫びとでも呼ぶべき事態だ。体系性を全て払拭する叫びなのだから、もはや書簡体に意味はない。
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posted at 13:50:27