大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年06月04日(日)
アクィナスとか神学が最も肥大化したのがデカルトで、それを払拭したカントを面倒くさがると批判の矛先がわからなくなるよ、と親切丁寧にはじめて語ったのがハイデガーだったわけだが、世の中神学じゃあるまい、そんなこと当たり前じゃないか、と言っているうちに、訳がわからなくなったわけね。
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posted at 05:07:11
2017年05月30日(火)
TLに、はじめに循環ありきという人がいて、針の筵なのだが、(漠然と)思うだけの我あり、ゆえに循環ありね。思うだけでなく、ちゃんと時間を考えないと。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... twitter.com/kant1724_1804/... pic.twitter.com/RP5cYuTnHQ
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posted at 13:41:14
2017年05月24日(水)
@BeTakada 端的にオイディプス的な循環論、つまり言語の閉じた差異体系を全体と見做してしまうのは、形而上学が通俗的であり、それでは不可知でも何でもないということです。不可知であるのはあくまでも時間の非現前性の方であり、現前時間の方ではない。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 02:21:05
@BeTakada GA3の感性的理性の発問は bit.ly/2qdcy9k 。つまりカントが問うた不可知論は、自我にとっての無意識、言語の実念論的差異体系、オイディプス時間的な循環論なのか、それとも感性的理性=構想力=時間そのもののことなのか。
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posted at 02:18:13
@BeTakada 形而上学が白い神話になる以前から、超感覚のことだと教えたのは学校だったわけです。それを語っているのは、デリダが重視した動物論が第二部にある、GM「形而上学の根本諸概念」の第一部です。bit.ly/2rxasET
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posted at 01:41:41
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@BeTakada これですね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada 前にダヴォス討論の論文を引っ張って来ましたが、カントが撤退した「不可知なモノ」が感性的理性=構想力を示すものと見えて来た所です。
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2017年05月23日(火)
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2017年05月22日(月)
近代主体を批判してきたフーコーだが、ある意味で奇異に映るのは、近代性の創始者の一人であるカントにことのほか重要な位置を与え、極めて高く評価していることである。これが、ラカン派がフーコーを軽く扱う根拠ともなっている。なお、フーコーがカントに触れた論稿は『思考集成』に31本ある。
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posted at 04:02:54
私がハイデガーの話をするのも、話題に自ずと備わる方向性を見失うと、話題そのものが空中分解して、とんでもないことになるぞ、という哲学的解決をめぐってのことなのだ(たとえば、形而上学がとんでもないことになってしまったように)。これを実践させるには、たしかに記述式にするしかないだろう。
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posted at 03:20:35
2017年05月18日(木)
それにしても、なぜ科学が否定すると思い込むのだろう? 科学は寧ろ否定しないために派生したようなものなのに、それが理解できないという思考の貧困が問題になっているのにね。科学は否定しない、だから否定するのであって、否定に何も証左などないはずなのに。
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posted at 13:48:50
2017年05月17日(水)
@LitoSnowfield クラシックは、流れというか時間を生み出す作業ね。一音一音紡いで、重要な音はより時間を掛けて、と。ジャズはこの意識からは転回してるよね。クラシック=古典とジャズ=モダンの違いは、時間を無から生み出すのか、それこそハイデガーではないが、無から有は生まれないので、時間に乗るだけなのか。
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posted at 20:33:46
@yasuhirochiba 以前から私が話題にするのも、デカルトは確かにアリストテレス全集を読んでいたスコラ哲学に対して読まない自由を主張したが、その後、カントにしろもっとありがたいことを書いてしまった。今、それを読まないのは自由ではなく、反自由ですらあるというだけです。脱神学化したのに再神学化してしまう。
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posted at 02:29:03
2017年05月01日(月)
行為が現在の喪失としての決定論的な産物なのか、それとも現在の即興的産物であるためには、いかに決定論を切り抜け自由を得るかという話は、必ずしもダブルバインド、つまり迷える現在という時制の問題ではない。そうしたことが全て煮詰まった形で出てくるのがカントのスピノザ誤読の文脈なのだろう。
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posted at 14:46:02
現在を喪失してキョドってしまう人たち。身動きが取れず絶望してしまう人たち。そうした現在の喪失という事態を尻目に、人間よりも遥かに確実なミリセコンド単位の過去の意志で行為できる人工物が独壇場になるのはあたりまえだ。それを抑圧などと語らないこと。第一、抑圧を語るものは大抵奴隷だ。
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posted at 14:43:16
確かに、話題になったというだけあって岩波雑誌『思想』の特集『スピノザというトラウマ』、とくにカントがスピノザの必然性を誤読することで克服する自由の話は、現代ではAIと人間の自由の話であり、非常に実際的だ。
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posted at 14:27:45
はっきりいってしまえば、行為が過去の意志に依存し、現在にはいかなる帰責がないとしても、必ずしも現在を迷いだけの、つまりダブルバインドだけの時制とは言い切れない。より即興的な現在だってあるのだ。AIが行為をするには過去が必要だが、人間の行為に過去なんかいらない。
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posted at 14:24:58
話題としては、自由と決定論。つまり、人間の行為は、直前の過去の意志だが、その意志はすでに過去のものだから、行為に責任はない。だからAIは行為できる、という現代脳神経科学が、カントのスピノザ誤読にある、という話。
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posted at 14:22:24