大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年03月29日(水)
アプリオリって単純に、分かった上で喋ること、という話=綜合に対する先後系列のことで、それ以上でも以下でもないわけだからね〜。@LitoSnowfield 偶然に今朝に“分かる分かっていない”問題 (アプリオリ問題)を考えてむ〜む〜唸ってました(*^o^)>あはは
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posted at 22:25:57
だから、ハイデガーはカントの演繹論に、説明を見出すのだ。たとえば、カントは説明に不満足を表明しているだけだ、などという。要は、分かっていることを説明できないで不満だ、ということなのだ。いわゆる説明下手ということなのだが、それを分かっていない、とか認識不足と言ってはならない。
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posted at 13:18:44
人は、書きながら、何か認識を得ることはない。つまり言葉遊びは何も認識させない。そうした概念分析から超越すること。それを綜合というなら、綜合をアプリオリにしてしまうこと。つまり分かった上で述べること。そのことだけが問題だ。
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posted at 13:15:22
たとえば、ショーペンハウアーが、書物の仕方を俗っぽく分類して、予め分かった上で書くこと=説明と、書きながら分かろうとして挫折することを範疇化させたわけだが、一性=同一性=統覚とは、このように予め一貫した認識の上でなされる、説明の妙、鋭さのことなのだ。
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posted at 13:13:49
このようにブレない意識、つまり迷いから解放された意識が、モータリティーだということ。一という数字が実体の一性と、そうではないものとして概念化する際に生じる、不死性というものにとらわれない、そうした迷いのない意識。そのことが彼らには大問題なのだ。
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posted at 13:08:56
何も臆して動揺することのない意識、無限後退すら怖れない一貫した懐疑。これが一性、同一性、統覚、一つの意識だが、それに動揺すると一性は実体化してしまう。彼らが一貫して懐疑しているのは、たかだか有限なデカルトの霊魂概念、つまり実体としての意識なのだが、そこで臆してしまわないこと。
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posted at 13:05:16
ダヴォス討論の写真を見ていると、カッシーラーのほうが生意気に見えるのだが、こうしたハイデガーのぶれない意識、一貫性、統覚というものが、カッシーラーには甚だ生意気に見えたのだろう。www.amazon.co.jp/gp/product/067...
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posted at 13:01:12
これによって、一性の在り処が明確化される。デカルトでは霊魂概念は一性との差異性なのだろう。しかし一性、つまり一つの意識というのは、不可知論とは対照的に、予め一貫してぶれない意識のことだ。それが図式論によって可能になるというのは、おそらく正しい。
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posted at 12:58:49
カッシーラーとハイデガーの対立は、図式論をめぐるものだ。超越論的演繹は、超越論の内実は可能か、という演繹で、論理の内実としての実在である対象への超越、つまり客観はオブジェクトレベルの感性論(時間)ではなく、図式論(メタレベル)の時間による、というような話なのだろう。
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posted at 12:58:12
うちの周りにも、山本義隆のあの文体はへんてこだが、あれは嚥下できる。それに対して、ハイデガーの邦訳だけは、どうしても引っ掛かってしまって、日本語として読めないという、現代文講師がいたのよね。あれは一体何なんだ? つねにそれを解明しようとしているのだが。
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posted at 12:26:10
ハイデガーとカッシーラーのダヴォス討論が、なぜか日本では全共闘で駿台物理学文学の山本義隆と、その他大勢のチャチな論理実証主義的英米分析哲学のように、話題が頽落しているのが、非常に閉塞感ね。たかだか、一性(同一性)の内実=実在という演繹にすぎないものを、幻想しすぎ。
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posted at 12:25:56
駿台物理の山本義隆は読めるがハイデガーは読めないという人がいるのよね。amzn.to/2mOh6oS 「英米墺系の論理実証系の科学哲学がチャチに思えるほど。翻訳者が人文系の哲学の先生だとカッシーラーの思考と種類が違いすぎて、うまくいっていないような気がする」
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posted at 12:03:00
新装版なんかでるのね。改訳もあるの?(^-^)/ 実体概念と関数概念 【新装版】――認識批判の基本的諸問題の研究 エルンスト・カッシーラー (著), 山本 義隆 (翻訳) 2017/4/11発売www.amazon.co.jp/dp/4622086042/...
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posted at 11:56:44
2017年03月28日(火)
哲学は喩え話を駆使するのだ。たとえば時間と因果律を峻別するカントの図式論の喩えが、現実の100円と想像上の100円は、どちらも増減のない同じ数値だという按配なら、今度は想像から現実への飛躍が真価だ、というわけのわからない比喩が出回り、どこから喩え話なのかが、わからなくなる病気。
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posted at 01:09:53