大本薫 Kaoru Ohmoto
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- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2017年04月29日(土)
資本主義や貨幣を存在論すると、性感帯を生む運動、つまり反復運動に行き着くのは当然なのだ。前から一貫してツイートしているように、カント以後は、こうしたオナニズムしかない。それに風穴を開けたのがハイデガーであるとしてもだ。人はなかなか資本=性感帯の彼岸へは突破できない。
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posted at 03:02:59
性感帯の比喩である資本、つまり快感の彼岸である、終に先駆できない頽落というのは、日本では現実社会に蔓延した、生涯現役という反復強迫なのだろうが、たしかに反復運動が性感帯を発生させる以上、彼らはそれを止めないだろう。bit.ly/2oTyAgu
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posted at 02:42:49
2017年04月08日(土)
@BeTakada bit.ly/2oMDjEb は、www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%8... と www.amazon.co.jp/%E5%9F%B4%E8%B... です。廣松とハイデガーのカント論、読み比べてみて。
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posted at 16:12:14
@BeTakada そもそも、地平とは先保持(志向)なのか現(生起)なのか、という議論であるのに、なぜか日本人は、実在しているのか否かという話題と受け取って、私は不在なのか、と発問するのも、現である地平を先と受け取るからか。廣松渉はカント書ではなく物への問いの原則論を、どう読んだのかが気になる。 pic.twitter.com/upG3KvrEQu
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posted at 16:08:40
@BeTakada カント書と物への問いといえば、熊野純彦の埴谷雄高論の冒頭がさり気なく要約する、従来未公刊だった廣松渉の修論『カントの先験的演繹論』がカント書を、地平は先保持ではなく、地平形成自体だというのは、物への問い未読だから?と読み始めた。bit.ly/2oMDjEb pic.twitter.com/Av3uLevgb6
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posted at 16:03:03
だいたい、柄谷がカントは旅に全く出なかったが、旅に出たデカルト以上に、旅的だとかいうわけだが、さすがに旅に出ないタイプの人の話し方というのは、旅に持っていくには嵩張りすぎるから、常識的には却下なのだが、他の読み物では全く物足らないのだから仕方がない。
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posted at 00:33:01
2017年04月06日(木)
実在していないらしい。twitter.com/sunamajiri/sta... 存在感という意味ではないが、存在感も陽炎のようだ。存在感の希薄なものが、何かの拍子に世の中にデビューなんてストーリー、ガラパゴスな村社会でゲンナリなのよ、個人で楽しめばいいのに。 @LitoSnowfield
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posted at 18:14:49
@BeTakada なぜそれほど実在していないことにしたがるのか。何かを実在させられるとでも思っているのか。この前触れたように、熊野純彦が、埴谷雄高に見るのも、そうした日本的近代特有のカントの誤読の仕方なんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 18:04:36
@BeTakada タカ基地さん、またぞろこれ? bit.ly/2ocN2CI 実在するかしないか問題は、卵が先か鶏が先か問題より、質悪いのよ。なんで実在しないのよ? @BeTakada 似非知識人が蔓延している、気持ち悪いなぁ...
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posted at 17:43:01
2017年04月05日(水)
@BeTakada ここで仮象とは霊魂の非物質的実体性というカントが批判するデカルトの形而上学です。しかしこうした弁証論自体、一般形而上学=合理的心理学=デカルトの霊魂概念と、特殊形而上学=宇宙論と神学という旧来の枠組みで、ハイデガーなら問題にもしない。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 00:15:09
@BeTakada 日本人はイギリスを経由すると訳が分からなくなるらしいが、オックスフォードのストローソンのカント学も、カントの「私」の「非我々性」bit.ly/2n7sJHO を、カントの霊魂の誤謬推論から要請されてしまう。しかしハイデガーは、この手の話を要請されないのでしょう。
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posted at 00:03:07
2017年04月04日(火)
@BeTakada それは、デカルトの《思う我》では寧ろ以前からの《我々》のことで、それは「真理前提」でもなんでもいいが、時間を漠然と思うだけの我々なのです。だから、以前、漠然と思うだけの我=我々から、時間を厳密に思考する我=私、という話をしたのです。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 23:53:52
2017年04月03日(月)
ツイートまとめ(^-^)/ 近代的自我=霊魂を前近代と転倒し、「私は私なのか?」と問い続ける日本的近代特有の不死性=哲学的宿痾の話。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 01:28:26
めずらしく、カント読者がいらしたので、哲学的コメンタリー、デカルト的な霊魂に対することとしての批判、霊魂が時間ではなく、時間こそ霊魂だ、というハイデガーのアリストテレス~カント霊魂論の読解のご紹介でした。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 01:06:51
2017年04月01日(土)
@BeTakada 「不労所得者のくせに剰余価値で食べやがって」という単なるジェラシーを論理的と受け止めてしまうと、じつは端的に論理学的な矛盾だ、というのがハイデガーの時間論的論理学の告示した形式と言っても過言ではないと思います。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 00:04:35
@BeTakada 不労所得者は食うべからず、という第一次大戦前後の終末論は、間違った時間の形式だ、というハイデガーの形式的告示 twitter.com/sunamajiri/sta... 、つまり論理性というのも、不労所得者を排除しないんです。むしろ、問題は、投資先のない閉塞、終末論の方。
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posted at 00:03:38
2017年03月31日(金)
@LitoSnowfield これが、ハイデガーとカッシーラーの対決、ダヴォス討論、あるいはフリードマン史観という問題だが、柄谷ならハイデガーの図式論を批判したカッシーラーに図式論を見て、ハイデガーを共同体的、農民的と退けてしまうのだ。脱共同体したいというわけだが、それで宙吊りになるのが、デカルトの霊魂概念。
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posted at 12:51:12
@LitoSnowfield 上に再び引き合いに出した柄谷行人がトラクリ第一部「社会性と単独性」で、ハイデガーの図式論を批判したカッシーラーの構造に、図式論を見て、ハイデガーを共同体的として、クリプケンシュタインの固有名論からカントに超共同体を看取するあたりにも、宿痾の全容が顔を覗かせる。 pic.twitter.com/nJQ4VlG7A7
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posted at 12:35:34
@LitoSnowfield コトバに追い越されると、死という不条理に追いつけない作品が量産される、というのがトートロジーであるという自覚がないことが全てだが、同時にいかに作品がコトバならぬ、コトバが作品であるかということ。こうしたことは、たとえば~
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posted at 12:08:03
@LitoSnowfield 例のオウム事件~エヴァが分水嶺になって、作品という不条理が生成されなくなった日本という話題ね。それは端的に綜合すべきで、 twitter.com/sunamajiri/sta... のように、死に追い越されてしまっているのは、コトバに追い抜かれているからだ、というだけなんだけどね。
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posted at 11:33:48
@sunamajiri たとえば先日の高村さんのインタビュー mainichi.jp/sunday/article... でもあったように小説や文学…それだけではないですが…は言葉の無いところから始まるのに昨今は言葉がある…手垢にまみれてもいる…ところから始めているから危機である手垢にと
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posted at 07:33:40
2017年03月30日(木)
そもそも、諸悪の根源は、「それ」を、私とか自我とかコギトと語彙化してしまったことだが、コトバ化してしまうと、一般性になり、それではなくなってしまう。実は誰もがそれに気づいているから、賢い人ほど言葉を浪費しない。そこが面白い。@LitoSnowfield
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posted at 23:26:49
たとえば日本では、かつて朝までテレビで饒舌だった連中が、未だに、ある殻を破れない。それはネットでの饒舌でも同じで、扇動的になればなるほど、いわば自分ではなくなり、一般化してしまう。そう誰もが気づいてるから、みんなプライバシーと言い始めた。@LitoSnowfield
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posted at 23:22:53
日本語に限らず、「先」という語彙は曲者なのよ。自分より時間的に以前のことなのか、空間的に自分の目先のことなのか、それが曖昧な多義語だから。それで自分より以前からあるコトバに囚われると一般人になってしまう。それでみんな口が重いのよ。ところが饒舌な時代だ。@LitoSnowfield
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posted at 23:10:13
それが分かっているからみんな慎重になり口が重いでしょ? 勘違いしている人は、自分より以前からあるコトバ=語彙に振り回されてしまう。コトバでは一般人になることしかできず、普遍化できない。そんなものは柄谷の「単独性は語り得ない」でも十分な議論だからね。@LitoSnowfield
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posted at 23:09:47